ブルースター
@ork0029
ブルースター
寒い風が窓を透き通る。二月になると、寒さは急激に厳しくなる。
とある中学校の教室にて。昼休みの時間の出来事だった。
三年二組。生徒たちの賑やかな声が教室中を埋め尽くす。「ふぅ。」とため息を吐きながら、午後の授業で使うプリントを持った担任が教室に入ってくる。
すると、
「先生!死後の世界って、本当にあると思います?」
女子生徒が担任にそう話しかける。急に生徒から死後の世界についての話なんぞ聞かれ、担任は少し驚いたように目を大きく見開く。
「死後の世界かぁ。まぁ、僕は信じてるよ。」
「やっぱり、そう思いますよね!」
「だが、どうして急にそんなことを?」
「いやぁ、この前テレビでなんか天国と地獄みたいなのを取り上げてる番組があって、それでホントに死後の世界ってあるのかなぁって。」
今の会話を聞いていたこのクラスの一人の短髪の男子生徒、
「なんだよ。死後の世界を信じるって。馬鹿馬鹿しい。」
そう言って、潤はトイレに向かった。
香村潤は、死後の世界を信じていなかった。たまにテレビで見かける霊能者も、透視能力者を名乗る者も、占い師も、全て彼にとってそれらは変人そのものだ。
天国と地獄はどうなっているかわからない。まず、あるかどうかもわからない。
それに誰も見たことがない。にも関わらず、彼らは死後の世界が存在すると言い張る。
心霊写真も、心霊映像も同じだ。潤は昔から怖いものが苦手だ。どれも本物のように見えるが、所詮作り物だ。
この世に、そんなフィクションのようなものはありはしない。
午後の授業も終わり、潤は帰りのバス停で小説を読みながら立っていた。
そこへ、一人の少女がこちらに近づいてくる。
潤は人が来る気配を感じ、足音がする方を見る。
「お疲れさま。勉強は順調?」
その少女は、先ほど、担任に死後の世界の話を持ちかけたロングヘアの女子生徒だった。
名前を、
「木実か。勉強は順調だ。このままのペースでいけば、試験にも合格する。」
「なんだ!ゲームばっかりしてると思ったら、頑張っているのね。」
潤は木実の発言を鼻で笑い返した。木実も、帰り道が同じバス停なので、その場にしゃがみ込み、スマホを見る。
潤はここで、木実にあることを聞いた。
「なぁ、木実。お前なんで先生にあんなバカなこと聞いたんだ?」
「え?」
「ほら。死後の世界がなんとか。」
「あぁ。っていうか、バカって何よ!」
木実は頬を膨らませる。
「あれは別に興味本意で聞いただけ。でもさ、私、信じてるんだ。死後の世界のこと。」
潤は大きくため息を吐く。
「何?疲れてんの?」
「いや、お前、本気かそれ。」
「だって、死んだら何も無いなんて悲しすぎるじゃん。」
そんな会話を続けていると、バスがやってきた。先に潤がバスに乗車しようとする前に、木実に言った。
「そんなの信じてる奴は、みんな頭がお花畑なんだよ。」
「ただいま。」
帰宅した潤は靴を脱ぎ、タタタタと足音を立てながらリビングに入る。
「おかえり潤。今日8チャンネルでアンタの好きな利根川家が出るらしいわよ。」
潤の母親がソファに座り、テレビを見ながらそう言った。彼の好きな芸人が出る。
それは潤にとってとても嬉しい報告だが、
「あぁ。それより、あいつは?」
「…奥の部屋で寝てるわ。ぐっすりよ。ご飯食べ終わったら顔出してあげて。」
七時半になり、潤は夕食を済ませると、すぐにある部屋に向かう。
その部屋のドアを開ける。漫画のポスターに、白い掛け布団のベッド、小型ゲーム機が乗った勉強机。
そして、寝息を立てるヨボヨボのゴールデン・レトリバー。
「…ただいま。ロロ。」
ここは、潤の自室だ。そしてこのゴールデン・レトリバーの老犬であるロロは、香村家のペットだ。それに、潤が小さな頃からいる。
ロロは潤の気配に気付いたのか、目を覚まし、周囲のキョロキョロと見渡す。
潤はロロの鼻に手を近づける。ロロは彼の手をしばらく嗅ぐと、尻尾をゆっくりと振り出した。
ロロはもう長くは生きられないと医者に宣告されている。
「良い夢見れたか?」
時計を見れば深夜一時。潤はこんな時間まで、勉強に手をつけていた。
「…もう寝た方が良いな。」
潤は勉強机から立ち上がり、ベッドに寝転んだ。その横でロロはぐっすりと眠っていた。
その時、不意に潤の口が開く。
「お前、死後の世界、あると思うか?」
馬鹿馬鹿しすぎる。犬にこんなことを聞いてる自分がアホらしく、潤は笑ってしまった。
ロロは潤の笑い声で反応したのか、目を開ける。
「あぁ悪い。起こしちまったな。」
潤はロロの頭を優しく撫でる。
「おやすみ。ロロ。」
そして、あくびをした後、潤はすぐに眠ってしまった。
ロロの頭に手を置きながら。ロロはそのまま、目を閉じた。
ジリリリリリッ
「んん…」
目覚まし時計のアラームの音が潤の耳に響きわたる。まだ寝たいという気持ちを押し殺し、アラームを止めた。
「クソだる…。クソさむ…!」
潤は布団から出て、ベッドから起き上がる。そして、まだ寝ているロロのお腹に優しく手を添える。
その肌は、ひどく冷えていた。
「…ロロ…?」
信じたくはなかった。ロロの目は閉じているので、寝ているのかと一瞬思ったが、寝息を立てていない。
それに、呼吸をしていない。
潤はロロを何度も何度も呼びかけていくうちに、目から涙がこぼれ落ちる。
長く生きられないとは言われても、急な別れが来るとなると、心がキツく、寂しさと悲しさが心を押しつぶした。
「ロロォ!」
もう潤は確信していた。
ロロはもう、死んでいると。
ロロの死から数日が経った。大切な家族の一員がいなくなるとなると、心にぽっかり穴が空いた気分になる。
バス停で、今読んでいる小説がクライマックスを迎えようとしても、潤にとってそれはどうでもいい。
ただ、悲しさに縛られていた。
夢の中でも、もう一度、ロロに会いたかった。
「ただいま…。」
「おかえり潤。アンタ、あの子が来てるわよ。」
「え?あの子って…?」
それは、帰宅してから突然の出来事だった。誰か客人が来ているようだった。
「まぁ、リビングに行けばわかるわ。」
母親の言われるがままに、すぐにリビングに向かった。
「は?」
そこには、リビングの椅子に座ってお茶を飲んでいる木実がいた。
「あ、おかえり。」
「なんで!?お前ここに!?」
潤の背後から母親がひょこっと出てくる。
「アンタ、今日は木実ちゃんとお出かけしなさい!」
「は!?」
急な出来事すぎて理解が追いつかない。自分の家に木実がいて、そして木実と急に出かけるなど。展開がわからない。
「じゃ、行こっか!とりあえず着いてきて!お邪魔しましたおばさん!」
木実は椅子から立ち上がり、コートを着て家の外に出ていった。
「さ、アンタも支度していきな!」
「い、意味わかんねぇ。」
「ホラ!早く行かないと彼女においてかれちゃうよ!」
「彼女じゃねぇ!わかったよ行けば良いんだろ行けば!」
潤は怒鳴りながら自身の部屋に支度しに向かった。
母親はポケットから突然スマホを取り出し、誰かからのメールを見る。
「作戦、上手くいきそうですね!」とメールが来ていた。そのメールの送り主の名前は、大塚木実。
「頼んだわよ。木実ちゃん。」
母親はありがとうと文字が書かれたスタンプを木実に送った。
潤と木実は自転車に乗って、どこかへ向かっていた。
坂道の影響で、風が強く、手袋をしていたにも関わらず、霜焼けしそうだった。
「こんなクソ寒い時にどこ行くんだよぉ!布団が恋しいよぉ!!」
「アハハ!だらしないなぁ。大丈夫だよ。もうそろそろしたら、あの場所に着くから!」
「結局ここかよ…。」
二人はとある飲食店の席にいた。ここは、二人が幼い頃からあるハンバーガー屋だ。
「ここ、冬限定のアップルパイあるからさ。晩御飯にはちょうど良いでしょ。」
「まぁな。」
しばらくして、店員が二人が頼んだハンバーガーのセットを持ってきた。
そして、二人は運ばれてきたハンバーガーにかぶりつく。潤のハンバーガーには、温かいコロッケが挟まれていた。
「あったか…。うま…。」
潤の頬は、少し赤くなっていった。コロッケを食べたおかげで、体温が少し暖かくなったのだろう。
そのままガツガツとハンバーガーを食べては、ポテトを口に運び、そして喉が詰まり掛けたらジュースをググッと飲み込む。
「やっぱ、うめぇな。」
潤の顔は自然に、笑顔を取り戻していた。
「フフッ。」
その笑い声の正体は木実である。
「なんだ?ずっとこっちを見つめて。欲しいのか?」
「いや、やっぱり、潤はこのお店のハンバーガーが好きなんだね。だって、前までの潤とは大違いだもん。」
「…うっせ。」
「でも、本当に良かった。だって…」
何かを言う直前に、木実はジュースを飲んだ。ストローから口を離すと、彼女は口を開く。
「ロロだって、アンタの笑顔が見たいはずだよ。」
潤は今の木実の発言を聞いて、ハンバーガーを口へ運ぶのをやめた。
ここで、今、彼の頭の中にある考えが浮かび上がる。
ロロは、死んだ後、どうなったのだろうか。
死後の世界は存在しない。
ただの作り話。全て偽物。潤はそう思っていた。
だが、生き物は死んだ後、どうなってしまうのか。
「なぁ。木実。」
「うん?」
「聞かせてくれ。死後の世界は、あるのか。」
らしくない質問に、木実はフフンと笑う。
「はぁ?」
「アンタ、最初はそれを信じてた奴のことを貶してたくせに。信じてるやつにそれを聞くなんてね。」
「…悪かった。」
木実はポテトを齧った後、潤に言う。
「信じるのも信じないのも。人の自由だよ。でも、これだけは言える。生き物は死んだら、天国に行って、幸せに暮らす。生き物には命、魂がある。死んだ人間の魂が天国に行くのは有名な話、それともう一つ。魂は、たまにこの地球に降りてくる。」
木実は潤に笑みを見せた。
「ロロは今、魂になって、潤の近くにいるかもしれないよ。今でも。」
今の木実の話を全て聞き終わると、潤の目から少し、涙が溢れ始めた。
「…俺、やっぱり、信じてみようかな。死後の世界を。」
「さっきも言ったでしょ。信じるのも信じないのも、人の自由。」
木実がそう言うと、急に潤は大口を開け、残りのハンバーガーを一口で食べた。
「え、ちょっ…」
あんのじょう、潤は咳き込み始めた。そして大慌てでジュースを飲み干し、安堵の表情を浮かべながらふぅと息を吐く。
「あっぶねぇ…。」
それを見ていた木実は、ずっと笑いを堪えていたらしい。だが、すぐに吹き出した。
「あっはっはっはっは!!何してんの!?馬鹿すぎない!?あっはっはっは!!」
「い、いや、ロロに俺は元気だぞっていうのを見せたくてさ。俺、もう一個単品で食ってくるわ。」
「もう一個食べんの!?」
いつの間にか、潤はいつも通りになっていた。
馬鹿らしく、面白い彼に戻ってくれたこと。木実はとても嬉しく思った。
「食ったなぁ。」
「流石に食べすぎ!ってか、ちょっと雪降ってきてんじゃん!早く帰ろう!」
店の外へ出ると、粉雪が微かに降っていた。二人は颯爽に駐輪場へ駆け出す。
だが、潤は足を止め、後ろを振り向いた。
一瞬だけ、誰かがこちらを向いていたような気がした。
「ねぇ!早く帰るよー!」
「あ、あぁ。」
木実の呼ばれ、潤はすぐに駐輪場へ向かう。
それから、一ヶ月が経った。
季節は春となり、そして、卒業式を迎えた。
潤は試験にも合格し、無事、努力は報われた。
そして、最後のホームルームが終わったあと、生徒たちは外へ向かう。生徒ほぼ全員が、目に涙を浮かべていた。
潤も木実も同じだ。
大切なクラスメイトや、面倒を見てくれた担任ともお別れとなると寂しくなる。
そして、
「おい潤!写真撮ろうぜ!」
「良いぞ。」
潤は友達に声を掛けられ、校門の前に集まる。
「母さん!写真ブレるのは勘弁な!」
「任せとけ!」
潤のスマホを両手で持ち、カメラで写真を撮ろうとする潤の母親。
「はい!チーズ!」
カシャッという音が聞こえた。どうやら、写真はちゃんと撮れたようだ。
「ありがとうかあさ…」
潤は母親に礼を言おうとしたが、それを止めた。
何故か、母親の顔は青ざめていた。
「えっと、どうした?」
「あぁ、えっと、これを見て欲しいの。」
母親は潤に恐る恐るスマホを渡した。
その写真には何故か、潤の足元に白い靄がかかっていた。
潤の背筋が凍る。これは俗に言う、心霊写真だろう。
彼の友達もその心霊写真を見て震え上がる。
「マジかよ…!怖え!!」
「潤!ちょっと撮り直そうぜ!その写真は霊媒師に見てもらった方が良いよ!」
友達が口々に言う。だが、潤の背筋はもう、凍っていなかった。
その後、潤が母親の車がある駐車場に向けて、木実と歩いていた。ずっと、さっき撮った写真を見ながら。
「ずっと、それを見てるね。怖くないの?なんでそれ、おばさんに送って貰ったの?」
木実が言うと、潤の目から突然、涙がこぼれ出てくる。
「怖くねぇよ。むしろ、安心したんだ。」
潤は、木実にその写真を見せる。彼女はその写真をじーっと見つめる。そして、何かに気づくと、笑みを浮かべた。
「なるほどね。良かったじゃん。」
白い靄は、潤の腰までの高さ。そして、靄の形が何処か、見覚えがある。
その靄は、座っている犬の形をしていた。
「きっと、ロロは潤のことが大好きだから、それと、潤が一歩成長したのが嬉しくて、ここに来てくれたんだと思うよ。」
潤はそれを聞くと、ポロポロと涙が溢れ出す。その写真が写っているスマホを大事に握りしめながら。
「やっぱり…死後の世界は…天国は…あるんだな …。」
いなくなったはずの家族に、不思議な形だが、こうしてまた会えることができた。
死んだ生物は生き返らない。だが、その生物は魂として生きていく。
その魂に家族がいるなら、大切な存在がいるなら、魂はそれらのもとへ向かうだろう。
木実は泣いている潤の背中を優しく押した。
「ほら!帰ろう。おばさんが待ってる。」
「…あぁ。」
それから、数年。
大学生になった潤は、とある墓地に出かけていた。綺麗な花を片手に。
そして、ある墓石が立っている場所で足を止め、そこに花を優しく供え、
合掌をした。
「また、降りてきてくれるか?ロロ。」
ここは、ロロの墓だ。潤は一ヶ月に一度、ロロの墓に訪れている。
また、この世に降りてきてくれるのを信じて。
「俺はもう、大人になった。これからも、俺、成長して、大きくなっていくから。それに、今日は一番、成長する日かもしれない。たまに、顔を出してくれよな。」
そう言い終わると、潤は立ち上がり、そのまま帰って行った。
「潤!私お腹減ってきたんだけど!」
「ごめんごめん!すぐそっちに行く。」
青い車の運転席に乗った木実が潤を呼ぶ。彼はダッシュで車に向かい、車のドアを開け、すぐに助手席に乗った。
二人は、付き合っていた。告白は木実の方からだった。
「で、飯はどこに行くんだ?」
「あのハンバーガー屋。」
「幾つになっても飽きねぇんだな。まぁ、あの店なら、ちょっと良いかもな。」
「え?」
「いや、別に。」
そういう潤は、ポケットを片手でいじる。そこには、黒くて四角い、リングケースのような物が入っていた。
ふと、潤は車のサイドミラーを見る。何故か潤は、そこで何かを見つけた。
ほんの一瞬、さっき訪れた霊園から何かがこちらを見ているような気がした。
あなたは、死後の世界を信じるか。 END
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