第7話 カフェオレと美少年と


 週が明け、月曜。

 朝のHRの時間が迫っていることもあり、校庭の自動販売機の周りには、鵜飼うかいしか居なかった。


「それはそれは面白いことがあったな、鵜飼」


 言うと、藤井ふじい一輝かずきは静かに缶カフェオレを啜った。

 藤井はいつも学ランの前ボタンを全て外して制服の白シャツを露わにしている。校内ではワリとよく見るファッションなのだが、藤井ほどの美少年だと『開放感によって春の微風をイメージした――』とかいうお題を意識しているように見えてしまうのだ。

 藤井の体型は細くて頼りないものだが、容姿に関しての欠点はただそれだけ。

 一言に美少年。すれ違う女子たちが「キャッキャ」言うのを隣で何度も聞いている。


「よかったな。取調室で女子にアプローチされるなんて、貴重な体験だろ」


 淡々と言った後、藤井はフッと見下すように笑った。


「……その様子だと、全く信じてないようだね、藤井は……」


 鵜飼はむくれながら、己の右手人差し指を眺めた。鵜飼の右手人差し指には、この前、神崎かんざきチカに付けられた、黒いテープが巻かれている。


「そうやって右手人差し指を見ることで、例のテープが巻かれている……という演技をしているわけか。あざといな、まったく」


「違うって!」鵜飼は藤井に右手人差し指を突き出した。「ほら、ここにゴツゴツした黒いテープが巻かれてるでしょ?」


 藤井は缶を片手に鵜飼の右手人差し指を見たり、摘んだりして確認したが、やれやれといった感じで首を横に振るだけであった。


「悪いが、何も巻かれているように見えないし、特別な感触もしない。これは重症だな、鵜飼。病院に行ってこい。まだ間に合うぞ」


「何でそうなるかな……」鵜飼はその場で脱力した。


「とにかく、厚生労働省の自殺じさつ予防よぼう総合そうごう対策たいさくセンターというものは実在している。現時点で俺が言えることはそれだけ――」


 藤井は先の言葉を飲み込み、鵜飼の顔をマジマジと見つめ始めた。


「……急に何?」


 気味悪がる鵜飼をよそに、藤井は鵜飼の顔をジッと見つめ続ける。その焦点が鵜飼のやや背後にズレているように見えるのは、気のせいだろうか。


「あのさ、急にどうしちゃったの?」


 藤井はやれやれといった感じでため息を吐く。


「おまえは人の気配に対しても鈍感らしいな。とりあえず振り向いてみろ」


 藤井はカフェオレの缶をゴミ箱に放った拍子、鵜飼の背後を指差した。鵜飼がつられて振り向いてみると、そこにはセーラー服を着た中学生ぐらいの少女が立っていた。

 短髪をワックスで所々跳ね上げたその少女は、鵜飼と目が合うと優しく微笑んだ。その少女が神崎チカであることを認識するのに、鵜飼は二、三秒ほどの時間をかけていた。


「うわ! キミ、何で僕の学校に?」


 鵜飼は思わず後退りし、自販機に背中を強くぶつけてしまった。


った……」


 背中を痛がる鵜飼に対し、神崎は柔らかな表情で会釈する。


「えっと『キミ』じゃなくて」鵜飼は痛む背中を擦りながら、「神崎……チカ……さん」


 彼女をどう呼べばいいのか分からず、鵜飼は継ぎ接ぎに名前を呼んでいた。


「鵜飼さん。私のことは『神崎』でいいですよ?」


「そう? じゃあ、神崎……。えっと、おはよう……」


「ええ、おはようございます」


 神崎は満面の笑みを咲かせた。


「あ、えっと、それで……神崎……何で僕の学校に?」


「ああ、それはですね――」


 神崎の言葉を遮るタイミングで、藤井がパチパチパチと、間の空いた拍手をした。


「なるほど。そういうことか、鵜飼」


 言うと、藤井は自販機に背中からもたれて腕を組んだ。


「鵜飼、彼女ができたならそう言えばいいじゃないか。何故こんなかたちでしか紹介できないんだ?」


 口に何も含んでいないはずなのに、鵜飼はむせてしまった。


「違うってば! さっき話したでしょ? この人が厚生労働省の人っ!」


「……彼女が? 例の?」


 疑心を抱くような瞳を当てる藤井。対して神崎は、至極柔らかな笑みを浮かべたのであった。


「とりあえず自己紹介をしてくれるか? 可愛らしいお嬢さん?」


 藤井は自販機から背中を離すと、神崎に向かって微笑んだ。その時、藤井のバックに赤いバラが咲き乱れたビジョンを鵜飼は見ていた。


「申し遅れました。私はこういう者です」


 神崎は藤井に名刺を差し出した。藤井は名刺を受け取ると、拳を口に当てて「ふむ」と深く唸った。


「……なるほど……。ありがとう、神崎チカさん」


 藤井は名刺をポケットにしまいつつ言った。神崎は軽く一礼してそれに応える。


「ところで神崎……今日は何でここに来たの?」


「そうですね。敵状視察、といったところでしょうか?」


 ワケの解らぬことを言うと、神崎は藤井の方をチラリと見た。


「ミステリアスだね、彼女」


 藤井は涼やかな視線で神崎を指した。


「すみません、今のは忘れて下さい。では鵜飼さん、金曜日の夜……あの夢の中で会いましょう」


 神崎は一礼すると、流れるように去っていった。それを見計らったかのようなタイミングで、キーンコーン……と、朝のHRの予鈴が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る