第5話 懐柔 / 誘惑

 フィオナが浴室を出ると、先ほどのメイドたちが用意してくれたドレスを身にまとった。


(う……なんだか気持ちが悪いわ)


 腰回りがゆったりとした淡いバラ色のドレスは、肩幅も袖丈もピッタリ。靴も測ったようにすんなりと足に収まる。


(まるでわたしの身体のサイズをすべて知っているみたいではないの)


 精霊使いとなって以降、白いもの以外を身に着けることはなかった。邪なものを寄せ付けそうで、かすかな恐れさえ感じる。


 久しぶりに鏡に映る自分の姿はといえば、骨と皮しかないほどやせぎすで、目が異様に大きく見えるほど顔もこけている。陽に当たらないせいもあって、亜麻色の髪も艶がなく、まるで老婆の白髪のよう。死人と言われてもおかしくない。唯一の改善点は、そばかすがほとんど消えていることくらいか。


 メイドたちは「お似合いですわ」と言っていたが、明らかにお世辞だ。


(普通に考えて、こんな気味の悪い女性と結婚したいと思う男性はいないわ!)


 たとえ六年前の約束が有効だったとしても、迎えに来た途端に回れ右をして逃げていくのが納得の反応だと思う。


 となると、ルシアンの本当の目的は、六年前の約束にかこつけて、フィオナの精霊の力を得ること、と考えるのが妥当になる。


 ルシアンはこの大陸を平定しようとしているラグナータ帝国の第八皇子。その中身が野心家だとしたら、災厄の精霊の力を手に入れて、皇帝の座でも狙っているのか。ならば、危険を冒してでも、フィオナを拉致する価値はある。


(でも……それなら、あえてわたしと結婚する必要はないのよね)


 それこそ、さらってきて牢屋に閉じ込めておいても、目的は果たせそうな気がする。


(これはいろいろ確かめることがありそうだわ)


 メイドに連れられて浴室から部屋に戻ると、それからじきに昼食が運ばれてきた。


 丸く焼いた手のひらサイズの白いパンにクリームとジャム、蜂蜜が添えられている。


「こ、これはもしかして、アカベリーのジャムでは!?」


 メイドたちは相変わらず怯えた様子なので、必要なこと以外は話しかけないようにしていたのだが、つい興奮して声を出してしまった。


「はい、その通りですが……」


 フィオナの勢いに気圧されたように、メイドが二人そろって頷いた。


「やっぱり!」


 お皿に添えられた真っ赤なジャム。アカベリーはアングレシアではジャムにするほどの量は採れない果物なので、食べるとしても生になる。そんな果実をふんだんに使ったジャムは、帝国からの輸入品。王宮を出てから口にすることはなかった。


(これ、大好物だったのよね)


 パンの香ばしい匂いにも空腹が刺激される。フィオナは早速ソファに腰かけて、半分に割ったパンにクリームとジャムをたっぷり付けて口に運んだ。


(ああ、どうしましょう。甘いものなんて、久しぶりだわ)


 口の中に広がるジャムの甘酸っぱさとまったりしたクリームを味わって、恍惚とした気分で頬に手を当てた。


 神殿での食事は基本的に質素だったのだ。甘いものといえば、果物くらい。南方大陸から運ばれてくる白砂糖を使ったお菓子やジャムは、王女という身分があったからこそ、口にできたものだった。


 なんだかんだで読書の方が優先だったので、こんな風に再び口にするまでは、思い出すこともなかった。


「お気に召されたようでよかったです」


 メイドたちはほっとした様子で、「ごゆっくりお召し上がりください」と、お茶をカップに注いだ後、部屋を出ていった。


 お腹がすいていたこともあって、フィオナは三つのパンを平らげ、お茶のポットを空にした。


 お腹が満たされたところで眠気に襲われるが、視界に入ってくる本棚の方が気になってしまう。ソファから飛び跳ねるように立ち上がって、そこに並ぶ本のタイトルを端から舐めるように見ていった。


(こ、こんなことがあっていいのかしら!?)


 そこにあるのは、読書好きを豪語するフィオナが読んだことがないものばかり。しかも、ミステリーが大半を占めている。お気に入りの『名探偵セベット』シリーズも十五巻までそろっていて、最新刊はつい一か月前に発行されたばかりのものだ。


「うっひゃあ!」と、思わず声が出てしまう。


(……あら? ちょっと待って。食事にしろ本のジャンルにしろ、わたしの好みを網羅しつくしていない? ドレスのサイズも合っていたし……)


 まるでフィオナをここから逃がさないように、用意周到に準備していたと思われる。


 こんな情報は一日二日で得られるものではない。かなり前からフィオナのそば――神殿の中に、間諜スパイでも潜り込ませていたということだ。おそらくフィオナの世話係をしていた女性神官のうちの誰かだったのだろう。


 そこまでしてでも、フィオナを懐柔しようとしているところを見ると、ルシアンの目的は、やはり災厄の精霊の力。狙いはそれ以外に考えられない。


(で、でも……すぐに何かさせられる感じはしないし、この最新刊を読み終わるくらいまで、ここにいさせてもらってもいいかしら?)


 『名探偵セベット』の誘惑には勝てない。


 フィオナはまだ読んでいない第四巻を取り出し、ベッドに寝転がってページをめくり始めた。






 ここがどこなのか、今何時なのかも忘れて、フィオナが本を読みふけっていると、ノックの音にさえぎられた。


「はい」と、本から顔を上げて応えると、開かれた扉からルシアンが顔をのぞかせた。


 昨夜の真っ黒な軍服姿と打って変わって、白いシャツにベージュのスラックスと、ずいぶん明るい色の軽装になっている。


「退屈させてしまいませんでしたか?」


「いえ、全然」


(……というより、続きが読みたいから、放置しておいてほしかったところよ)


 フィオナのそっけない態度にめげるということを知らないのか、ルシアンはふわりと優雅な笑みを浮かべた。


「夕食の準備ができたので、迎えに来ました」


「どこか別の場所で食事なのですか?」


「はい。今夜は特別な席を設けました」


(え、やだ、夜会とかそういうの?)


 ルシアンの服装は普段着のようなので、正式なパーティとは思えない。それでも、寝転がっていたせいでしわくちゃになったドレスやボサボサの髪が気になる。


 フィオナはせめてもと、手櫛で髪をとかしつけながらルシアンの後についていった。

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