第7話 本の中の世界 / 現実
「わたしのことを調べたルシアン様なら、知っているでしょう。どうして幽閉されているのかも」
フィオナの問いに、ルシアンは「もちろんです」と頷いた。
「でしたら、理解してもらえると思いますけど。わたしが精霊の力を封じたまま、精霊とともに少しでも早くこの世界から消えることが皆の幸せなのです」
「あなたもそれで幸せなのですか?」
「はい」と、フィオナは顔を上げて迷いなく頷いた。
「今までの生活に不満は一切ありませんし、死ぬまで好きな本を読んでいられればいいのです。逆にわたしが聖地を離れることで、どこかに災厄をもたらしてしまうことの方が怖いです」
どうしても譲れない思いがある。そんなフィオナの真摯な思いが伝わったのか、ルシアンは思案するように束の間押し黙った。
「ところでフィオナ姫、あなたの好きな本はどれも帝国で発行されたものですよね?」
突然話が変わって、フィオナは少々
「そうですけど……?」
「その本が帝国から輸入できなくなったらどうしますか? 『名探偵セベット』の続刊が打ち切りになったら? それでも今のままで幸せですか?」
目の前にいるのは、ラグナータ帝国の王族。学術書や実用書の類ならともかく、娯楽小説をアングレシアへの輸出を禁止にすることくらい簡単に思える。
「もしかしてルシアン様、それができる権力をお持ちとか……?」
フィオナは全身に冷や汗が噴き出すのを感じながら、恐る恐る聞いてみた。
「あなたがあくまで国に帰ると言うのなら、そういう措置もやむを得ませんが?」
ルシアンはフィオナの反応を楽しむようにニコリと笑った。
(く、くやしいわ……!!)
本を取り上げられてしまったら、あの最高の幽閉生活はもう送れない。死ぬまで何をしていればいいというのか。
「ルシアン様はこの世界がどうなってもかまわないのですか!?」と、フィオナは思わず声を荒げていた。
「かまいませんよ。あなたとともに生きられない世界なら、今ここで終わったとしても、何の悔いもありません」
躊躇なく答えるルシアンを見て、フィオナは開いた口がふさがらなかった。
どうやら『世界のため』であっても、フィオナを手放す気はないらしい。
(だったら、路線変更するまでよ)
「ルシアン様はわたしと結婚すると言いますけど、わたしに王女の身分はもうありません。皇族の方との結婚は認められないでしょう。わたし、側室や愛妾として、他の女性と寵を争うような結婚は承諾できません」
「この六年、あなただけを想ってきた僕が、そのような不実な真似をすると思うのですか?」
心外だと言わんばかりに、ルシアンは目を丸くする。
「その問いに答えられるほど、わたしはルシアン様のことを知りませんし……」
「フィオナ姫、あなたに信じてもらえるまで、何度でも繰り返しましょう。僕は一生をかけてあなただけを愛し抜くと誓います。そのためなら、法を変えることも辞さない。最悪、皇族を離脱しても、あなただけは幸せにしてみせます」
(……この路線もダメなの?)
ルシアンを納得させるほどに、フィオナの言葉に力がないせいなのか。真剣さにおいては負けているとは思えないのだが。
「ルシアン様の言う、わたしの幸せとはいったいどういうものなのでしょう? わたしは読書さえできれば、充分幸せなのですが」
フィオナは投げやりな気分で、運ばれてきた牛肉のグリルをナイフとフォークで切って、ぱくりと口に入れた。
血の滴るような厚い牛肉を食べるのも久しぶりだ。塩とコショウだけで味付けしてあるシンプルなものだが、その分、肉のおいしさが際立っている。思わず夢中で食べてしまったが、ルシアンに声をかけられて、はっと我に返った。
「ねえ、フィオナ姫」
ルシアンがとろけるような笑みを浮かべていることに気づき、フィオナは恥ずかしくなってうつむいた。
「……はい、何でしょう?」
「あなたをずっと見てきた僕からすると、実はとても好奇心旺盛な方ではないですか? 本の中の世界で満足しているのは、アングレシアという閉じられた世界にいるからでしょう。国を出れば、あなたの興味を引くものはたくさんあるはずです」
「それは……」
「本に出てくる汽車も、実際に乗って、どういうものか体感してください。海の魚も文章から想像するものと、実際に口にしてみた味は違いませんか? 外に出れば良いことも悪いこともありますが、喜びも悲しみも現実に体験してほしいのです。僕はそれがあなたの幸せにつながると思っています」
ルシアンの言葉には、フィオナの心を動かすものはあった。
今まで生きてきて嫌だったのは、王女として政略結婚をさせられることだけ。それくらいなら、王女の身分などいらないと思っていた。
だからと言って、他国に行くことに興味がなかったわけではない。いろいろな国を旅することができる精霊使いには憧れていた。本だけでは満足できない見聞を広げることができると。
現に、風の精霊使いになった二番目の兄、ディオンがそうだったのだ。フィオナは彼の旅の話を聞くのが好きだった。うらやましいとも思っていた。
(ルシアン様と結婚すれば、きっとわたしの好奇心を満たせる生活を送れるとは思うけど――)
「ルシアン様にとって、世界はどうでもいいものかもしれませんけど、わたしはそんな風に割り切れません。わたしのせいで誰かが不幸になることには耐えられないのです」
「話が戻ってしまいましたね」
ルシアンはやれやれといったように小さく笑って肩をすくめた。
「フィオナ姫、この六年あなたがつちかってきた価値観をすぐに変えられるとは、僕も思っていません。こうして言葉を交わしながら、あなたの気が変わるのを気長に待ちます」
「時が経てば、変わると思っているのですか?」
「もちろん。あなたが進んで僕と結婚したくなる日が来ると信じていますよ」
(本当にそんな日が来るのかしら?)
ルシアンの自信に満ちあふれた目を見ると、フィオナも頭から否定する言葉は見つけられなかった。
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