第3話 10(終)
「改めての繰り返しになるのだけれどね」
リニアが落ち着いた口調で語り始める。
「私の見立てではね。カップの回転はやはり、ある目的にそって行われたと考えるのだ妥当なんだよ」
そんな口上を垂れながら、カウンターの上へと目を向けるリニア。
釣られるようにして、私の視線も自然と問題の一客へと吸い寄せられる。
「ある目的、ですか?」
オウム返しに口ずさめば、すぐ隣に立つ彼女が軽く頷く気配を感じた。
「そう。先に話した『何となく』などという曖昧なものではなく、カップの持ち手を右側へ向けるという行動には、もっとハッキリとした理由があったはずなのさ」
つまりはその目的とやらが、もう一つの可能性という分けだね、と。
静かな口調で告げられるリニアの言葉に耳を揺らしながら、私は改めて考える。
もう一つの可能性。
このやり取りの始まりで、話半分だった私に向けて、リニアは可能性が二つあると明言して見せた。
そうして最初の一つ目を『何となく』だと銘打ちつつも、しかし自らはその可能性を良しとはせず。
それならやはり、まだ語られていない二つ目の可能性とやらが、彼女の本命と言ったところなのだろうか?
リニアが続ける。
「右腕のないお客さんが、左手を使ってカップの持ち手を右側へと向ける。そんな些細な行動に意味があるのだとすれば。
ではそれがどんな目的であれば、こんな状況が出来上がるのか?」
今更ながらに、改めて現状を把握するかのような文言の羅列に、私としてはそんな事よりもまず先に問いただしたい事柄があるものの。
とは言え変に話の腰を折ったりすれば、予想外の寄り道を始めかねない彼女の性質はよく知っている。
なのでここはぐっと堪えて、敢えて口を挟まずただ静かに耳をすます。
「その謎を紐解くために目を付けるべきは、やはりカップの足元に付着していた飲みこぼしの汚れという事になるのだろうね」
リニアの発言に引きずられて、私の視線がカップと受け皿の境目へと吸い寄せられてゆく。
「こうして見る限り、受け皿の上にできた飲みこぼしの跡は、わずかではあるけれどカップの足元にまで達している。そしてご覧の通り━━」
絶え間のない言葉を重ねつつ、リニアがカップに向けて手を伸ばす。
そしてそのまま持ち手に指をかけると、カップを受け皿の上でくるりと半回転させた。
そして言う。
「反対側の足元には、飲みこぼしの汚れが付着した形跡は見受けられない。間違いないね?」
同意を促された。
これは先程にも食い入る様にして確認した事柄には違いなく。
ならば取り立てて噛みつく必要性も感じられず、私は「はい」とだけ短く返す。
その返答を受け、リニアは一つ満足げに頷くと、重ねて言葉を連ね始める。
「これも繰り返しになってしまうけれどね。スプーンが残した痕跡を見る限りは、受け皿はそのままに『カップのみ』が向きを変えられたと考えるべきだ」
粛々と積み上げられていくリニアの言葉は止まらない。
「となればやはり。カップの足元に付着した飲みこぼしの汚れは、反対側はもとより、回転に合わせてもっと広範囲に及んでいそうなものだ。
そのはずなのに、実際にはこの状況。ではなぜ━━」
なぜ汚れは広がらなかったのか?
言葉尻で、一際に強調して告げられた、疑問を告げる高らかな一言。
思う。
確かにこれも、私が先立って感じていた疑問の一つには違いなかった。
問いかけてみる。
「それで結局のところ、貴女はそれをどう考えているのですか?」
少しばかり、他人任せに過ぎる発言だったのかもしれない。
微かに湧き上がってくる、一丁前な自己嫌悪感。
そんな私を前にして、リニアが小さく微笑んだ。
「答えは意外と単純だよ。普通にあり得そうな手順だったらこうはならない。それならやっぱり、”普通じゃない”手順を踏んだという事なのだろうねぇ」
朗らかに語られたリニアの発言。
その中で繰り返された、短な単語。
(普通じゃ、ない?)
胸の内で小さく反すうしてみても、だけれどやっぱり私には理解が出来なくて。それがどうにも、我ながらもどかしく思えて仕方がなかった。
そんな私を尻目に積み上がっていく、意気揚々とした彼女の自説。
「右腕のない、あのお客さん。彼は注文したコーヒーを楽しみながら、同時にある事を知りたくなった」
ん?
と思った。彼女が今度は何を語り始めたのかが、またしても私に理解できなかった。
リニアが続ける。
「ただの趣味なのか、はたまた職業柄なのか。どうして彼が、そんな事に興味を持ったのかまでは知れないけれどね。彼はある物を確認したくなったんだ」
「確認、ですか?」
「そう。そのために、ちょっと”普通”とは言えないような手順でもって、カップの向きを反対側に入れ替えることにしたのさ」
そんな言葉を垂れ流しながら、リニアは再びカップに向けて左腕を伸ばす。
「それじゃあ簡単に、その時の様子を再現して見せようかねぇ」
そう言うと、カップの持ち手に左手をかけて、そのまま持ち上げる。
困惑のまま何も言葉を挟み込めず、私はただただリニアの動きを視界に揺らす。
リニアが言った。
「彼はまず、左手を使って届けられたコーヒーを存分に楽しんだ事だろうね」
持ち上げたカップを口元へと添える真似をするリニア。
何だか楽しげに見える姿が、少しだけ腹立たしい。
「程なくコーヒーを飲み終えて、空になったカップを受け皿の上へと戻す。そうしてその後に、ちょっと確認してみようなんて事を思い立ったのだろうね。
それでカップを手に取り、軽く覗き込んでみたものの。しかし、これでは正しく見れそうもない」
んんん?
何ですか? リニアは一体、何の話をしているのですか?
「これは困った。より正しく確認するためには、どうしてもカップの向きが不都合だ。
ならばと言うことで、不便ではあるけれども、彼は持ち手が右側を向くようにカップの向きを入れ替えようと考える」
絶え間のない発言を重ねながら、左手に持ったカップを受け皿へと戻すリニア。
「そのために一度カップを受け皿へと戻し、その上でカップだけを半回転させて、クルリと向きを入れ替える。
さぁ、ここまでくれば後は簡単だ。彼は左手でカップを上から鷲掴みにし」
んんんんん?
「そのまま受け皿の上で、カップを大きく傾ける」
お?
「受け皿の中に飲みこぼしが出来たのは、恐らくこの時だろうね。いくら飲み干したと言っても、それでも多少は中身が残るのもだよ。
たとえ空のカップでも、大きく傾ければ僅かな中身がこぼれることくらいは、容易に想像がつくだろうさ」
だからせめて、微かな残りが受け皿の中へとこぼれるようにと。
彼は彼なりに気を使い、受け皿の上でそんな行動をとったのかもしれないね、などと。
そんなリニアの言葉を聞きながら、しかし私の頭の中は今、まったく別の話題でもちきりだった。
(傾ける?)
眼の前でカップを軽く傾けて見せた、そんな彼女の動作につられて引きずり出されたのは、一体いつの記憶だったか?
そう。あれは確か、つい数日前の出来事だったはずです。
『どうだい、見えない部分にまでこだわったんだよぉ!』
否が応にも思い出した光景。
それは出来上がったばかりの特注カップをひっくり返してはしゃぐ、上機嫌なリニアの姿に他ならず。
(嘘でしょ?)
もう私はリニアの戯言なんてどうでもよくて、思わず彼女に向けて右手を伸ばす。
「ちょっと貸してください!」
ついつい声が荒げてしまったが、今はそんな事はどうでも良かった。
「うわっ」
あまりに突然な私の行動に、リニアが驚いた顔を見せるが知ったことか。
私は半ば強引にリニアからカップをもぎ取ると、兎にも角にもカップを丸ごとひっくり返す。
そして。
(んぁ……)
とうとう現れた光景を前にして、何とも形容しがたい感情を持て余す。
何となくではあったけれど、見覚えがある気はしていたのだ。
伝票の裏に書かれていた、行商人さんの覚書。
それを一目見た瞬間に、どこかで見たことある気がするなと感じてはいたのだ。
しかし、よもやそれが、
(こんな、ところ、に)
あるなどとは、思いもよらなかった。
こうして今、改めて目の当たりにしたカップの裏底。
そんな白地の中心に、あたかも工房印のごとく焼き付けられている歪な三角形を凝視しながら、私はワナワナと震える。
リニアが言った。
「ああ、ようやく気がついたんだねぇ。良かった良かった」
私はまさかと思いつつも、しかし聞かぬわけにもいかず。
だから小刻みに震える声でもって、リニアに向けて問いかけてみる。
「あの。ちなみにこの裏底の印、デザインは誰が?」
するとリニアは、呑気な口調で答える。
「何を言っているんだい。さっきも言ったじゃないか、私が描いたって。何せ私の特注なのだから当然だねぇ」
ああ、何てこった。
(こだわったって、そういう……)
当時は気にも掛けなかった彼女の言葉。
その意味を噛み締めつつカップの裏底を睨みつけていれば、リニアが畳み掛けるように発言を上乗せしてくる。
「どうやら気がついたようだから今更かもしれないけれど、それでもまぁ一応は、終いまで話しておこうかねぇ」
そうしてリニアは語る。
右腕のないお客様。彼はこのカップ自体に興味を持ったのではないか、と。
「少しでも冷めにくいようにと、背丈も厚みも特注したものだからね。ちょっと”こっち”では見かけない形の物だとは思うよ。
この手の代物に興味があるのなら、珍しい形に惹かれて、ついつい裏底にある銘を確認してしまうなんてことは、別に珍しい話でもないさ」
でしょうね。
「それで彼は、カップをひっくり返してみようと思ったのだろうね。ところがだよ? やってみれば判るだろけど、持ち手を左側に向けたままひっくり返すと、裏底の刻印は上下が逆になってしまう。
より正確に、裏底のマークを確認する。ましてや書き写そうとするのなら、どうしたって取っ手は右側に向けた方が好ましい」
だから、カップの取っ手は右側へ向けられたのだと。リニアはお気軽な口で紡ぎ上げる。
そして。
「彼は、わずかに残った飲み残しを受け皿の中へと垂らした後。
そのままカップをひっくり返したまま受け皿の上に置いて左手を自由にしてから、裏底に描かれていたそのマークを伝票の裏に覚書としてしたためた」
そして最後に、カップの上下を戻して受け皿の上に戻したことで、この一客の状況が完成したのだろうね、とリニアはのうのうと語り上げる。
そして最後には、
「もっとも。最後にカップを受け皿へと戻す際に、持ち手を右側に向けたままだったのは。まぁそれこそ『何となく』だったのかもしれないけれどねぇ。
なにせ、一度カップを上から鷲掴みにした経験がすでにあるのだから、そんな行動に出てしまうというのもあり得ない話ではないだろうよ」
そんな言葉で締めくくられた、リニアの仮説。
その一部始終に耳を揺らしながら、私はぼんやりと考える。
(じゃあ、あのお客様は今頃、覚書を片手に━━)
商売の種にでもなれば、と。一風変わった茶器の製造元を探して、この王都を練り歩いていたりするのだろうか?
まあ、リニア作のへんてこマークを工房印の類かと勘違いすれば、そんな展開もなくはないかと。
有りもしない目印を頼りに冬空の下を彷徨う、そんな彼の姿に思いを馳せてみれば、同時にふと気になった。
問いかけてみる。
「ちなみにこのマーク、何を描いたのですか?」
「ええぇ? 分からないのかい、酷いじゃないか」
酷くないやい。
「ほら、よく見てご覧よぉ。三角形は、以前君にプレゼントした例の帽子じゃないか」
あれか、クソが。
「更にその上から、当店の看板猫さんをあしらってみたのさ。
もっとも、焼き上げてみたら形が崩れて、随分と分かり辛くなっちゃったけれど、どうだいカワイイだろう?」
今度ハンス君に頼んで、このデザインの吊り看板でも作ってもらおうかねぇ。
そんな戯言を聞き流しながら、なぜだか私は深く深く、今日一番のため息を吐き出すのでした。
第三話 裏返された三角形 完
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しょうもないお話ではございましたが、お付き合いいただけた方、本当にありがとうございました!
クロネコ魔法喫茶の推理日誌 花シュウ @hana_syuu
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