懲りずにあなたに恋をする
餡子
懲りずにあなたを恋をする
大好きな人がいた。
彼は伯爵令嬢である私が10歳の時に、孤児院から引き取られてきた同じ年の男の子だった。私専属の従者兼、後々は用心棒としての役割を求められてやってきた。
初めて出会った時はまったく感情を表さない子で、対応にとても困った。
なまじ銀髪に青味がかった灰色の瞳は温度を感じさせず、整った顔をしていたせいで余計に人形じみて見えたせいもある。
最初は優しく話しかけてみたり、自分のおやつをこっそり分けてあげたりした。
でも彼の感情は変わらない。
なんとかしたくて、今度は我儘を言って困らせたり、怒らせたりしようと試みた。
この辺りで、ちょっとだけ感情が出てくるようになってきた。
反応があることが嬉しくて、かなり我儘を言ったように思う。だけど私も嫌われたいわけじゃないから、彼にしてあげられることはしてきたつもりだった。
彼も一緒に勉強出来るよう、「キースが勉強しなくていいなら私もしないわ!」と我儘を言うフリをして巻き込む形に持っていってみたり。
彼に息抜きをさせてあげたくて、「街に遊びに行くわ。もちろんキースも付いてくるのよ。荷物持ちがいるんだから」と屋敷を抜け出してみたり。
街に出る度に行儀悪く買い食いしたりして、必ずキースの好きな物を私一人で食べきれないくらい買って、「もういらないからキースにあげるわ」とほとんど押し付けた。
素直に言えなくて、側から見たら私はとんでもなく我儘娘に見えていたと思う。
夜になる度、ベッドの中で「なんであんな風にしか言えないの!?」と自分を悔いて転がりまわったことは数知れず。
それでもキースは、いつしか苦笑いしながら私に付き合ってくれていた。
仕える私に逆らえないというのは勿論あっただろうけど、彼はちゃんと私の真意に気づいてくれていたのだ。
「俺はエメラインお嬢様にお仕えできて、幸せ者だと思います」
優しく微笑んで、愛しげな眼差しでそう言われて心臓がトクリと跳ねた。
出会って4年――この頃には、彼を好きになっていた。
忍耐強いところも、努力家なところも、そんな努力を見せずに澄ました顔をしてる意地っ張りなところも。
素直じゃない私の真意を汲み取ってくれることにも、私の我儘に懲りずに付き合ってくれる優しさも。
いつしか私の前でだけは、素直な感情を見せてくれるようになったことも。
「私、あなたが好きなの」
だからあの時、気づけばそう口走ってしまっていた。
私を見るキースの瞳は、ただの仕えるお嬢様に向けるには愛しさに溢れて見えていた。だから、考えてもみなかったの。
「……申し訳ありません、エメラインお嬢様。俺は貴女をそういう目で見られません」
告白を、断られるなんて。
「な、なんで? 主人だから? もしかして私が伯爵令嬢で、一人娘だから? それとも……我儘すぎるから!?」
よく考えれば、そのどれもがキースが私の手を取るには難しい理由だった。自分で言っておいて、顔から血の気が引いていくのがわかる。
でもお父様は優しい方だし、キースさえ良ければ入婿になっていただければいい。私の我儘は、素直になれるよう直すわ!
「いえ。俺は……実は、小さい子が好きなんです」
けれどキースの断り文句は、そのどれでもなかった。心底申し訳なさそうに眉尻を下げて言われた予想外の言葉は、私の耳を通り抜けていった。
信じられなかった。私を見つめるキースの瞳には、私と同じ感情があるように見えていたから。
だけどそれは私の願望による思い込みでしかなくて、盛大に勘違いしていたってこと?
「小柄な子が、好きなの……?」
言われた内容を反芻して、動揺しつつ震える声で訊き返した。
確かに私は14歳にしては身長は高い方。反して、キースは成長が遅いのか私より背は低い。でももう少し経てば私の身長は抜かされるだろうから、望みがないわけではないでしょ!?
一縷の望みをかけて見つめる私を沈痛な顔で見返して、キースは緩く首を横に振った。
「そういう意味ではなく……年下の、そうですね、10歳くらいの子が好きです」
そう言われた時の私の気持ち、わかる?
(嘘でしょ?)
目の前が真っ暗だ。
なんとか「そう……そうなの。好みは、人それぞれだものね……」と言うだけで精一杯。
キースは私の気持ちに対して、多分言いたくはなかっただろう好みを口にしたのだ。それはこの先どう足掻いても私では望みがないということを理解させる為の、キースなりの真摯な対応だったのだと思う。
その誠意ある対応を考えれば、糾弾なんて出来るわけがない。心の中でひっそり想う分には、悪いことではないのだから。
それにこの時はキースの予想外の好みよりも、自分がフラれたことに加えて、勘違いしていたことが恥ずかしくてそれどころじゃなかった。
頭がガンガンして、今すぐ穴に埋まってしまいたいほどの羞恥心が込み上げてくる。
おかげでその後の会話は、実のところあまり覚えていない。
――それからのキースと私はといえば、今までと特に変わることもなかった。
私はフラれたことなんて気にしていないフリをしていたし、キースは変わらず優しかった。
ただ私にあまり公に出来ない好みを暴露した安心感からか、更に私がフラれたことを気にしていないフリをしたせいか、出掛けた先で幼女に近い少女を見掛ける度に頬を緩めるようになった。
「キースはああいう子が好きなの……?」
「あれぐらいの頃が一番天使ですよね」
笑顔でわけのわからないことを言われる度に、胸を抉られるように感じた。いくら私が気にしていないように見えても、デリカシーないんじゃない!?
目を細めて愛しげに見つめる視線の先に、何度嫉妬したことか。
キースの好みは、黒髪か青い目で、つり目のちょっと勝気そうな女の子。我儘を口にしていたりしたら、尚良し。
(それなら私でいいじゃないの!)
私だって黒髪だし、青い目だし、キースに対しては勝ち気に振舞ってるし、とても我儘だと思うのに!
(年齢でダメだなんて……っ)
年齢なんて、どうしようもないじゃない!
私とキースは同じ年。私の方が数ヶ月上ですらある。
しかしキースが幼女趣味なことを知った後も、私はどうしてもキースを嫌いになれなかった。だってキースは好みの問題さえ除けば、これまで通り変わらず私の大好きなキースでしかなかったのだから。
それに幼女趣味なら、キースが誰かに恋をしても叶うことはまずない。
キースは私の恋人にはなってくれないけど、誰のものにもならない。
……自分でも歪んでいると思うけど、それに安心する部分もあった。
だって好きで、好きで、大好きで。キースもキースで、相変わらず紛らわしい眼差しを私に向けるから。
もしかしたら、いつか私を振り向いてくれるかも。
そんな期待が捨てきれなくて、そうして。
私はその翌年、友人の家の馬車で送ってもらう帰り道。たまたまキースが一緒にいなかったあの日、事故に巻き込まれて、呆気なく亡くなった。
(こんなことなら、諦めずにもう一度キースに好きだって、言っておけばよかった……)
そんな後悔を抱きながら。
――という自分の前世が、その人を見た瞬間、頭の中を駆け巡っていった。
(キース!? キースだわ……!)
母の一番上の姉である伯母夫婦の暮らす伯爵家に遊びに行こうと言われてやって来た私の視界に、懐かしい面影を見つけて息を飲んだ。
心臓が今までにない速さで脈を打ち、全身からドクンドクンと音が鳴り響いてるみたい。
視界に映るキースの姿は私の知っているキースよりもずっと上、20代半ばくらいに見える。けど私にキースがわからないわけがない。
急に頭の中に自分の知らない過去が飛び込んできたことに、当然混乱はある。でもそんなことを考えるのは後回しよ。
だってこんな偶然、もはや運命でしょ!?
「キース!」
出迎えてくれた伯母や伯父……それがかつての自分の両親だという事にも今更気づいて涙が溢れそうになったけど、今は恋心の方が勝った。
だってこれは、私の最期の後悔。
ここで立ち竦んでるわけにはいかない。
「チェルシーはキースに会ったことがあったかしら?」
「いえ、初めてお会いします。チェルシーお嬢様がお生まれになってから他家に修行に出ていましたし、こちらに帰ってきたのは一昨年ですから」
お母様が不思議そうに首を傾げる。初めて会うはずの今の私に呼びかけられて、大人になって執事見習いになっていたキースも驚きに目を丸くした。
キースには当然ながら、私がエメラインだとはわからない。そのことに少しどころでなくショックを受ける。
(でも怯んでなんていられない!)
以前の私と血が繋がっているから、今の私にも似たところはある。
背の半ばほど黒髪で、瞳はお父様に似て緑だけどお母様に似てつり目である。今度は兄と姉を持つかなり年の離れた末っ子だから、甘やかされて我儘にも育った。
そして、年齢はやっと10歳!
(今の私なら、あなたの好みのど真ん中よ!)
これはきっと、哀れな死を遂げた娘に神様がくれた希望。
「私、あなたのお嫁さんになってあげてもいいわ!」
そう疑いもせずにキースに人差し指を突きつけて、力いっぱいプロポーズをした。
今の私は子爵令嬢だし、上に兄と姉がいるから誰に嫁ごうと特に家の問題もない。何より、年齢がキースの好みのど真ん中! これでフラれるわけがない!
(今度こそ、私は恋人になれるのよ!)
絶句する両親と、驚いて目を見開く伯父と伯母が視界の端に映る。キースも目を瞠ってまじまじと私を見つめた。
嬉しくって声も出ないかしら!? 私はきっと、あなたの為に再びここに生まれ落ちたのよ。
「こんな可愛らしいお嬢様にプロポーズいただけるとは、身に余る光栄です」
真っ先に我に返ったのはキースだった。
私の前まで歩み寄り、視線を合わせるように片膝をついて優しく笑いかけてくれる。
「じゃあ……!」
「ですが俺では分不相応というものです。チェルシーお嬢様には、もっと素敵なナイトが現れますよ」
なぜかまたもやあっさりと大人の対応でフラれてしまい、私の頭は真っ白になった。
(なんで!? 今の私なら、キース好みなはずなのに……っ)
しかし、そこで諦めるわけにはいかない!
前に頑張らないで呆気なく死んでしまった私に、諦めるなどという選択肢はない。
最初は、もしかして伯爵夫妻と私の両親の手前、遠慮したのかも……なんて考えた。けれどそれはすぐに覆された。それからのキースは、私の告白に冗談でも頷くことはない。
しかしフラれてもフラれても、必死に食らいついた。
キースに向かって一目散な私に泣いて縋るお父様を振り切って、かつての両親である伯母夫婦に無理を言って事あるごとに伯爵家に乗り込んだ。
伯父と伯母はまるで昔の私が帰ってきてくれたようだと歓迎してくれる。それをいいことに入り浸り、ひたすらキースにアピールし続ける日々。
今日も今日とて、キースの出してくれたお茶とクッキーを齧りながら恨めしげな目を向けた。
ちなみにクッキーはキースの好物だから、2枚だけ取って「こんなに食べたら太るでしょ」と半分以上はキースに押し付けている。相変わらず、私は素直になれない。
それでもキースはちょっと嬉しそうに笑ってくれた。仕方ないなと言いたげで、だけど多分私の真意をわかってくれているんだろうと思わせる優しい眼差し。
(……私、あなたのその顔を見るのが好きだったの)
今も、好きなままなの。
そんな風に笑ってくれるなら、今の私なら、振り向いてくれたっていいじゃない!
「キースは私のなにがダメなの? 年齢?」
もしかして10歳でも遅すぎたの?
それとも、今は26歳になっているキースから見たら小さい子というのは、10歳じゃなくて16歳くらいになっていたりする?
(永遠に10歳以下がいいと言われたら、どうにも出来ないけど……16歳くらいなら待ってくれてもいいでしょ?)
こんなにもこんなにも、毎回、今のお父様を泣かせてまで頑張っているのに。
頬を膨らませて言えば、キースは苦笑いをした。私のよく知る、昔から変わらない顔。それを見るだけで胸が締め付けられる。
「年齢は関係ありません。チェルシーお嬢様は大変お可愛らしいですよ」
そうでしょ!? だって私、あなたの好みは知り尽くしているのだから! これでも頑張っているのよ!?
「じゃあなんでダメなの!?」
相手にされないのが悔しくて睨み上げると、キースが微かに懐かしそうに目を細めた。愛しげなそれに既視感を覚えて、一瞬息が詰まる。
「あまりはぐらかしてばかりいても、貴女を傷つけてしまうだけですね」
私が動揺した姿を見て、 キースは一度遠い目をした。そして苦い笑みを見せる。いつもの困って見える苦笑いとは違う、本当に苦い苦い笑み。
それからゆっくりと私の前に片膝を着くと、真摯な瞳で私を見つめた。
「実は俺には、好きな人がいるんです」
告げられた言葉に、頭が殴られたような衝撃を覚えた。
(そんな、そんなのって……っ)
キースの好みは知っていたけど、既に好きな人がいるとまでは考えてもいなかった。
だけど私だって、ここで負けてはいられない。
(私の方がずっとずっと、その子よりキースを好きだもの!)
「それはどこの幼女なのっ!?」
「なぜ幼女限定なんですか!?」
悔しくてやるせない気持ちが膨らんで、気づけば力一杯叫んでいた。そんな私に対し、キースが大きく目を瞠る。
なぜ? なぜですって!?
「だってキースの好みは10歳以下の小さな子でしょ!? 知ってるんだから!」
「一体なぜそんな誤解をされているのかわかりませんが……。俺の好きな人は、もうこの世にはいない人です」
「……え?」
衝撃の事実に言葉を失った私を見つめ、キースは寂しそうに微かに笑った。
「言っておきますが、幼女ではありませんから。……でも当時15歳でしたから、今から考えたらまだ少女ですが、俺も同じ年でしたからね」
心臓が、ドクリと跳ねた。
「とても大事な人だったんです。奇跡的に彼女も俺を好きだと言ってくれて、でも俺とでは身分差があって受け入れることが出来なかった」
静かな声で語られる言葉を耳に届くたび、ドクン、ドクン、と胸の下で心音が大きく響く。
「誤魔化すために、くだらない嘘を吐きました。そういえば年下の女の子が好きだとその時に言いましたね……。報われてはいけないと自分に言い聞かせて、そのくせ出会った頃の彼女に似た子を見ると目で追って、あの頃に戻りたいとばかり思っていました」
懐かしむように目を細め、泣きそうにも見える顔で笑う。胸が締め付けられたように苦しくなって、一言も発せない。だって。
15歳で亡くなって、キースと同じ年で、身分違いの相手なんて。
(ねえ、それって……もしかして、もしかしなくても)
「今思えば馬鹿なことをしました。あんなに早くいなくなるとわかっていたら」
(私のことなんじゃ、ないの?)
「俺も好きだと、言っておけばよかった……っ」
眉根を寄せ、懺悔のように苦しげに吐き出された言葉に、胸いっぱいに膨らんだ感情が抑えきれずに溢れ出す。
「そういうことをなんでもっと早く言わないのっ。キースのバカ!」
「……本当にチェルシーお嬢様の仰る通りです」
「まったくよ! 私があの時どんな気持ちで……っバカ! 本当にバカなんだから! キースの気持ちを知っても、私があの時死んじゃうのは変わらなかっただろうけどっ。でも……」
それでも、いやあのとき想いが通じなかったからこそ、私はあの時の後悔をバネに今こうして生まれ変わってきたのかもしれない。
今日という日を、この手に掴むために。
「え? あの、チェルシー、お嬢様?」
涙目になってキースを睨みような強さで見つめる私を見つめ、キースが狼狽えた顔をした。
動揺に目を瞠り、まさか、と言いたげな顔に指先を突きつける。
そうよ、そのまさかなんだから!
「生まれ変わってきてあげたんだから、今度は間違えないで!」
「……エメライン、お嬢様?」
そしてこんな時まで、やっぱり私は素直になれないけれど。以前言った言葉と同じ言葉を、迷うことなく口に乗せる。
「私が今度こそ、あなたのお嫁さんになってあげるわ!」
そう告げた私を、キースは息ができないくらい抱きしめた。
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