第4話 精霊使い / 政略結婚

「僕はやることがあるので、いったん失礼させてもらいますね。また夕食の時間に会いましょう」


 ルシアンはそう言って、フィオナを部屋に運んだ後、メイドを二人残して出て行った。栗毛に琥珀色の瞳のエマと、赤毛に焦げ茶の瞳のハンナ。二人とも十代後半で、フィオナとあまり歳は変わらない。


 部屋には天蓋付きのベッドと、手の込んだ細工が施された美しい家具の数々。刺繍の鮮やかなカーテンまで、六年前まで王宮で使っていた自分の部屋を思い出させた。


 今まで幽閉されていた部屋と比べると、無駄なほど広い気がする。


(あの狭さが落ち着けてよかったのよね……)


 その中でも気になるのは、ぎっしりと本が並んでいる本棚だ。どんな本があるのか覗こうとしたところ、エマが声をかけてきた。彼女の方がハンナより年上で、先輩のようだ。


「あ、あの、フィオナ姫様、そろそろお昼の時間になりますが、お食事はいかがいたしましょう? それとも、先にご入浴されますか?」


 二人のメイドは戸口で身を寄せ合うように立っている。おびえた様子でフィオナと目を合わせない。その様子からうかがえるのは、ひとえに恐怖のみ。


(どうやらこのお屋敷では、わたしの素性は知られているようね)


 客人に対して失礼にもあたる使用人の態度だが、咎める必要はない。フィオナにとってはむしろ普通のことだった。


(ああ、ほんと、ルシアン様は何を考えているのかしら。わたしは招かれざる客でしょうに)


「先に入浴させてもらってもいいかしら?」


 昨夜から何も食べていないので、お腹はすいているものの、まずはすっきりしたい。ルシアンのせいで変な汗をたくさんかいて、このまま食事をする気にはなれなかった。


「では、どうぞこちらへ」


 案内された浴場は、神殿の泉に似た石造りの立派なものだった。地下からくみ上げている水を温めて、そのまま浴槽にかけ流しているらしい。


「あなたたちは下がっていいわ。一人で入浴することには慣れているの」


 フィオナのローブを脱がせようと、おっかなびっくり近寄ろうとするメイドたちがかわいそうだったのだ。浴室には桶や石鹸など、一通りの道具もそろっているので、一人でも問題はないだろう。


「そうでございますか……?」と、エマが不安そうにフィオナの顔色をうかがう。


「何か着替えるものがあると、ありがたいのだけど。用意してもらえるかしら?」


「かしこまりました」


 先を競うように浴室を出ていくメイドたちを見送ってから、フィオナは着ていた神官用の白いローブを脱いだ。


 浴槽に手を入れると、程よい温かさのお湯で、神殿の泉ほどではなくとも清らかさがある。肩まで浸かれば、身体から疲れが溶け出していくようだった。


「まさか、こんな形で国を離れることになるとはね……」


 フィオナが王女として生きていたら、十六歳の成人になっている今、二人の姉たちと同じように、他国の王族に嫁いでいた。


 とはいえ、援助されるばかりの弱小アングレシアの姫を正式な妻として迎える国はない。フィオナの姉たちも、それぞれ二つの国の王の側室になっている。


 そんな姉たちから送られてくる手紙には、ほとんど不平と不満しか書かれていなかった。


 田舎者だとバカにされる。正妃に意地悪をされる。他の側室たちとのいざこざが絶えない――などなど。


 二言目には『国に帰りたい』だ。


 その一番の原因は、人間関係のわずらわしさより、アングレシアとは違う空気にあった。


 息苦しいわけではなく、心のよりどころがない気がする。落ち着かない。草木は普通に生えているのに、精霊の力が感じられなくて奇妙だと――


(確かに、姉様たちが言っていた通りだわ)


 白い湯気の漂う宙に手をかざしても、精霊の力があまり感じられない。湯船の水の中にも残滓のような力が存在しているだけのようだ。


 それが苦痛とまで思わないのは、フィオナ自身が精霊をその身に宿す、『精霊使い』だからなのかもしれない。


 アングレシアでは、まれに精霊に選ばれ、その力を自在に使える者――精霊使いが現れる。特に精霊神をおやとする王族は、多くの精霊使いを輩出してきた。


 彼らは精霊の力を発現した時から、世界のためにその力を振るう役目を担う。各国の要請で、干ばつや長雨、山火事といった自然災害に派遣されるのだ。その謝礼として、アングレシア王国は、自国で生産できない物資や食料を得る。つまり、精霊使いたちはアングレシアの財政の一端を担う貴重な存在なのだ。


 王女として生まれたフィオナが、政略結婚から逃れるためには、精霊使いになる他に道はなかった。


『どんな精霊でもいいわ。どうかわたしを選んで』


 そう願い続けた結果、フィオナも精霊使いに選ばれたのは僥倖ではあったのだが――


 精霊使いが発現する力の形は、人の形から鳥や獣と、各々で違う。そして、それを現す色は、力の属性によっておおよそに分かれる。赤系等の色ならば炎や熱、青系統は水や氷に関する力――といった具合だ。


 その中でも黒で現される力は、不幸や呪いに関わる精霊によるもの。総じて『災厄の精霊』と呼ばれる。


 十歳の時にフィオナが発現した力は、漆黒の蝶。その身に宿ったのは、災厄の精霊だった。


 他の精霊使いたちが世界を救うのとは逆に、フィオナの精霊は世界を滅ぼす。


 最後に災厄の精霊使いが現れたのは、五百年ほど前。精霊に選ばれた少年は、その身に宿る膨大な力を制御できず、ついには一つの国を滅ぼしてしまった。


 周辺諸国はアングレシア王国の宣戦布告とみなし、あわや戦争になるところだった。少年を処刑することで戦争を回避することはできたものの、精霊の怒りを買い、大陸の半分を飲み込む大波が襲った。沿岸にあった国がいくつも滅び、その後も塩害で何年も不毛の地となり果てた。


 以降、アングレシア王国には手を出してはならないと、このハルスワナ大陸では暗黙の了解になっている。


 おかげでこの五百年、アングレシアは戦禍に見舞われることなく、平和な時代を続けられている。


 一方で、五百年前の災厄は、どの国でも歴史として刻まれている。災厄の精霊使いが現存していると知られたら、他国はその脅威に警戒する。もしくは、兵器ともなりうる強大な力を手に入れようとするかもしれない。


 アングレシア側としても国際関係を乱さないために、フィオナの存在は秘しておかなければならなかった。


 フィオナは精霊の力を使わないように、その力を誰にも使わせないように、神殿に幽閉されることになったのだ。


(まあ、わたしとしては他国に嫁がなくて済んだし、読書三昧の生活が手に入ったから、精霊には感謝しかないけど)


 精霊神のもとでは悪意が浄化されると信じていたからこそ、フィオナは自分に宿る精霊の恐ろしさは気にならなかった。実際に精霊の力を行使する必要もない。死ぬまで精霊とともに精霊廟に閉じこもっている限り、誰も不幸にすることはない。


 しかし、このようにルシアンに国から連れ出されてしまった今、その前提が覆ってしまう。


 フィオナの意識の有無に関係なく、災厄の精霊の力が漏れ出てしまうのではないか。いつの間にか世界のどこかに災厄をもたらしてしまうのではないか。不安にもなってくる。


「わたしは誰の不幸も、世界の滅亡も望まないわ」


 少なくともこの六年、聖地アングレシアにいる間は何事もなかった。ならば、やはり自分はあの地を離れるべきではない。


 とはいえ、ルシアンに帰してくれと頼んだところで、銃をこめかみに突きつけられ、『ならば、死にます』にしかならないような気がする。


 ルシアンが本気なのかどうかは別としても、『どうぞ勝手に死んでください』とは、口が裂けても言えない。万が一でも自分のせいで誰かが死ぬ事態は耐えられなかった。


(どうやってルシアン様を説得すればいいのかしら……)


 ため息しか出なかった。

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