泣いた朝陽がもう笑う ⑦
「お待たせー!」
「ごめんごめん、
「もちろん。必ずや、
「おっ、高まる期待!」
「よっ、鴉の羽の見せどころ!」
「それはそれとして。貴方たちに聞きたいことがあるのですが」
「「聞きたいこと?」」
首をかしげるふたりを手招きし、「どうぞお座りください」と敷き布を指で示す。素直に従う二人のむかいに腰を下ろし、にっこりと微笑んだ。
「貴方たち、
「「ぎくっ」」
「なにが、『ぎくっ』ですか。あんな方向に飛んでいって、隠すつもり、ありました?」
「……うーん、絶対隠せとは言われてないけれど」
「歳華さまの耳には、できるだけ入れるなって」
「きっと気に病んで、ますます気がそぞろになるだろうって」
「ほほう。気がそぞろになるような、酷い事態になっているのですね?」
「「違う違う、それはない!」」
瓜二つの顔が、ぶんぶんと揺れる。
「国境の近くに、あっちの人たちが、集まりつつあって」
「なんかねえ、玄龍君に一生懸命謝ってるの。我らに
「……そう」
きっと、そのように願う者も、いるだろうとは思っていた。とくに、
「ふむふむ。見張りの兵から報告が上がっていたので、貴方たちに様子を見に行かせたと。私を
「ちっ、違う違う! それは違う!」
「玄龍君はほんとうに、歳華さまが落ち込んでるから言い出したの! むしろ、様子見のほうがついでだよう!」
「でしょうね。そうでしょうとも。あれでずいぶん、私に気を遣っているようですし」
「「えっ?」」
ぽかんと口を開けるふたりを、じろりと睨む。
「貴方たちでしょうが。『こんなのを三千年も想って、苦労する』だとか、『がっかり』だとか、ほかにも、聞えよがしにため息を吐いたり。あれだけ主張しておいて、こちらが態度を改めれば、しらばっくれると?」
「いやいやいや、違うよー! そういうんじゃないって!」
「ただ、僕たち、歳華さまは都合の悪いことは聞こえなくなっちゃうから、全然頭に入ってないんだろうなーって思ってたの!」
「……そういう面があったのは認めますが……認めますが、受け入れないと、始まらないでしょう」
続きを口にするとき、一瞬、喉がつかえた。こんなにもこんがらがった間柄なのに、言葉にするととても単純で、その単純な輝きに、目がくらむ。
「辰星はずっと、私を仲間として、大切に思ってくれていた」
それもこれも、あの仏頂面が悪い。
口を開けば苦言ばかりなのが悪い。
優しさが分かりづらいのが悪い。
――――受け入れるのが下手な、私が悪い。
「というのは、前提です。
「上からくるなあ」
「歳華さまって、ちょくちょく神さま目線になるよねえ」
「う…………おふたりとも、よろしくお願いします。この通りです」
「「うむうむ、仕方ないから、願いを叶えよう!」」
溌溂とした声とともに、どこからともなく水の糸が現れる。小さな
ふたりの声が、ぴったりと重なる。
「「玄龍君、玄龍君、我らにすがたをお見せください!」
水が、いちどだけ波打つ。
鏡は彼方と結びつき、はるか落星橋の風景を映し出した。
『……ん?』
そこに映る男は、相も変わらず、美しかった。突然のことに驚いたのか、やや間抜けにまばたきをするすがたすら、妙に絵になるのが憎い。
『なんだ、まだ連絡するようなことが……』
問いかけたくちびるが、途中で止まった。歳華は首をかしげる。
「あらあら、まだもなにも、こちらに来てはじめての連絡ですけれど。ああ、ふたりとは、国境の様子をじっくりと話し合ったばかりなのかしら。仲がよろしいこと」
『……おい。
地を這うような声を聞いて、ふたりがびゃっと竦み上がる。
「ちっ、違うの! 僕らからはなにも言ってない!」
「
「そうです、私が勝手に言い出したこと。駄目ですよ、そう怖い顔をしては。眷属を無為に怯えさせるのは、貴方のやりかたではないでしょう?」
『……それで? 今度はなんだ。国境に連れていけとでも言うのか?』
「まあ、最終的にはそのような交渉を、と考えておりますけれど……まずは、貴方と話をしたいなあと」
『俺と?』
「はい。さんっざん誤魔化されてきましたけれど、もう無敵です。貴方が注いでくださる友愛の情と、向き合う覚悟をしましたから」
『…………』
辰星が、眉を寄せた。金の双眸が、鋭い光を帯びる。けれど、反論はない。それでじゅうぶんだった。この男のこと、致命的な間違いならば、即座に訂正するはずだ。
「
『前も言った。おまえが疑うような事情なんてない。ただの私利私欲だ』
「利にも欲にも、さまざまなかたちがありますの。貴方もご存じの通り、私の内にある、誰かを支えたいという願望も私利私欲。私は貴方の、欲のかたちを問うているのです」
『話す義理はない』
「むしろ、話せば、私が気に病むから?」
『……』
「ふふふふふ、今夜の貴方は、黙ってばかりですね」
おかしくなって笑ってみると、両脇でこそこそと声がする。
「……なんか歳華さま、調子に乗ってない?」
「これが噂の、地の性格なんじゃない?」
「そこ、お黙りなさい。私は貴方がたの御主人様と、大事な大事な話をしているんです」
しかしまあ、少し態度が悪かったかもしれない。歳華は辰星を馬鹿にするつもりはないし、そんなことが許される立場でもない。
(三千年前から、変わらないですね)
いまも、昔も。
守られているのは、自分ばかりだ。
「――――辰星」
けれど、だから。
与えられるだけは嫌だから、歳華は問う。
「貴方、私の命が擦り切れていると、知っていたでしょう」
金の目が見開かれたのを見て、やはり、と息を吐いた。
思えば、単純な話だった。
歳華に健やかにあってほしいからに、決まっているだろう。
「心配を、お掛けしました」
『べつに。目に余っただけだ』
「貴方が選ぶと、そういう言の葉になってしまうと。まあ、やりかたも無闇に荒っぽいですものねえ。ひとりで攻め入って掻っ攫って帰ってくるって。私が自滅してしまったら、どうするおつもりだったんですか」
『……あのときは』
辰星の口元が、苦く歪む。
『あのときは、生きた気が、しなかった』
「……」
ああ、そうだった。歳華が好きになったのはそういう男だった。言葉は素っ気ないのに、周りをよく見ていて、ふとしたおりに声をかけてくる。そして誰かを失うとき、あるいは失いそうになったとき、痛みに堪えるように、苦しげに眉を寄せるのだ。
貴方に、そんな顔をさせたくなかった。
あの頃の歳華の、いっとう強い願いは、それだった。
(――――好きでもないくせに、罪なかたです)
しかし、嬉しくないはずがないのだ。どれほど時が流れても、国の支えかたが相容れなかろうと、盟友として気をかけてくれている。それでもう、じゅうぶんだ。
「ありがとうございます。生きて、こうして貴方と言葉を交わせて、よかった」
歳華が口にした瞬間、ずぴ、と鼻をすする音がした。
「よがっだねえ、玄龍君……!」
「歳華が、歳華がって、ずっと心配してたもんねえ……!」
『……おい。話していいとは、言っていないぞ』
「じゃあ、いますぐ許可を!」
「この鳥頭にもうちょっと思い知らせたいです!」
『まったく……検討はするが、あとにしろ』
「「はい!」」
唱和するふたりの、ぴんと伸びた背を見ると、笑みが零れる。歳華は数々の王を知るけれども、これほど臣下に慕われる者は、なかなかいない。
「貴方はどこからか、私の不調を知った。その原因が神力の使い過ぎであることも察した。
『ひとつ訂正がある。時系列を整理するのならば、一番頭にくるのは、手紙だ』
「それは――――いえ、まさか」
『数年前、蒼帝の即位を報せる手紙が俺の元に届いた。そこにはひとつ、簡単な文が付けられていた。俺しか読めぬよう、法術を為された、内々の手紙だ』
辰星は言った。
『そこには、おまえの消耗と、この国から引きはがしてくれとの頼みが書かれていた』
――――いつの日か、うららかな陽のなかで、
「
だから、と歳華は笑った。
「じつはここ百年ほど、私はとても、調子が悪うございまして。もしかしたら、いずれは土に還ることになるかもしれません。けれど、ええ、問題はございません。枯れた枝には、替えがある。新たな枝がまた流れ着き、中ノ原に恵みを振りまきましょう」
それを聞いた陽駿は、ひどく泣いた。どうして、なんで、と悲しんだ。歳華はしまった、と後悔しながら、幼い
陽駿はひとしきり泣いたあと、ぽつりと言った。
「……いつか、必ず、姉さまに恩返しを」
小さな皇子の小さな誓いに、歳華は目を細めた。
「ええ、楽しみにしております」
思えば、そうだ。
陽駿は、歳華が国回りから帰ってくると、必ず使いを寄越してきて、なにかしらの差し入れをくれた。力を使った歳華が消耗し、隠れて臥せっていることを、知っていたのかもしれない。
陽駿の、蒼帝の即位の日を思い出す。
慣れぬ礼服に身を包み、よろしくお願いしますと頭を下げてくれたこと。皇帝ともあろうものが、ただの鴉に頭を下げるべきではない、と嗜めたこと。歳華はそのすべてをただ喜んで、今日は良い日だなどと感慨にふけっていたけれど、彼はもう、あの日には。
『俺は泰青国の在りかたが嫌いだし、おまえのやりかたも気に食わない。しかし、烏合の衆と言ったこと、自浄なき国と断じたことは、これを機に訂正する』
「……」
『あの、若き皇帝がいなければ、俺はまた、みすみす失っていたかもしれない』
ああ、人は万華鏡のようだ。歳華がまばたきをする間に姿を変え、成長する。愛した姉を思えばこそ、心を鬼にし、もう貴方など要らぬと突き放す。
大切だと思ったものののために、考え、選び、ひとりになっても前へ進む。
歳華の愛した、人間のすがただ。
「――――う」
肩が震えた。歯を食いしばって耐えても無駄で、歳華の両目からはぼろぼろと涙が溢れていく。
『そいつは泣くのが下手なんだ。上手くできたときは、好きにさせろ』
「……知ったような口を、叩きますね」
『知っている。嫌になるほど』
「そうですか」
頬の涙を指で拭う。泣いて洗われた視界は、少し鮮やかになった気がした。いまならば見えるものも、できることもあるだろう。
「辰星、相談があります」
『戯言じゃないのならば聞こう』
「国境に集う泰青国の民の説得を、私に任せてはくれませんか」
『……最終的にはそのような交渉を、だったか』
「貴方に汚名を着せ、陽駿だって、危うい立場を生きている。私だけなにもせぬ、というのも道理に――――いえ、私の性に合いません」
『頼んでないことばかりしたがるな、昔から』
「そう、それです。そのときのように、振る舞おうと思うのです」
『なに?』
歳華は顔を上げた。
久方ぶりに泣いたなら、次することは、決まっている。
「恋にのぼせた愚かな女として、みなに幻滅していただきましょうかと」
朝陽のようだと貴方が言った、この笑顔で告げるのだ。
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