麻里子を月に連れてって

まさかミケ猫

麻里子を月に連れてって

――月面への移住者を募集しています。


 そんな立体映像ホログラム広告に、つい苦笑いしてしまった。

 というのも、私は今まさに月に向かうシャトルシップに乗っているところなのだ。


 同じ船に乗っているのは家族連ればかりで、女一人で移住しようとしているのは私だけだ。それで、携帯端末で暇つぶしの動画を垂れ流していたところ、月面移住の広告が表示されたってわけ。どう考えても宣伝費の無駄遣いだ。


「月面移住に関する広告は非表示でいいよ」

『かしこまりました。除外リストに追加します』


 科学技術が急速に進歩し、月面に人類の居住区画が建設されたのは約一年前のことだ。


 その立役者である天才・天宮あまみや 一星いっせいは、飛び級でアメリカの大学を出ると、数々の発明で資金を集め、自ら率先して月に移住した。そして、彼のおかげで人類の試験移住は成功し、ついに民間移住者の募集が始まったのだ。


 私はその第一陣に申し込み、どうにかその席を勝ち取った。


「元気にしてるかなぁ……天宮くん」

『天宮一星氏の最新ニュースを検索しますか?』

「あ、今のは独り言。拾わなくていいよ」


 私が天宮くんと出会ったのは、小学生の頃。当時の彼は本当に何でもできて、周囲から「神童」だなんて呼ばれていた。懐かしいなぁ。


  ◇


――地球とは、生命のゴミ箱である。


 天宮くんの発言の中でも特に印象に残っているのは、そんな言葉だった。

 あれはそう、小学校からの帰り道だったな。丘の上にある寂れた児童公園で、私は天宮くんと二人でベンチに座っていた。日が沈むギリギリの時間だったけれど、お互いに家には帰りたくなかったのだ。


「生命のゆりかご、じゃなかったっけ?」

「そんな生温い場所じゃないよ、地球ここは」


 当時の私は、ぽっちゃり体型……というか、まるまると太っていた。そして、そのことを周囲に悪く言われていた。


「でかまる子……だっけ。酷い呼び名だ」

「うん、落ち込むよねぇ。国民的アニメの主人公も似たような名前で呼ばれてるけど、どうしてあの罵詈雑言を普通に受け入れられるんだろう」


 私の本名が手賀てが 麻里子まりこだからか。せめて身長が低ければ、もう少し可愛げのあるあだ名が付いたのかもしれない。

 なんて考えながら、薄暗い空に浮かぶ月を眺める。


「天宮くんはいいなぁ……カッコよくて優しくて、勉強もスポーツも何でもできて。神童だもん」

「……その呼ばれ方もあんまり嬉しくないけど」

「そうなの?」


 私が問いかけると、天宮くんは憂鬱そうなため息を吐いた。


「僕が何をどんなに頑張っても、結果を出しても、神童だからで片付けられるんだ。最近では、頭が良い代わりに精神的に異常がある、なんて言われたりもするんだよね」


 えー、それは完全に偏見だろうと思うけど。

 だって天宮くんは、いつも私に優しくしてくれる人だ。周囲からの嘲笑に、苦笑いしか返せないような弱い私を、いつだって気遣ってくれる人なのに。


「僕はいつか、月に住みたいんだ」

「月?」

「うん。両親もずっとピリピリしてるし。僕を蹴落とそうとする人とか、利用しようとする人とか。そういう人たちがいる中で……もう地球ごみばこで暮らすのが、嫌になっちゃってさ」


 月を見上げる天宮くんの横顔に、胸の奥がキュッと苦しくなる。


「麻里子ちゃんと話してると、落ち着くよ。こんな地球の中で、君は透明なビー玉のように綺麗だから」


 うぅ……それは過分な評価だと思うよ。でも。


「ねぇ、天宮くん。私を月に連れてって」

「麻里子ちゃん?」

「私、強くなるよ。誰から何を言われても、大丈夫な人になる。頑張って痩せて綺麗になるし。勉強も頑張ってさ、月でも役立つ知識を身につけるよ。だから」


 だから、その時は私を。


「ん。分かった。月に行こうか。一緒に」


 天宮くんはそう言って、私の手をキュッと掴んだ。


  ◇


 シャトルシップを降りると、そこでは月面宇宙港の職員と、六分の一の重力の中で浮かぶ撮影用ドローンが待ち構えていた。私たちは順に自己紹介をする。


「――手賀麻里子と申します。専門は栄養学で、宇宙での食事について研究をしています」


 そうして私がペコリと頭を下げた時だった。

 人々をかき分けるようにして、今この世界で最も有名な天才が、私のもとへと駆け寄ってくる。


「麻里子ちゃん」

「天宮くん、久しぶり。身長もすっかり追い抜かされちゃったなぁ」


 私なりにけっこう頑張ったんだけど、少しは彼に釣り合う容姿になれただろうか。

 食べるものに気をつけて、運動を頑張るようにして、それから髪型も化粧も服装も研究して、私なりに精一杯の努力をしたんだけど。


「……綺麗になった、ね」

「なんか言わせちゃった感じ?」

「そんなことないよ。本当に、綺麗だ」


 顔を赤くする天宮くんに、私はゆっくり近づいていって。

 そうして、全人類が見守る中、私たちは唇でお互いの気持ちを確かめあった。きっと大きな騒ぎになるだろうけど、どうでもいい。


 私はただ、この寒々しい月面で、彼が凍えないよう側にいられれば、それで良いのだから。

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