泣いた朝陽がもう笑う ②

 雷鳴の音で、目を覚ました。

 しかし、瞼を上げてみても、稲妻など影もない。ならばあれは夢幻だったかというと、眼前に広がる風景が現実を突き付ける。敷かれた布団は、温暖な泰青国では縁のない分厚さで、石細工の天蓋付き寝台も、あちらでは見ぬ様式だ。

 恒玄国こうげんこくの王城、落星橋らくせいきよう

 つまりは辰星の居城に押し込まれてから、数日が経つ。龍の虜囚というのも屈辱だが、それ以上に胸を痛ませるのは、陽駿の言葉だった。 

「要らない、ですか」

 囚われただけならば、死に物狂いで抜け出そう。けれど、要らぬと言われてしまったら、歳華の帰る場所はない。あくまで陽駿ひとりの発言、民草の総意ではないと知っていても、どうしたって胸は痛む。記憶を辿りながら悲哀に耽れば、胸のみならず、頭や首まで痛み始めた。百年ほど前から現れるようになった、持病めいた症状だ。それがここ数日、つとにひどい。

(不発とはいえ、無茶をしすぎたせいですね。どう考えても)

 原因は見えている。神の力の、使いすぎだ。扶桑樹の力は限りないが、その通り道となる身体は摩耗する。川が枯れずとも、水汲み桶の底が抜けていくように擦り切れていく。それもこれも泰青国たいせいこくのためならば、と喜んで受け入れていたのだが、その果てに待っていたのは、可愛がった皇帝からの、一方的な別れである。

「悲しみよ……あな悲しみよ……悲しみよ……」

「「はいはい、早く起ーきーてー!」」

 寝台のとばりが、ばさりと開かれた。顔を覗かせるふたりの子どもに、嘆息する。

「あのですねえ。乙女の寝床を覗くときは一声かけてくれませんか」

「歳華さまは、声をかけても無視するでしょ」

「ダラダラしてると、また玄龍君に怒られるよー!」

「ダラダラ⁉ 私の悲嘆を、ダラダラと言いました⁉」

「何もせずに寝たまんま、ずうっとうじうじしてるじゃない」

「一人前の神獣なら、せめて自分で起き上がって、身支度ぐらい始めてほしいよね」

「……はいはい、行けばいいんでしょう、行けば」

 腕を引かれるまま起き上がり、寝台の端に座る。寝間着を脱いで、渡された襦袢に袖を通せば、ふたりの子どもは「歳華さま、えらーい」と、囃し立てた。いたいけと呼べなくもない風貌だが、数百歳の仙龍と知っていると、可愛がる気も起きない。

「それで? 今日はどちらが武曲むごくで、どちらが輔星そえぼしなんですか?」

「僕が武曲むごく!」

「僕が輔星そえぼし!」

「でも僕ら、ふたりでひとつだから、どっちで呼んでもべつにいいよ!」

「そういうわけにもいかないんです。……おはようございます、武曲むごく輔星そえぼし

「「おはよー!」」

 ふたりは外見は瓜二つであるものの、片方は男でも女でもあり、もう片方は男でも女でもないという、少々変わった性別をしている。それに加え、日によって名前を入れ替える悪癖があるため、気配で見分けられてしまう歳華としては、ややこしくてしょうがない。

 空に輝く二重星の化身にして、辰星しんせいの眷属だった。

「寝起きに貴方たちと話すと、ただでさえ痛い頭がぐわんぐわんしますね」

「歳華さま、頭痛いの? 大丈夫?」

「辛いなら、僕らを撫でて癒されるといいよ。可愛いは薬になるっていうし」

「遠慮します。その代わり、ほかの服も貸してはくれませんが」

「「はーい!」」

 ふたりは元気よく返事して、下裳したも長衣ちよういを渡してきた。寒冷地の恒玄国こうげんこくらしい、分厚い仕立てだが、素材の絹は、泰青国から輸入した品だろう。歳華好みの赤色なのもなんだか悔しい。迎え入れる準備をされていたようではないか。

 用がなければ翼は表に出さないので、着替えはそう難しくない。仕上げに髪に櫛を入れると、武曲むごく輔星そえぼしはころころ笑った。

「よっ、金鴉娘娘きんあにやんにやん!」

「まさに神々しーい」

「朝からうるさい子たちですね。まったくあの男は、なんでこんなのを側仕えに」

「「それはもちろん、玄龍君のお気遣いです!」」

 ふたりは揃って胸を張る。

「子供にちょろい歳華さまが、警戒を解いてのびのびできるように!」

「ついでに適度にいらっとさせて、地の性格を出してもらえるように!」

「地の性格?」

「意外と喧嘩っ早くて身振り手振りが大きいって聞きました!」

「でも、情が深くて、厚意を無視できない性分って聞きました!」

「臣下になにを言っているんですか、あの男……!」

 虜囚になっている時点ですべてが今更ではあるのだが、それにしたって、威厳もなにもなくなっている。歳華はこめかみを押さえた。

「よーく分かりました。要するに、間抜けな私を馬鹿にするために貴方たちを寄越したんですね」

「「……」」

 武曲むごく輔星そえぼしは顔を見合わせると、どちらからともなくため息を吐いた。

「やれやれ、歳華さまにはがっかりだ」

「話聞いてた? こんなのを三千年も想ってるなんて、玄龍君も苦労するよねえ」

「想うですって? 誰が、誰を?」

「「は――――」」

「な、なんですかその反応は!」

 じっとりとした視線に耐えかねて、叫ぶ。

「言っておきますけどねえ! 想う云々でため息を吐きたいのはこっちですけど⁉」

「なんで?」

「その心は?」

「なんで、って……昔、私が」

 答えようとした口を慌ててつぐむ。「なんでなんで」とまとわりつくふたりをシッシと押しのけ、咳払いをした。

「ええと、ほら。辰星は昔っからあの調子、実直と言えば聞こえはいいですが、要するに朴念仁です、朴念仁。そんなのと腐れ縁じゃあ、ため息も止まらぬというもの」

 早口でまくし立てながら、地鳴りのような心音を誤魔化す。

(危ない危ない! あの鉄面皮にふられただなんて過去、さっさと忘れなければ。ほら、未来を見るのです歳華、前途は洋々!)

 自らに言い聞かせながら、振り返り。

からす、支度は終わったか」

 消えぬ過去の権化と、しっかりばっちり目があった。

「ぎゃ――――! ししししし、辰星⁉ どうしてここに⁉」

「ここは俺の城だ」

「いつからそこに⁉」

「たったいまだが」

「ああ、なんだ……まあ、そうですよね。貴方みたいに図体の大きいのがやってきたら、部屋が翳ってすぐさま分かりますものね」

「便利な舌だな。あらましを聞かずとも、やましいことを考えていたことは分かる」

 呆れたふうに言う男は、龍角を仕舞い、礼服も解いて、普段使いの便服へと身を包んでいた。上下黒なのは変わらないが、布が少なく、泰青国では威厳に欠けると見なされるほどに簡素だ。だからこそ、なのだろうか。男の容姿がよく映える。

(ほんっとうに、顔がいいですねこの龍……いいえ、顔だけ、顔だけなんですけど……)

 長く伸ばされた髪は、わずかに緑を帯びた黒。怜悧に光る金の目は、遠い星を思わせる。目鼻立ちは彫像めいた整い具合で、どんな角度から見ても美しい。

「ずるですよね、ずる。ここが賭場なら出禁客です。骰子さいころ振りが調子を崩しますもの」

「城の主に向かってなにを言ってるんだ、居候」

「いっ……居候⁉ 好んで住んでるみたいな言いかたはやめてくれませんか。無理やり連れてきたのは貴方でしょうに」

「それは否定しないが」

 憮然とした男の腰元に、ふたつの影がまとわりついた。

「玄龍君、玄龍君! 今日も僕たち、歳華さまを起こしたよ!」

「お国のことを思い出してぐだぐだ落ち込んでる歳華さまを、しゃきっとさせたよ!」

「……そうか。ありがとう、ふたりとも」

 辰星はわずかに目を細めると、ふたりの頭を撫でる。

 ――――ああ、その顔だ。

 その顔がなによりも、ずるい。ろくに愛想がないようで、存外柔らかな一面を見せる。言葉は素っ気ないわりに、周りをよく見ており、ふとしたおりに声をかけてきたりもする。

 そういう者だから。

 そういう者だからこそ、好きになってしまった。

(とはいえ、とっくに終わった話。こんな冷徹野郎、むしろこっちが願い下げです!)

「玄龍君、歳華さまが怖い顔してる」

「怖いっていうか、面白い顔じゃない?」

「あまり見てやるな、減ったら困る」

「「はーい」」

 武曲むごく輔星そえぼしはうなずくと、歳華の脱いだ服を畳んで臥室がしつを去った。部屋にはふたりだけが残される。

「……」

「……なんです。じろじろと」

「その名に青を冠する国の神獣のくせに、おまえは金と赤が合うなと」

「なにか問題でも」

「特段は。ほら、朝餉に来い。ぐずぐずしていると、窯が冷える」

「はあ。朝餉ですか」

 囚われて数日、毎朝告げられている言葉だ。歳華はふんとそっぽを向いた。

「虜囚と窯を並べるなんて悪趣味なおかたですこと。理解に苦しみます。まさか、ともに食事をするために私を捕まえたわけでもないでしょうに」

「その、まさかと言ったら?」

「はい?」

 口を開けて見上げれば、淡々とした言葉が返る。

「冗談だ。期待させたなら悪かった」

「あ……悪趣味! 悪趣味です!」

「おまえに合わせただけだ。ほら、行くぞ」

「ああもう、貴方というかたは!」

 こちらの文句をまるっと無視して、辰星はさっさと歩き始める。こうなったら無駄だとは分かっていたので、歳華は大人しく、振り返ることのない男の背を追った。

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