第8話 無理な選択


  気付けば、鵜飼うかいは教室で着席していた。

 他には誰も居ない。シンと静まり返ったこの教室は、約一ヶ月前から通い始めた高校の教室。着ている制服も、通う高校のものだ。

 教室の黒板には、赤いチョークでこう書かれていた。


吉沢よしざわミナミと、星川ほしかわ友喜ともきと、田中たなか奈々子ななこが誘拐された』


 書かれた名はどれも聞いたことすらないものばかり。

 どうやら例の夢に入ったようだ。


(……一応、教室を出てみようかな……)


 特に考えもなく、鵜飼は教室を出た。


「こんばんわ、鵜飼さん」


 廊下に出ると、すぐそこで神崎かんざきチカが出迎えていた。神崎は夢の中でもセーラー服を着ていて、短髪を所々跳ね上げたボーイッシュな髪型も健在。


「あ、こんばんわ、神崎……」


 ぎこちなく挨拶した鵜飼に対し、神崎は程良い笑みを咲かせた。


「鵜飼さん、この夢の概要について覚えていますか?」


「あ、うん……。自殺者を救えるんだよね?」


「そうです。そして、あなたが自殺者を救えば救うほど、鵜飼穂苗ほなえの蘇りに近づきます」


 穂苗の蘇りというキーワードを聞いて、鵜飼は自然と表情を引き締めていた。


「その顔を見る限り、説明を聞く準備は整ったと見受けますが……よろしいですか?」


 鵜飼が強く頷くと、神崎も頷き返した。

 廊下のど真ん中で、神崎の説明が始まる。


「ではまず、この夢の基本的なことを説明します。前に説明したことと被る点があるでしょうが、そこは目を瞑って下さいよ?」


 神崎は咳払いを挟んだ。


「さて、夢で誘拐された三人は、現実世界で自殺する人の一部です。あなたは彼らを救うことができますが、その中の一人しか救うことができないのです。つまり、あなたは三人の内、一人の命を選ぶのです」


「一人の命を……選ぶ……」


 命を選ぶ……。そう聞いて表情を凍らせる鵜飼を見てか、神崎は何かを諭すように頷いたのであった。


「確かに、今のあなたには難しいでしょう。命の選択は」


 心の中を読んだかのような神崎の発言に、鵜飼は「え?」と声を漏らした。


「知っての通り、人間は結構残酷な生き物です。ニュース等で人が一人死んだという情報を得ても、あまり関心を持ちません。『多少の犠牲』を知っても瞬きすらせず、次の日から何事も無かったかのように暮らしていく。それが正常です」


 神崎は所々跳ね上がった髪の毛をいじることで、独特の間を空けた。


「一方、あなたは理解しているでしょう。たった一つの大切な命を失ったことで、たった一つの命であっても……そう、世間にとっては『多少の犠牲』であっても、その命は犠牲者の家族にとってはかけがえのない『全て』であることを」


 鵜飼は小さく頷いた。


「そう……今のあなたは『多少の犠牲』を聞いても、遺族のことを考えると胸が苦しくなるでしょう。そんなあなたに一人の命を選ぶなんてこと、酷かもしれません」


 しかし、と神崎はとても真剣な表情で繋げる。


「あなたは今何を求めていますか? あなたの望みは何ですか?」


 穂苗の蘇生……。言うまでもないことだ。

 だがやはり、鵜飼には命の選択などできない。

 苦しいほどに分かるから……。家族を失う悲しさを……。

 でも、失った穂苗も取り戻したい。

 そのジレンマに、鵜飼は何も答えることができなかった。

 どうすれば……と、目を瞑り、胸に『心の手』を当てた瞬間、


『直道、さっさとジュース買ってきなさいってば♪』


『まーたそんなことでグズグズ悩んでるワケ?』


『バッカみたい♪』


 無邪気にはしゃぐ穂苗の笑顔が、脳裏を過ぎった。

 それが、鵜飼の『答え』だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る