君もいつかは誰かの花になる

※スピンオフ…1年後の父親視点の話




 ちょっと近頃の私の苦悩を聞いてほしい。

 いや、これはただの独り言なわけだが……娘を持つ父ならば、大抵一度は持つであろう苦悩というものだ。

 先日、私の3人いる子の上から二番目、17歳になる娘が正式に恋人を連れてきた。

 前から仄めかされてはいたが、相手は3歳年上で城に務めている料理人だと聞いた。平民ではあるが、優しそうな好青年であった。

 私はそれを歓迎した。

 野心があるわけでもなく子爵位の中でも弱小に数えられる私は、特に貴族間との結びつきというものは求めていない。彼の隣なら娘はきっと幸せになれるだろう。私の許しを得て花が咲き零れるように笑った娘を思い返せば、相手が平民でもなんら問題はなかった。 

 とはいえ内心、娘をどこの馬の骨とも知れない男に奪われることになんともいえない感情は胸に湧いた。

 別に相手が平民であったから蔑んでいるわけではない。相手がたとえ王子であったとしても、私は同じ感情を抱いたことだろう。

 父親というのは、きっとそういうものなのだ。

 可愛い娘を見ず知らずの男にくれてやるのかと考えただけで、無意識に握りしめていた拳で相手を殴りたい衝動に駆られてしまう。

 勿論娘の為に我慢はしたが、気を抜くと青年を睨んでしまっていたかもしれない。隣からこっそり私を小突いて窘める妻がいなければ、手を出さなかった自信はない。

 そういえば、一番上の19歳になる息子にも本気で好いている女性がいると聞いた。

 この息子もきっと、女性の父親に似たような感情を抱かれるのだろう。だがそれに関しては特に何も思わないのが不思議だ。

 勿論息子も可愛いが、これはきっと大人の男になるための通過儀礼のようなものだ。私も通ってきた道なので、甘んじて受けてきてほしい。


 さて、そこまではいい。


 どちらも年頃であり、むしろそういった話は喜ばしいものである。

 だが年の離れた末娘であるチェルシーに関してとなると、話は別だ。


(なぜ11歳の娘が、二十代後半のおっさんに恋をするのだ……!)


 溺愛している末の娘が、なぜか随分と年の離れた男に恋をした。

 奴も四十路過ぎの私におっさん呼ばわりされるのは心外かもしれないが、チェルシーから見れば二十代などおっさんのはずだ。


(それなのに! なぜあんな男を!?)


 思い出しただけでも頭を掻き毟りたくなってくる。

 実際には、私は腕を組んだまま難しい顔をしているだけだ。ただでさえ近頃は頭皮に不安を覚えかけているのだ。日々輝きを増しているように思える頭にそんな恐ろしいことは出来ない。

 ただでさえチェルシーが幼い頃、肩車をしてやるとよく髪を掴まれたせいで何本か抜かれたものだ。あの当時でも貴重だったが、今は更に貴重となっている。髪は女の命というが、年を重ねてきた男にとっても命であることを認めてほしいものだ。

 いや、今は私の頭の話はいい。個人的には重要な悩みだが、今はそれを上回る悩みが問題だ。


(確かに顔のいい男だった。それは認めよう)


 妻の一番上の姉である伯爵夫妻の家に、末娘のチェルシーを連れて出かけた時のことだ。あのときのことを思い返すと重い溜息が零れる。

 チェルシーはそこで出会った伯爵家の執事見習の男に、出合い頭に熱烈なプロポーズをした。


「私、あなたのお嫁さんになってあげてもいいわ!」


 よくないッ!

 全然まったく欠片もよくないぞ、チェルシー!

 思い出しただけで胃がキリキリと痛んだ。奥歯を噛み締めていないと叫んでしまいそうだ。

 一目惚れ、というやつだったのだろうか。

 幼い少女の心を一瞬で奪うほどには、整った容姿の男だった。それにチェルシーには年の離れた兄姉がいたせいか、少しおませなところがある。上二人の恋物語を聞いて、自分も背伸びをしたくなったのかもしれない。

 執事見習の青年は驚いたように目を瞠って、まじまじとチェルシーを見つめていた。

 唐突な出来事を理解できずに絶句して固まる私の前で、先に動いたのはその執事見習だった。

 チェルシーと目線を合わせるために、床に片膝を着く。

 銀の髪と青みがかった灰色の瞳は冷たいからは冷たい印象を受けたが、チェルシーと目を合わせて微笑みかけるとそれが和らいだ。チェルシーも一瞬、その笑顔に見惚れたようだった。私に似た緑の瞳を瞬かせて、食い入るように男を見つめる。

 まだまだ幼いと思っていた愛娘が、男にあんなにも熱の籠った視線を向けている……。

 このとき、私の心は瀕死状態で言葉も出なかった。

 そんな私の前で、執事見習の青年はやんわりとチェルシーのプロポーズを断った。

 当然のことである。しかしその断りに心底安堵した。

 10歳の少女のままごとのような恋に付き合えるほど、彼も暇ではないだろう。チェルシーがフラれたことは可哀想だが、こうやって成長していくのだと微笑ましさすら湧いた。

 このときは、まだ。


 それからのチェルシーは、しかし全然諦めなかった。


 フラれてもフラれても、ことあるごとに理由をつけて伯爵家に乗り込んでいく。

 本来ならば迷惑だろうが、伯爵夫妻は12年前に一人娘を事故で亡くされている。そのためか、母親似で伯母である伯爵夫人にも似たところのあるチェルシーが訪れることには、諸手を上げて大歓迎してくれていた。

 むしろこっちがチェルシーを押し止めていると、向こうから連絡が来る。


「チェルシーは今度はいつ来てくれるのかしら? チェルシーの好きなお菓子を手に入れたのよ。エメライン……娘の好きだった物と同じなの」


 淋しそうに言われてしまうと、こちらも同情が湧いてチェルシーを送り出してしまう。

 それにチェルシーも執事見習に出会って以来、苦手だった勉強を真面目にするようになった。「遊びに行くのを糧に頑張っているのだから、少しくらい良いじゃないの」と妻に言われてしまうと何も言えない。

 今では向こうの夫妻にもよく懐いていて、孫のように扱われているようだ。

 ただそれだけならよかったが、遊びに行っては執事見習に付きまとっているらしい。執事見習も迷惑がらずに丁寧に相手をするせいで、傍から見たら二人は息ぴったりのお嬢様と御付きの従者のようであるという。

 チェルシーの熱烈なプロポーズから、既に一年以上もだ。

 二人の姿はとても微笑ましいと屋敷の中で噂になっていると聞いた。おかげで私の白髪は増した。まだ白くなる髪が残っているだけいいと思うべきか。

 まだチェルシーの熱は冷めない……どころか、日に日に悪化している。

 伯爵家から帰ってきたら必ず私に報告してくれるが、その大半が執事見習へのノロケだ。「キースがね」「キースとね」「キースったら」……会話の中にキースという名前が出ない日が無い。

 語る時のチェルシーのはにかんだ笑顔はとても愛らしい。可愛がっている愛娘だから親の欲目も当然あるのだが、近頃どんどん綺麗になっていっている気がする。

 そんなにはやく大人にならなくても、お父様はいいと思うのだ。

 見ていて癒される反面、焦燥感を煽られる。


(なぜなんだ……っ。いったい何がそんなにおまえを突き動かすんだ!?)


 顔か!? 男は顔じゃないぞ!

 しかしあの後、あまりにもチェルシーが熱烈に執事見習に入れ込むので調べたのだが、彼は性格も良いのだという。

 孤児院育ちとはいえ10歳の頃から伯爵家に仕えていて、その頃から亡き伯爵令嬢と共に勉強して育ったらしい。冷たい顔をしているが内面は穏やかで忍耐強く、数年前までは他家で修業もしてきた程のとても真面目な青年だという。

 しかし、性格の問題でもない。

 お父様がもっとも気にしているのは奴の年齢なのだ、チェルシー! いったいあのおっさんの何がいいのだ! やっぱり顔と性格か!?

 それまでは「お父様が一番好き!」と言ってくれていたのに、あの男に会って以来、「お父様は世界で2番目に好きよ」に変わってしまった。

 1番は、いわずもがなあの男である。


(こんなはずではなかったのに!)


 遅くに出来た子で、自分の年齢的にも仕事的にも余裕が出来た頃に生まれた娘だから、上の二人よりも手を掛けてきた。なかなか眠らないチェルシーに本を読み聞かせながら寝かしつけるのが私の役目であり、上の二人には「チェルシーには甘い」と散々嫌味も言われたほどだ。

 可愛くて可愛くて、目に入れても痛くなかった。

 いつかはお嫁に行くのだろうと思っていた。しかしこんなに早く、運命の相手をみつけてくるなんて思いもしなかったのだ。


(……そのせいで、伯爵家からとんでもない打診が来ている)


 跡取りのいない伯爵夫妻は、チェルシーを養女に迎えたいと言ってきた。その上、執事見習であるキースを入り婿にしてはどうか、とまで仄めかされている。

 執事見習を婿にするのは横に置いておくとして、話自体はとても魅力的なものだ。たいした権力のない子爵令嬢、しかも次女だった娘が伯爵令嬢となるのだ。相手は近しい親族であり、チェルシーも懐いているので本人にとっても悪くない話である。

 こちらにも、相応の見返りがあると言われている。


(だが、私はそんなことの為に娘を手放す気はない)


 勿論、大事にはしてもらえるだろう。それは疑っていない。ここにいるより、恵まれた生活も送れるだろう。

 しかしその話は保留にしてある。せめてチェルシーが16歳の成人を迎えて本人が選べるようになるまで、返事は出来ないと告げた。

 それにチェルシーが16歳になれば、相手の男は三十路過ぎ。完全におっさんだ。

 チェルシーだって、目が覚めるかもしれない。

 以前チェルシーに現実を気づかせるべく、問いかけたことがある。


「チェルシーが16歳になる頃には、彼もおっ……大人として渋みを増してくる頃だ。チェルシーはそんな彼をどう思う?」


 お父様は経験者だからわかるが、三十路を過ぎるとちょっと加齢臭も気になってくる。体力だって落ちるし、顔もおっさんになっていく。そして頭だって禿げ……否、毛髪が心許なくなっていく可能性が高い。どれだけイケメンでもだ。

 しかし、その時のチェルシーの返事を思い出すと今でも目頭が熱くなる。


「年を重ねた顔もきっととても素敵ね! お父様みたいになっていくってことでしょう? 絶対かっこいいわ」


 眩しい笑顔でそう言われて、胸を突かれた様な気持ちだった。

 さりげなく私のことも大好きだと言ってくれているように聞こえて、それ以上の意地悪は言えなくなってしまった。


 それでももしかしたら、いつか心変わりするかもしれない。

 こんなに好きでも、別の誰かを好きになることもあるかもしれない。

 それともこのまま、「キースと結婚するわ」とそう遠くない未来にあの男を連れてくる可能性も高い。

 ……もしもそうなったら、色々不安にしかならないだろうが、それでも私はきっと祝福するのだろう。

 あの子が、幸せに笑ってくれるのなら。


(でも奴に「お義父さん」などと呼ばれたら、貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはないと言ってしまいそうだ)


 しかしそんなことを言おうものなら、「お父様は私達を認めてくれないの?」とチェルシーが泣き出しそうな顔をするところまで容易に想像できてしまった。


(泣きたいのは、お父様の方だよ……)


 実際に目頭が熱くなってきて、胸ポケットに入れていたハンカチを取り出す。

 歪にイニシャルが刺繍されたそれは、先日チェルシーがくれたものだ。恥ずかしそうに、「練習用に刺したのだけど……お父様にあげる」と差し出された。練習用というだけあって、けして出来がいいとは言えない。

 そしてチェルシーの手にはもう一枚、ハンカチがあった。私の視線に気づいてすぐに隠されてしまったが、キースのイニシャルが刺繍されたそれは私のより幾分か出来が良かった。

 つまりあっちが本命で、私の方は本当に練習用ってことなのだろう。


(練習用だろうと、あの子に一番に刺してもらったのは私の方だ)


 そんなくだらない優越感を抱く自分を見て、妻は呆れた顔をしていた。仕方ないじゃないか、大事に育ててきた可愛い娘なのだ。

 こんなにはやく他の男に持っていかれるなんて、夢にも思っていなかったのだから。

 そのとき不意に寝室の扉が開いて、寝支度を整えた妻が入ってきた。ハンカチを見つめていた私に気づいて少し呆れた顔をする。


「何を泣いていらっしゃるの」

「泣いてはいない」

「目が赤くなってらっしゃるわ。あなたは気がはやすぎね」


 妻は吊り目気味の瞳を細めると、「困った人」と苦笑しながら隣に腰掛けた。


「いつか、あの男の嫁に行くのだろうか」

「相手が誰であろうと、いつかはお嫁にいくわ」

「……納得できない」

「そんなこと言って、チェルシーが強請ればすぐ頷くくせに」


 ふふ、と妻が笑う。


「あなただって、私をお父様から奪ったじゃないの。お互い様だわ」


 悪戯っぽい瞳で覗き込まれると、ぐうの音も出ない。確かにその通りだ。

 隣に座る彼女を妻に迎えたいと頭を下げに行った時、私を出迎えた義父の不機嫌を隠しもしない表情が忘れられない。

 あの当時は若気の至りで、『わざわざそっちの都合に合わせて頭を下げに来たのに、なんだこのおっさんは』などと内心面白くない気持ちでいたが、今なら義父の気持ちが痛い程わかる。

 さぞかし私を殴りたかったことだろう。しかし義父は鋭い視線で私を威圧しながらも、屋敷の中にある一番いいワインを開けてくれた。その寛大さに、今は心から頭を下げたくなる。

 思い返せば、あの頃の私も同じ立場だったわけだ。

 当時の自分を思い返して苦虫を噛み潰したような顔をする私を見て、妻が小さく笑った。


「娘達がお嫁にいっても、私はずっと傍にいてあげますから」


 甘えるようにそっと肩に頭を預けてくる。


「欲張らずに、あなたは私で満足なさってくださいな」


 甘く優しい声が胸の奥に染み込んでいく。

 息を呑んで、少し反省して愛しい妻の肩に手をまわした。



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懲りずにあなたに恋をする 餡子 @anfeito

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