泣いた朝陽がもう笑う③
漬物が思いのほか塩辛くて、歳華は箸を置いた。
「
「ああ、最近流行っているという、豆料理か」
「最近って。流行り始めて何百年、下手したら千年は経っていますよ」
「最近じゃないか」
「否定はしませんけども」
その筆頭であるはずの男は、歳華のむかいで、大人しく箸を動かしていた。
「あの玄龍君が毎日朝ごはんだなんて。昔は『俺は水だけで生きられる』と威張っていたくせに、変わるものですねえ。長生きをしたら、娯楽が恋しくなりましたか」
「まさか。おまえに合わせているだけだ。どこぞの居候は、人の真似をして食事を摂るのが習慣らしくてな。攫ってきた以上は、と、気を遣ってやっている」
「ははあ、気遣い」
いろいろと言いたいことはあったが、口争いをしたところで、食事がまずくなるだけだ。それは作り手に失礼だろうと、歳華は嫌味を控えて、箸を動かした。
恒玄国の料理は味が濃い。実りに乏しい北の地では、食材のほとんどを、遠方から運ばれる保存食に頼っているからだ。唯一安定して採れるのは魚で、これは新鮮なものが運ばれるため、薄味だ。そして、調味が薄くなると、今度は水の違いが顔を出す。少し苦みのある水には、この国の
白湯を口に含み、そっと呟いた。
「ここは、石と水の国ですね」
玻璃硝子越しの空を見やれば、天を往く河たちが、陽に透けて光っている。恒玄国の河は、地ではなく、天を往く。この国の者はただ「かわ」と呼ぶが、異国の者は通常の河と区別し、「
大地を潤さぬ不浄の
(大昔、米と砂利ぐらい違うだとか言っていましたっけ)
故国の水とこちらの水はどう違うか、と問うた歳華に、辰星は真顔で返したのだ。贅沢ですよと笑うと、「分かっている」と鼻を鳴らすのが子どもっぽかった。
しかしまあ、この風景を知ると、そう言いたくなるのも当然かと思う。
辰星のような神獣から、
「絶景だろう。おまえには、いささか勿体ないかもしれないが」
「……もしかして、根にもってます?」
「それほどでもない。千年も経てば忘れる程度の嫌味だ」
「しっかり本気じゃないですか!」
「なにを言う。本気の感情が、千年程度で朽ちるものか」
辰星が箸を置いた。見れば、皿が空になっている。
金のひとみが、歳華だけに向けられた。
「
「……あのですねえ。あの子たちと遊んであげてるのは、むしろこっちなのですが」
「なにを言う。ふたりはきっかりと仕事をこなしているだろう。一方おまえは、暇を明かして横になり、落ち込んでいるだけだ」
「そりゃ、落ち込みもしますよ。貴方の岩石頭じゃ理解できないかもしれませんが、私は愛した国から放り出された立場なんです。ちょっとは慮ってくださいな」
実際問題、歳華の気力はすっかり折れてしまった。
剣を向けてきた陽駿の、冷たいまなざしが頭を過ぎる。
「駿……ああ、かわいい駿……貴方の成長を喜べぬ、駄目な姉様でごめんなさい……」
「また、家族ごっこに興じていたのか。よくもまあ、飽きないな」
「飽きるものですか。人の子はみな、愛おしい。なにを捧げても、惜しくないほど」
二十にも満たぬ陽駿との思い出はそう多くないが、どれもが彩りに満ちていた。ともに笑ってくれたこと、歴史を教えてくれとせがまれたこと、即位の日、慣れぬ礼服に身を包み、よろしくお願いしますと頭を下げてくれたこと。皇帝ともあろうものが、ただの鴉に頭を下げるべきではない、と嗜めたこと。すべてが遠い、遠い過去だ。
「うっ……思い返したら、ごはんの味が遠のきました……せっかく美味しく作っていただいたのに、申し訳ない」
「……」
辰星が大きく息を吐いた。
「なるほど、腑抜けた国が育つわけだ」
「……どういう意味です」
「どうもこうもない。赤子と遊ぶようにすべてを与え、すべてを許して、恵みを振り撒き続ける太陽。その結果が、あの烏合の衆だろう」
「辰星」
箸を置き、顔を上げる。
「
「事実だろ。敵将が現れても逃げ出すばかり、やれ
「……」
「たしかに、かの国に飢えはない。見えるかたちの不幸も、少ないだろう。しかし、天に甘やかされ続けた人間は、自らなにかを選ぶ強さを失う。無能な政治家に反発することもなく、なあなあに片付け続ければ、自浄の作用も失われる」
「自浄、ですか。水を司る貴方らしいお言葉ですこと。その論でいきますと、最初に浄化された汚泥こそが、私なのでは?」
歳華は微笑んだ。
「
「詭弁だな。恐怖のあまり動転して、おまえを差し出したとは思わないのか」
「駿はそんなに愚かな子じゃない――――というのは、当てにならぬ雑感ですが」
なにせ、要らぬと言われるだなんて、予想だにしなかった者の言葉だ。あらぬ思い違いをしていても、おかしくはない。
「貴方を恐れたにせよ、そうでないにせよ、駿はなにかを決めるときに、自分で考えようとする子です。考えたすえの結論だというのなら、私は尊重したい」
辰星の指摘するように、
「つまり、仮に解放されたとしても、国に戻る気はないと」
「駿が私を求めるか、駿が討たれるか、あるいは泰青国が荒れ果てない限りは。ふたつの支柱が国にあれば、要らぬ火種を生むばかりですから」
彼が自分に向けた宝剣を思い出す。
「蒼帝は、おまえが自ら『捕虜になる』と申し出た、と喧伝しているらしいぞ」
「当然じゃないですか。皇帝が
「……おまえ、そこまで物分かりのいいやつだったか?」
「そういうふりを、しているだけです。気分はもう、最悪。――――私は駿に、『ともに歩もう』と言われたかったんです」
「……」
「そう、言ってもらえるものだと、思っていたのです」
辰星が、唇を斜めにした。
「……腹が立つ」
「はい? なにが?」
「なんでもない。ひとりごとだ」
「これはこれは、ずいぶんハッキリしたひとりごとですね」
まあたしかに、歳華の人間への甘さは、辰星には受け入れがたいものだろう。なにせ、
「不愉快な思いをさせて恐縮です。とはいえ、そもそもの発端は貴方でしょう。それで? どんな事情があって、侵攻なんてしたんですか?」
この国にやってきてから、幾度も問うたことだ。返す辰星の言葉も、いつも通りだった。
「事情なんてない。ただの私利私欲だ」
「誤魔化しかたが下手すぎます。貴方、私に執着なんてないでしょう」
「そう見えるか」
「見えます。まるっとお見通しです。賢帝と名高き玄龍君が、三千年の平和をぶち壊した以上、なにか理由があるはず。この私に頼らざるをえない、事情が」
歳華は、春の芽吹きや、草木の茂り、つまりは恵みをふりまく力をもつ神獣だ。雷雨を操る辰星が戦に優れるのとは対照的に、民草を支えてこそ、真価を発揮する。
「どうせ縋ってくるなら、もうちょっと穏便な方法を取れ、と思いますが。私の力で助けられる誰かが民がいるのなら、力はお貸ししますよ。ですから、いい加減に腹を割って、事情を話してはくれませんか」
「……頭の鈍い女だ」
「ちょっと⁉ 仕方ないでしょう、自国ならともかく他国、それも水ばっかり飲んでる龍の国ですよ⁉ どうして私を呼び寄せたのか、分かるもんですか!」
「はあ」
「失礼! 失礼ですよ、そのため息は!」
肩を怒らせる歳華を流し見て、辰星はまた、ため息を吐いた。
「まあいい。おまえに期待はしていない。せいぜい、思い知るまで喚いておけ」
「こ、この……むやみやたらと偉そうに……」
「しかし、城に閉じ込めたところで、塞ぎ込むばかりだろうというのも目に見える。かといって、外に出せば、勝手に張り切り、頼んでもいないことをに心血注ぐのもまた、目に見えている……なら、仕方ないか」
「仕方ない? 仕方ないって、なに……え?」
歳華は目を見開いた。皿や箸、果ては盆の乗る卓まで、宙に浮き始めたからだ。原因は勘ぐるまでもない。風を操る風操術、辰星の神力によるものだ。
遮るものが亡くなったところで、辰星が身を起こした。
「
「……はい?」
「だから、足を出せと言っている」
「くり返せってことじゃないんですよ! 説明を! 私は説明を求めているのです!」
「説明などせずともすぐに終わる」
「貴方はどうしてそう、言葉を面倒がっ……ぎゃー!!」
遠慮もなく
「最低! 最低です! いきなりすることですか⁉」
「おまえが足を出さないのが悪い」
「貴方の説明が足りないせいでしょうが!」
「ふむ」
辰星は露出した足首に指を這わせると、感触を確かめるように、するりと撫でた。
「枷は、ここでいいか」
「そんっなことだろうと思いましたよ!」
分かっている。天衣無縫の朴念仁が、歳華の身体を暴こうとするはずもない。分かっていても、一瞬、恥じらってしまったのが悔しい。もっと暴れてやろうかと思ったが、こちらに向く金の目を見たら、言葉が失せた。
(どうして、そのような)
痛みに耐えるような顔で、こちらを見るのかと。声を呑み込んで黙りこくれば、辰星のくちびるが、呪言を唱える。
「――――
「うっ……」
歳華の足首を、冷たい風が吹いた。それをなぞって、白い影が生まれる。小さな蛇にも似た、細い雲だった。巻きついた雲はやがて凍り付いて、足枷へと転じた。
それが顕現しきると同時に、言い知れぬ不快感が襲い掛かる。
「……これ、は」
凍らされた、と思った。肉体の奥の奥、神の力が凍らされた。
「ふむ。物は試しとやってみたが、成功したようだな」
「ぶっつけ本番で、なんてことしてくれてるんですか、貴方」
「気分は」
「いいわけがないでしょう。最悪も最悪、怒る気力すら抜けていきます」
「だろうな。力の大部分を凍らせた。いまのおまえは、せいぜいが下位の仙獣だ」
「なんという横暴ですこと」
「捕虜が文句を言うな」
辰星は足枷を点検したあと、「飾りが足りないか」とつぶやいた。ふたたび、肌の上を冷気が覆ったかと思えば、足枷の表面に雪の花が咲く。
「これで機嫌取りになるか」
「なるわけないでしょう。祭りの日の娘子じゃあるまいし」
手の甲を軽く蹴ってやると、雪花が白く光る。玉飾りめいた美しい輝きに、眉を寄せる。
平時はこんなもの、寄越しやしないくせに。
「枷なんて嵌めずとも、貴方に歯向かうほど無謀じゃありませんけど」
「全力で戦おうとしたやつがよくも言う」
「あれは民の生活が懸かっていたからこそです。……自分ひとりのために戦うだなんて、無鉄砲はしません」
「ならば返すが。俺だって、単に気勢を削ぐためだけに、こんなものを嵌めない」
「はいはい、大事な御用があればこそ、ですものね」
辰星は捲った衣服を直してから立ち上がり、正面に座り直した。歳華が
「おまえも知っての通り、
「さきほどのお食事を作ってくださったのも、そういうかたですよね」
「龍は固形物の味には無頓着だからな。調理場は概ね、人が仕切る。そして、細々とではあるが、農耕も行っている」
「あら、それは知りませんでした」
「今日食べた
「ずいぶん軌道に乗っているですね」
恒玄国の地質は、致命的に農業に向いていない。それを克服するとなると、相応の手間が必要なはずだ。
「もしかして、術は貴方が?」
「最初だけはな。あとは勝手にやってもらっている状態だ。数百年ほど前か、西の内紛がひどくなって、国境沿いに流れ着く移民が増えた。大半は泰青国を目指している者だが、まれに、力尽きて居着く者がいる」
「それを受け入れているあいだに、畑が必要となったと」
「最初は保護でいいが、やがては自立させねばならない。しかし恒玄国の民は長命だから、寿命の短い者を雇いたがる者は少ない。国の事業で受け皿があると都合がよかった。間に合わせで作った研究圃場が、南東にある。名は
「
南東というと、泰青国の方面だ。あのあたりには、
「
「はい、承りました……と言いたいですが、私、どっかの誰かさんに力を凍らされているのですけれど?」
「うん? それのどこに、問題が?」
「大ありでしょう! 専売特許ぜーんぶ差し押さえられてるんですよ⁉ 私に働けと言うのならば、さっさとこんな枷は解いてください!」
「……まさかおまえは、その専売特許とやらで、
「え? そうですけど」
「馬鹿か」
「あっ、なんと端的な悪口!」
「おまえは
「う……いやいやいや、これに関しては貴方も大概民に甘いでしょうが! 短命の人々を受け入れるための圃場なんて、甘さの極致じゃありませんか!」
「将来性を見越してだ。多少は移民族がいないと、いざというとき、国外での情報収集が立ち行かなくなる」
「これはこれは、苦しい言い訳ですね」
「なんとでも言え。そして、なんと言われようと、俺はその枷は解かない」
「この、分からずや……!」
しかし、やたら我の強いこの男が、歳華の説得に応じるはずもない。歳華は結局諦めてしまうし、辰星も辰星で、歳華が諦めると分かっている。
たちが悪い、と思う。こころから。
「
「あのですね、あんまり馬鹿にすると、部屋に閉じこもりますよ」
「そうしたら仕置きだな。枷をふたつに増やしてやろうか」
「こ、こいつ……」
頬が、ひくりと引きつった。
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