第8話 天災 / 人災
ルシアンがフィオナとの結婚を望む理由は、純粋な愛情からなのか。それとも、何か目的があってのことなのか――
フィオナはルシアンの真意を知りたいとは思いつつ、『名探偵セベット』にすっかり夢中になっていた。余計なことを考える余裕もなく、日がな一日、読書に明け暮れている。
というのも、一度二人で食事をしたきり、ルシアンが何日も屋敷を留守にしているせいだ。
「僕が戻るまで、これだけは守ってください」と、言い残して。
朝食の後、一時間、庭を散歩すること。
日中読書をする時は、テラスで日光浴をしながらにすること。
出された食事は、残さず食べること。
どれもこれも、フィオナの健康を気遣った内容だ。
「それを破ったら?」と、フィオナが聞いたところ――
「破らないように、使用人たちに命じてあります」――とのことだった。
つまり、フィオナがこの約束を守れなかったとなると、使用人たちの責任となる。その罰を受けるのは彼らで、フィオナではない。
自分のせいで使用人たちにどんな罰が下るのかわからないと思えば、フィオナも素直に従うしかない。
「約束します」としか、答えられなかった。
もっとも、一時間の散歩は面倒くさいとはいえ、一番大事な読書を禁じられたわけではない。ベッドの上か、テラスのイスで読むのかの違いだ。食事も本を読みながら片手で食べられるものがいいとメイドに頼んだところ、すんなりと許可された。
基本的に『フィオナが快適に過ごす』という前提があるので、よほどのことがない限り、わがままも通るようだ。
正直、幽閉生活に比べると、食事の内容が良くなっている分、さらに快適になっていると言わざるを得ない。
(……そういえば、ルシアン様は?)
そんなことを思ったのは、ちょうど『名探偵セベット』の最新刊を読み終わった時。ミステリー続きだったので、そろそろ恋愛小説が読みたくなって、本棚に手を伸ばした時だった。
二人で食事をしてから、何日が経ったのか。この六年、幽閉生活をしていたこともあって、時間の感覚がおかしくなっている。
「ねえ、ルシアン様はどうしているの? 出かけてから、ずいぶん経つと思うのだけど」
その日、夕食を運んできたメイドたちに聞いてみた。
相変わらずフィオナが声をかけると、怯えたようにびくりとする少女たちだが、質問が無視されるということはない。
「今頃は西方の戦線にいらっしゃるかと」と、先輩格のエマの方が答えた。
「戦線? もしかして、戦争中なの!?」
そんなことも知らないのかといわんばかりに、二人のメイドは困ったように顔を見合わせた。
「姫様が心配されるようなことはございませんわ。戦場は西の国境ですから、ここまで敵が攻めてくることはございませんので」
「ですから、姫様にはルシアン様がお帰りになるまで、ごゆるりとお待ちいただければと」
ハンナも少し慌てたように付け加えた。
戦争中だと知られたら、フィオナが怖がって逃げるとでも思われたのか。二人の返事は、フィオナが想定していたものではなかった。
「その戦争って、どういうものなの? ウルフェルト公国の西側というと、ボラッテス王国と敵対しているの?」
「いいえ、西側連合軍です」
フィオナの知らない話ばかりで、何をどこから質問していいのかもわからない。あまりにも基本的な情報が少なすぎる。
「ねえ、この六年の間に何が起こったのか、詳しい話ができる人はいないかしら? 書物でもいいんだけど」
「それでしたら、新聞をお持ちいたしましょうか?」と、エマが提案してきた。
「新聞?」
「事件や日々の出来事などが書かれている紙です。帝都で発行しているものなので、こちらに届くのは一日遅れくらいになりますが」
「読み物なのね。ぜひそれを読んでみたいわ」
夕食の後、早速新聞というものが運ばれてきた。毎日発行されているだけあって、六年分となると、テーブルに大山ができるほどの量だ。
(こ、これは読みごたえがありそうだわ……)
フィオナは一番日付の古いものを取り上げて読み始めた。
六年分の新聞とはいえ、中には広告やら有名人のゴシップなどの記事も入っていた。政治や帝国内外の情勢に関するタイトルを拾い読みすれば、時間のかかるものではない。それでも、フィオナが全部目を通すのに、優に三日はかかった。
ただ、その『新聞』に書かれていることが、どこまで真実なのかは、よくわからない。
「ねえ、ルシアン様が帝国の皇太子っていうのは、本当なの?」
朝食の後、日課の散歩に出たフィオナは、後ろを付き従う青年、護衛のヴィンスを振り返って聞いた。
ヴィンスは軍服がはち切れそうなほど筋肉隆々で、粗暴な印象を受けるが、根はお堅すぎるくらいに真面目らしい。
「はい、もちろんです」と答える声の抑揚も、まるで軍の上官に対するもののようだ。
フィオナからすると、屋敷の庭を歩くのに、護衛など不要としか思えない。門衛もいるし、庭を巡回する兵もいる。それでもヴィンスは律儀にも、毎日散歩に付き合ってくれる。
ルシアン様にそう命令されているからなのだろうけど。目を離した隙に、わたしが逃げるとでも思っているのかしらね。
いずれにせよ、ヴィンスがルシアンに忠実なのは間違いない。
(それにしても、まさかルシアン様が帝国の皇太子だったなんて……)
道理で『法を変える』などと、軽く口にできたわけだ。
新聞から得た情報によると、一昨年、ラグナータ帝国では伝染病が流行し、人口の半数近くを失った。その中には高齢だった皇帝と、五人の皇子も入っている。ルシアンはその頃、帝都から離れたウルフェルト公国で生活をしていたので、流行り病の難は逃れたらしい。
病の終息後、皇太子だった第一皇子が即位して、ラグナータ現皇帝になった。彼には子どもがいないため、第四皇子が新皇太子に選ばれた。しかし、その皇太子も去年、西側諸国の結成した連合軍との戦いで亡くなり、残っていた第八皇子ルシアンがそのまま立太子となった。
今、ルシアンは皇帝の名代として、ラグナータ帝国軍の指揮を任され、西側連合軍との戦いで最前線にいる。
「ルシアン様、大丈夫なのかしら」
「殿下はああ見えて、戦略・戦術に関して有能な方です。きっと無事にお戻りになられますよ」
ヴィンスは自分の主君が誇らしいのか、胸を張って答えた。
「そうね」と、フィオナも素直に頷いた。
フィオナをアングレシアの神殿から拉致した手際の良さは、確かに『有能』といえるかもしれない。あらかじめ情報を集め、フィオナが簡単に逃げられないように、逃げたいと思わせないように、外堀を固めているあたりも。
(でも、それは戦争においても通じるものなの?)
ここ数年、西側諸国の勢力がどんどん増している。ラグナータ帝国軍が撤退を余儀なくされたのも、一度や二度ではない。そのたびに勢いづく西側連合軍は、周辺地域との同盟をさらに進め、その勢力は帝国に匹敵するどころか、上回ってさえいるように思える。今、おされているのは、明らかに帝国の方だ。
それが単純に兵力の差であるのなら、まだ納得はできる。ところが、突発的に起こった山火事や地震といった自然災害が原因で兵を失い、退却につながったものがあった。前皇太子が亡くなったのも、戦死ではなく、地震でできた地割れに飲み込まれての不慮の死だった。
いつ、どこで起きるのか予測のつかない天災ならば、それも致し方ない。人災と違って防ぐことは不可能だ。にもかかわらず、被災したのは帝国軍だけ。戦場において近くにいたはずの西側連合軍には、ほとんど被害は見られない。まるで西側連合軍に味方をしているような天災が起こっている。それはもはや
唯一考えられるとしたら――
(精霊使いが『天災』を起こしている? だから、指揮官のルシアン様は、その力に対抗する手段として、災厄の精霊使いを手に入れようとしたのではないの?)
フィオナはバカげた考えを振り払うようにかぶりを振った。
(精霊の力は、人々を救うためにあるものよ。戦争に使えるはずがないわ)
人を傷つけるために精霊の力を使おうとすれば、精霊の怒りに触れ、精霊使いたちは逆に自分の身を滅ぼされる。唯一それを許す存在が、フィオナに宿っている災厄の精霊だ。
そう信じて疑う余地もないというのに、フィオナは不安にかられて、落ち着かなかった。
「ねえヴィンス、西方の戦線って、ここから遠いの?」
フィオナはすでに見慣れた庭の上に広がる西の空を見上げた。うっすらと白い雲がかかる青空は、遥か地平の彼方まで続いている。
「そうですね。ここからですと、馬車で早くても三日はかかります」
「それは遠いわね……」
万が一、精霊の力が働いていたとしても、ここから感じ取ることは無理そうだった。
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