第3話 ここにいる理由


「手際悪いぞ、回収時間ギリギリ。これで全部かよ」

「えっと、ゴミ屋さん?」


 文句を言ってきたのはテコナとあまり変わらない年頃の少年だった。歩きながら引っ張っているのは、木の箱に車輪がついたような物。たしかリヤカーというはずだ。現役で町中にいるのなんて初めて見た。

 びっくりして立ちすくんでいたらゴミ袋を奪い取られた。店専用ゴミ箱も鍵をカチャと開け、中身を空にしていく。


「じゃな」

「え、あの。お疲れさまです……」


 勢いに押されぼんやりこたえたらチラリと振り向かれた。でも何も言わず、他の店からも同じように収集しつつさっさと行ってしまう。

 勤労少年? 夜中に?

 でもそれを言えばテコナもマユもそうだった。やはりカタブキの常識はよそと違う。ここは労働基準法など適用されない街なのだ。




「それ、たぶんリンくん」


 マユとの帰り道は、夜中なのに街灯とLEDネオンで煌々と明るかった。

 客引きの黒服が電子煙草を吸ってサボっている。濃い顔立ちのアジア人と黒人が何語かわからない言葉で言い争い、その足元で女が倒れていた。マユが動じないので、テコナも必死で知らんぷりした。


「リンくん?」

「生粋のカタブキっ子だよ」

「この街の生まれってこと?」

「そう。えらいよね、ゴミ掃除はカタブキの治安維持部隊みたいなものだから」

「なにそれ」


 笑ってしまうテコナだが、マユは大真面目に説明してくれた。

 ここには食い詰め者がおおぜい流れ着く。ゴミをあさり、生きようとする連中もいる。すると散乱し放置されたゴミに、いろいろなものが集まってきてしまうのだと。


「ケガれたところには悪いモノがたまるでしょ。それにゴミ箱に死体捨てられたりするのは困っちゃうもんね」

「死体……」


 動物のだろうか。それとも人間かな。悪いものってなんだろう。当然のように話されることがテコナの頭にはしっくり嵌まらなかった。


「そういうのを防ぐための、掃除屋さん。リンくんは……たぶん跡取りじゃないかなあ」

「私と同い年ぐらいに見えたけど」

「大人になるまで生きてたら、だよ。今は修行中」


 大人になれないのが普通みたいな言い方をされ血の気が引いた。リンがもう社長なのかという意味じゃなく、若いのに大変だと思っただけなのに。

 マユは不思議な子だ。つかみどころがなくて、人なつこくて、芯がありそうだけど時々投げやり。十七歳だと言われたから学年はたぶんテコナと同じだと思う。なのに見てきたものはまったく別な気がした。


「マユは、いつからカタブキ町にいるの? なんでも知ってそう。でもカタブキ生まれじゃないんだよね」

「そうね、リンくんとは違う。あたしはまだ一年ちょっと」

「一年……」


 カタブキ町で、一年暮らす。デート屋のホステスとして働きながら。

 そうしたらテコナもこんな風になるのだろうか。でもテコナには男の人と話す仕事はできないような気がした。


「私、なにして働こう……」

「今日ちゃんとホールできたじゃない。しばらくそれでいいよ。そういうとこからお客さんの指名が入ることだってよくあるし」

「指名」

「そ。テコナ、細っこいもん。ロリコンから人気出そう」

「やだ」


 言下に否定した。二の腕にさざ波のように鳥肌が立つ。頬を硬くしたテコナを横目で見て、マユは細いため息をついた。


「だいじょうぶ、嫌ならやらなくても。あたしたちは守り合ってるって言ったでしょ」

「うん――」

「ここにいる人はみんな転がり落ちてきたの、低い方に。お客さんだって同じなのに、あたしたちを買えるみたいに思うのがバカなのよ。指名があっても応える必要ないよ」


 言い聞かせられて少し落ち着いた。

 二人の家であるビルに戻り、廊下を歩きながらマユはするりと腕を外した。テコナの顔をのぞくまなざしが心配そうだった。


「テコナはなんで家出したの?」

「え」


 不意を突かれて言いよどむ。天井の素っ気ない蛍光灯がジジと音をたて点滅した。


「……どうしてだっけ」


 自宅を出る時、何があったのだろう。テコナはふと絆創膏が貼りっぱなしの手のひらを見た。記憶はあやふやだ。

 蝶。

 赤い蝶。

 汚れた部屋。

 それだけじゃない。頭からこぼれ落ちたことが何かある気がした。あの時にシャワーと一緒に流してしまったのか。いやその前に目を開けた時から記憶は曖昧だった。


「わかんない……」

「そっか。まあいいよね、あたしはここにいるテコナが好きなんだから」


 マユは励ますように笑った。


 ――好きと言ってくれるひと。こちらからは何もしてあげられないのに、傷つけようともせず腕を引いてくれるひと。

 そんな少女に拾われて、テコナは今夜もカタブキで眠る。


 帰り着いたのは古びた会議室のような、広いだけの部屋だった。たぶん十人ぐらいはここに寝泊まりしていると思うが、揃わないのでわからない。女たちは昼夜を問わずてんでに出入りしていて落ち着かなかった。

 パーテーションを置いて個人のスペースが作られているのをテコナとマユは一緒にしてもらった。二人ぶんなので少しだけ広い床に敷き詰めたせんべい布団。ぺらぺらの掛け布団にもぐり込みながら、テコナはふと訊いてみた。


「マユがカタブキ町に来たのは、なんで?」


 テコナの家出の理由を訊かれるのなら、問い返してもいいだろう。それにマユのことをもっと知りたい。テコナの保護者のように振る舞う、カタブキでただ一人の友だちなのだし。

 でも。


「うーんとねえ。人を殺したから?」

「ひと、を」


 聞かなければよかったと、ちょっと思った。


「あ、これぜんぜん秘密じゃないよ。教えてもいいけど今は眠いから、こんどね」

「……うん。おやすみ」

「おやすみ」


 丸いお腹を抱えるようにして、マユはすぐに寝息をたて始める。ご飯を食べたあとは眠いの、と店がはねた時にも言っていた。その健やかさにつられ、テコナもまぶたが重くなる。

 もうなんだっていい。マユが人殺しだろうと、テコナにとってマユはマユだ。

 そう決めたら、テコナもいつの間にかぐっすり眠ってしまっていた。




 マユが動いた気配がしてテコナは目を覚ました。窓の外が明るいし、たぶん昼近い。もぞもぞと起き上がるとマユは着替えているところだった。ぷるんと下着からはみ出しそうな胸がやっぱりうらやましい。


「おはよ。あたし朝ご飯いらないけど、テコナは食べるよね?」

「ああ、うん」


 今日もこれから店に出る。仕事で食べるマユは、それまで腹をすかせておくのだった。テコナは昨夜まかないを出してもらったが、よく寝たのでお腹がすいた。ひとまず何か口にしないと働けない。

 面倒だからTシャツは着たきりでいい。少し稼いだら服とパジャマを買おう。パーカーをつかんだテコナの耳に口を寄せ、マユがささやいた。


「出勤前にカタブキの神さまにお参りに行こ」

「神さま」


 軽くうなずくマユは、とても楽しげだった。



 連れていかれたのは最初に出会った街角だ。ここはカタブキ町交差点というらしい。

 そういえばビルのすきまに鳥居のようなものが見えていた。あの時はほんのりと灯りがともっていたので気づいたが、日中はまったく目立たない。

 小道の入り口でマユはちょこんと頭を下げる。テコナも真似して一礼した。足を踏み入れるとズシリと空気が重くなったような気がした。


「ヒヒルさまはカタブキ町の守り神なの」

「ヒヒルさま?」


 聞いたことのない神さまだ。ふうん、としか言えずについていく。

 ビルとビルの間を抜けると細い木の鳥居があった。灯籠が立つ狭い敷地の奥には、祠。そして真ん中を占めているのは小さな池だ。

 暗く、静かな水。平たい飛び石がひとつ、岸のそばに浮いている。

 池のふちを歩くと、背中がそわりとした。湿った風が吹いても水の面にはさざ波も立たない。

 祠の屋根に掲げられた木の額には、墨で印が描かれていた。げじげじとした、虫のようなペイズリーのような形だ。


「この模様、なんだろ。字?」

「さあ。ヒヒルさまをあらわすんだろうけど」


 マユは微笑んで祠にも一礼した。踊るように池に向き直る。


「――あたしね、ここで仲間を殺したの」


 ほがらかに言われ、テコナは立ちすくんだ。


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