泣いた朝陽がもう笑う ⑥
案内された庁舎は、瓦屋根の大きな建物だった。石窟ばかりの
庁舎には二十人弱の職員がいるのみだったが、全体では五十人ほどの拠点らしい。外で野良仕事をする者、資材の買い付けに出張する者、当番の関係で今日は非番の者など、いない理由はさまざまとのことだ。みな、西の出と見える獣人で、狐や猫の耳、あるいは鹿の角の生えた頭で、歳華たちにぺこりと礼をした。
「さて、これからいかがしましょう。まずは畑をご覧になりますか」
「そうですね。いくつか気になる点がありますので」
「承知しました。
てっきり着いてくるかと思ったが、ふたりは「ううん」と首をひねった。
「じつは僕ら、ちょっぴり野暮用があるので!」
「
「はいはい、さっさといってらっしゃいませ」
「「はーい!」」
ふたりは
歳華は
「神獣様からすれば、あくびが出るほど、地味な研究でしょう」
苦笑する
「いえ、むしろ勉強になります」
「勉強? 貴方が?」
「はい。私も頭のなかでは色々と考えておりますが、じっさいに試行錯誤した経験は、あまりなく。……泰青国では、こういった研究はほとんど行われませんから」
「あれほど、農耕が盛んな国なのに?」
「恥ずかしながら、私のせいですね」
泰青国の人々は、なによりさきに、
あの国の農夫たちは、創意工夫を億劫がる。それどころか、作物の値段を釣り上げたいだとか、競争相手を蹴落としたいだとかのために、歳華に賄賂を送り付けて、「どこそこの農村には、恵みをもたらしてくれるな」なんて訴えるほどだ。無論、そのような手合いは相手しないが、なにもかもが神頼みな民草の姿勢は、放置したようなものだった。
「いまは、どういった肥料を?」
「いろいろ試してはみておりますが、結局、魚ですね。他国の書物では枯れ葉が奨められますが、木の繁らぬこの国で仕入れようとすると、非常に高くつきます。その点、魚なら空を泳いでいますから」
「恒玄国の魚は、
「そうですね。
歳華が返すと、
「命言葉とは」
「ああ、すいません、私が付けた、適当な呼び名です。……私の目は、ぐぐいと力を込めると、生き物の命に刻み込まれた言の葉を読み解けるのです」
「命に……ですが? それは
「いいえ、未来に触れるような力は、いっさいございません。病に罹りやすい、罹りづらいなどは読めますが……そういう、生まれ持った性質が、お品書きのように記されているのです」
歳華の読む命言葉には、その生きもの全体の特徴も、その個体のもつ特徴も、どちらもつぶさに書かれている。瓜二つの
「それは、摩訶不思議な……」
「神の力のなかでは、地味な部類ですよ。恐らく人でも読み解けることですし」
「面妖な呪術によって?」
「ううん……命言葉は、形而上のものではなく、現実に書かれたもの。薬学が発展すれば、解き明かせるのではと思っております。無論、遠い、遠い未来になりましょうが」
「貴方がそう言うとなると、私にとっては途方もない話ですねえ」
「そこには白髪の多寡も書かれていますか? 兎の耳の垂れる、垂れないも?」
「はい、もちろん」
「私の父も、私によく似た、まっすぐ伸びた耳を持ち、早々と白髪になりましたが」
「それはきっと、親御様から、詩をもらったのでしょう。命言葉は、親から子へと伝わるもの。草も人も、次代に言葉を伝えながら、生きている」
歳華は畑の前で腰を折り、
「この子たちの故郷は、中ノ原の北西ですね?」
「命言葉には、そのようなことも?」
「いいえ、はっきりとは。しかし、詩の中身を読むと、おおまかな出自は、分かります。寒さに強く、わずかな陽の光でも生きていける。そういう子たちですね」
「そう期待して、育てております。……私と、同じ生まれです」
「――――そうですか、貴方は西方から」
辰星も言っていた。
西は昔から、神獣白虎が治める地なのだが、異郷の神々との戦い以降、神獣はすがたを見せなくなってしまった。そこから西では、短命な王朝の興亡と、断続的な戦乱が続き、とくにここ千年ほどは、ひどい戦国の世となっており、遠く泰青国にも亡命する者がいる。
西由来の
「貴方は、あちらでも、
「幼いころに。私の故郷は畑作りがさかんで、西では平和な部類でした。ですが……」
「ご覧の通り、
「それは、病の原因になりうる、細かな生きものたちが苦手とする土地柄ゆえですね」
「細かな……生きもの?
「もっと、もっと小さな生きものです。目には見えぬほど、小さな命です」
歳華の目にも、それらのすがたは映らない。けれど、気を研ぎ澄ませると、、たしかにそこにあるのだと、感じることができる。
「土の中にも、草木の葉の周りにも、たくさんの、小さな生きものが棲んでいるのです。彼らは病を運ぶこともある一方で、土と根とを結びつけて、植物の育ちを良くすることもございます。しかし、
「……ゆえに、ここの作物は、土との結びつきが弱いと?」
「さようでございます。しかし逆に言えば、そこをちょいと工夫すれば、育ちはぐぐっと良くなるはず。
歳華は微笑んだ。
「できることはいろいろと。さきほど申し上げた命言葉も、強い
「そうか、大きいものと大きいものを掛け合わせて、大きな作物を作ることの本質は」
「命言葉にございませす。昔から人々が試してきたように、強いと強いをかけ合わせれば、強い子どもが生まれやすいですが、一方で、言葉には誤謬がつきもの。命言葉に、誤謬と誤謬が揃ってしまうと、病気になることもあります」
「王族の近親婚で、身体が弱い子が生まれるように?」
「まさしく。さすが
泰青国の皇帝たちに言って聞かせても、匙を投げられるのがほとんどだった。そして、仮に理解できたとしても、結局歳華が全部片付けるので、本気で学ぶ意義も薄い。
しかし
「この土地に合った、育ちやすい作物を作ることと、小さな生きものの力を活かすこと」
「その二本柱で取り組めば、多少は実りも増えましょう。私が神力で行うことも、根底はそれらにありますから」
「……願うだけで、花畑を生むあなたも?」
「願いは、具体的でなければ、効果が目減りします。料理人に鍋をと頼むだけでは、具材は望んだものにはなりませんでしょう? たまにこう、考えすぎて頭がくらくらしたりもするのですよ」
「……」
「ですから、その…………兎止水?」
「ああ、いえ……」
兎止水の長い耳が、てろんと垂れた。眉を下げて笑いながら、頬をかく。
「その……なんというか……自分の見聞の浅さを恥じておりました」
「ええ⁉ いえ、これでも神獣ですから、私しか知らぬことがあるのも当然で」
「いえ、いえ、違うのです……私は自分のなかの、神への偏見を思い知りました」
「……神への、偏見?」
兎止水はそれからしばらく悩んだのち、こう言った。
「貴方がたは我々のように考え、悩み、試行錯誤することなど、ないのだろうと」
「……それは、面映ゆい幻想ですね」
歳華はとくに、失敗してばかりだ。目の前の感情に流されてしまうことも、これはもう変えられぬと、諦めてしまうことだって多い。
それでも人が、歳華の力を求めてくれたからこそ。
さも万能のようなふりをして、この翼で飛び続けた。
「私は、最初、ほっとしてしまったのです」
兎止水は、ぽつぽつと語る。
「玄龍君が神力の使用を禁じていると聞いたとき、安堵した。もし、神が指一本でこの圃場を茂らせるのならば、我々の、私の努力に、どれほどの価値があろうと」
「貴方がなにを思い、なにを考えていようと、我々とのあいだの隔たりは、依然として、大きい。貴方がたが
「貴方にとっては、この圃場が、生きる意味である、と」
「そう、信じていたいという、分不相応な我が儘ですが」
なんと、いじらしい我が儘だろうと思った。
思ってしまったあと、自らの思考に待ったをかけた。
(――――いけないいけない、私はすぐ、人を可愛く感じてしまう)
兎止水が求めているのは、慈悲でも、愛玩でもないのだ。自らの手でなにかを為したい、世界に爪を立てて去りたいというその思いは、他者に与えられるものでは満たせない。
自ら前に進み、なにかを摑むしかない。
泰青国で歳華はさまざまな人間を見てきた。兎止水のような心持ちで生きていける者が、けっして多くはないことも知っている。人が、あるがままで世界を善くしていけるのなら、そもそも白虎亡き西が、あのように荒れることもなかろう。
けれど、たしかにいるのだ。未来を求め、自らの足で進むことを望む者が。
「きっと、多くの人々も私と同じではと思います。神や、あるいは、上に立つ者の心の内について考えることをせず、最初から理解できぬものと遠くにおいてしまう」
「…………遠くに」
「自分がそれをされたら、きっと、寂しいのに」
脳裏に幾人かの影が浮かんだ。哀れだ可哀想だで片付けて、寄り添わなかった人々を、思った。歳華のやりかたを疎み、会話を拒んだ皇帝がいた。宮廷のいざこざに病み、なぜ政敵を殺してくれないと、歳華を責めた皇女がいた。歳華に宝剣を向けて、要らぬと言い放った青年がいた。
(――――私が、悩み、考えながら、なにかを選ぶように)
みなだってまた、思い、考え、生きているのだ。
それは陽駿も――――辰星だって、そうだろう。
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