第3話

 教室に入ってきたアユミのギャル仲間が、特ダネでもつかんだようなで話しだした。


「ねぇねぇアユミ、聞いて。サキのやつ、高校へ行かないで就職するらしいよ」


「えっ、就職する? どういうこと?」


「職員室でジミケンが教頭に報告してるの聞いちゃったんだ」


 歩はスーパーの前で演奏会を食い入るように見ていたサキの姿を思い出した。それに、リクが『サキの家にピアノはない』と言っていたことも。

 陸からは詳しい話が聞けなかった。ピアノと就職、どういう関係があるのだろうか。


 教室を見回すが、咲の姿はない。陸も見当たらない。

 三者面談をした宮沢みやざわ先生なら、理由を知っているのではないか。

 歩は教室を飛び出し、職員室へ向かった。




 高校のパンフレットをファイリングしていた担任の宮沢先生に、歩が声をかける。


「サキが高校に行かないって本当?」


「え? いや、まだ決定したわけではないよ。もう一度よく話し合うようにと言ってある」


「なんでそんなことになってるの? ここ最近、様子がおかしいけど、就職しようとしていることに関係があるんじゃない?」


「就職するか進学するかは本人が決めることだ。家庭の事情もあって大変みたいだけど、先生としてはきちんと将来を考えて高校へ進学して欲しいと思ってるよ」


「家庭の事情ってなに? 知ってるなら教えてよ。将来もピアノを習い続けたいと言ってたサキが、急に就職するなんておかしいだろ。それなりの理由があるんじゃないのか?」


「うん。まぁその……、サキはお父さんを亡くしてから、ずっとひとり親家庭だ。そのうえ、おじいさんも介護が必要になってサキも手伝っていると聞いた。金銭面でも大変なんじゃないのかな」


「え、介護……?」


「お母さんが働いているから、家のことは全てサキがしなければならないだろう。弟もいるらしいし、進学しないと言ったのは余裕がないってことじゃないか?」


「サキが……、家のことをひとりで全部やってるって?」


「ああ、そうらしい。誰にも言うなよ、個人情報なんだから」


 そこまで話した宮沢先生は、余計なことまで喋ってしまったと顔をしかめて、教頭や学年主任に聞かれなかったか職員室を見回した。そして、この話は終わりだと言わんばかりに、次の授業の準備に取りかかろうとする。

 歩はまだ話を終える気はなく、宮沢先生の肩に手をかけ、「学校でなんとかしてやれないのかよ」と食い下がる。


「なんとかと言っても、進路を決めるのは先生や学校じゃないんだぞ。どういう事情があれ、個々の家庭のことにまで首を突っ込むことはできないんだから。公的な支援機関にでも頼めば、相談くらいは乗ってくれるかもしれないけど」


「その支援機関ってのに頼めば、サキは高校に行けるのか?」


「どうかな? 支援といっても、福祉の担当者が学校や自治体と連携して問題解決に向けて働きかけてくれるだけで、助けられるのは一部のことだけだ。家事なんかは今まで通りやらなければならないだろう。金銭面の補助もあると思うが、それでサキが進学する気になるかどうかはわからない」


 歩が手を固く握りしめる。咲がそんな大変な思いをしていたなんて。愚痴のひとつでも言ってくれていたなら、気付いてやれたのにと悔しさが湧き上がった。


「全部じゃなくてもいいからサキを助けたい。学校から支援機関に頼んでくれよ」


「うーん、先生もいろいろ忙しくてなぁ……」


 咲の状況も助ける手立ても知っているのに、学校や教師がなにも対処しないことに腹が立つ。いつだって自分たちの保身と安定しか頭になく、他人のことは後回しだ。


「あたしが連絡するよ。どうすればいいのか教えてくれ」


「そんな簡単なことじゃないんだ。申請手続きとか手間もかかるし、だいたい当事者でもないお前みたいな子供になにができる?」


 突き放すような言葉に、歩は怒りに震えて宮沢先生の胸ぐらをつかんだ。


「ふざけんな! てめぇ、それでも担任か?」


 突然の大声に職員室は騒めき、状況に気付いた教師が止めに入った。


「落ち着きなさい!」


 すぐに引き離されたが、歩の怒りは収まらない。


「なんで知ってたのに、助けてやらなかったんだ! 知らんぷりしておいて、なにが“生徒の将来を考えた進路相談”だ! サキの本心も知らないくせに!」




 歩の行動が暴力行為とみなされ、即日から三日間の出席停止措置となった。進学する上で重要な内申書にも影響するだろう。

 歩が出席停止となったことは、担任の宮沢先生ではなく、学年主任の先生がクラスに伝えに来た。理由については詳しく言わなかったが、あとから咲だけが校長室へ呼ばれて原因を知ることとなる。



「私、アユミの家に行ってくる」


 放課後――

 自分のことが原因で歩が大変なことになっていると知った咲は、どうしても歩に会って謝りたかった。


「僕もついて行っていいかな?」


 一部始終を聞いた陸は、歩と咲、どちらも心配になった。


「でも、リクは塾があるんじゃないの?」


「サキこそ、家のことやらないといけないんだろう?」


「今、アユミに会うこと以上に大事なことってある?」


「そうだな」




 ふて腐れているかと思ったら、歩は二人を笑顔で迎えた。


「リクもいるならちょうどよかった。反省文を書けって言われているんだが、どう書きゃいいんだ? 知恵を貸してくれよ」


「ごめんねアユミ。私のせいでこんなことになって……」


「おい、なんでサキが謝るんだよ。悪いのはジミケンと学校なんだ。サキが苦しんでいるのを知っておきながらなにもしなかったんだからな。謝るべきはなにも行動しなかったダメな大人たちだ。そうだろ?」


「僕は事情を知っていたのに、なにもできなかった。……ごめんサキ」


「ううん、リクにはいろいろ助けられているよ。いつもありがとう。それに大変な思いをしているのは私だけじゃないよ。他にも似たような家庭はあるのに、私だけが助けてもらうわけにいかないから」



 歩のお母さんがジュースを持ってきてくれた。


「サキちゃん。さっき教頭先生から連絡があってね、明日からまた学校に来ていいって。だからアユミのことは心配しなくていいのよ」


「そうなんですか? よかった」


「ああ、学校の対応に落ち度があったって認めたらしいぞ。代わりにジミケンが自宅謹慎になったけどな」


「宮沢先生が謹慎? それで今日は学校にいなかったんだ」


 歩のお母さんの話によれば、歩に出席停止を命じた直後に職員会議が開かれて、先生たちの証言から、学校の対応や宮沢先生の発言にも問題があったと判断された。反省すべきは学校の方だったと、教頭先生から謝罪があったらしい。


「そうは言っても、ついカッとなってジミケンの胸ぐらつかんだのは事実だからな。反省文を出せば、内申書には書かないってさ」


「アユミ、リクも。私のために本当にありがとう」


「だから僕はなにもしていないって」


「なぁサキ、周りに迷惑をかけないように生きるなんて無理なんだよ。ひとりで抱え込んだって解決しないんだから、これからは相談したり頼ってくれよ」


「抱え込んでるつもりはなかったんだけど、私がやるしかないから必死だったの」


「大人なんて年取ってるだけで、みんな頼りにならないからな」


 歩がお母さんの前で軽口をたたくが、「アユミに相談しても却って問題を大きくするだけでしょう」と言い返される。

「でもね……。この頃は、サキちゃんが話しかけてくれないって寂しがっていたのよ。見た目はこんなだけど、中身は小学生のまま変わってないから、たまには話し相手になってあげてね」


「な! なんだよそれ! よけいなこと言わなくていいよ」


「なんだアユミ、ツンデレだったのか?」


「やめろリク。あたしはツンデレじゃないぞ!」


 後日、学校は咲の家庭環境について、早急に関係各所へ連絡を取り、学校としてもできる限り支援を行うと約束してくれた。また、判断が遅れたことについても謝りたいとの申し出があった。

 咲と母は、謝罪受入れの代わりに、担任の宮沢先生の謹慎を解くよう伝えた。自分たちのせいで、誰かが不利益を被るのは心苦しいからだ。





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