第3話 09
「それで頼まれて、その伝票を渡してしまったというわけだねぇ?」
私の語った、お会計の際の一幕。
一枚の伝票が消え失せるに至った経緯を聞き終えたリニアの問いかけに、私は答える。
「はい。お渡しした事を覚えておけば、特に問題ないかと思いまして。勝手な真似をしてしまいました」
そうして言葉尻に「すいません」と付け加えれば、リニアは左手の束をカウンターの上にバサリと放り出しながらこう言った。
「まぁ別に構わないさ。カフヴィナの言う通り、一枚で一品の注文くらいなら、忘れなければ取り立てて業務に支障もないだろうからね」
私の勝手な判断を特に気にする素振も見せず、リニアは「そんな事よりも」と発言を重ねてくる。
「伝票の裏に書かれていたこと、思い出せるかい?」
うっ、と思った。
言うまでもなく。何せ一瞬目にしただけなのだから、とてもではないが正確に記憶などしているはずもない。
ともすれば。
思い出せるか思い出せないかで問われたなら、それこそ『何となく』と答えるのが関の山と言った程度だろう。
(随分と変な形をしてましたよね)
実際こうして思い起こしてみても、浮かんでくるのは歪んだ三角形程度の代物くらいで。
それ以外にも何やら書き足されていたような気がするのだが、その辺りはまったくと言って良いほどに記憶の中から出てこない。
と言うか。
(仮に思い出せたとして、それで勝手にペラペラしゃべっても良いものなのですかね?)
何となくだったけれど。
たまたま目にした第三者の覚書を、微妙に当事者から外れていそうな彼女に向かって伝えてしまうことに、微かな抵抗感を覚えなくもなかった。
そんな感じで一人悶々と頭を悩ませてみれば、ところがリニアは急かすように問いかけを重ねてくる。
「ふぅん。どうだい? 最初の一文字とか、こんな単語が入っていたとか。些細な事でもよいから、何か覚えていることはないのかい?」
おっと?
「ああいえ、文章とかではなくて」
咄嗟に彼女の思い込みを訂正しようとするも。
しかし、まだ先の悶々に結論が出ていないこともあり、私は慌てて繋げるはずだった言葉を飲み下す。
ところが。
「文章ではない?」
あ。
「とすると。前のような一文字だけとか、はたまた数字か、それとも記号か。要はそういった感じのメモ書きだったのかなぁ?」
む。勘の良い人ですね、まったく。
「ええと、その。何と言いますか」
(別に話してしまっても構わないとは思うのですが……)
だけれども。何とも微妙に踏ん切りがつかないのが、我ながら少しだけ悩ましく思えた。
と。
「なぁんだい? 何にも覚えていないのかい? それとも、出し抜けに個人情報のリテラシーにでも目覚めたと言うつもりかい?」
こじ? りて?
聞き覚えのない単語の登場に、一瞬だけ本題から意識を逸らされるも、しかし。リニアが続けた次の台詞に、
「まぁ、それでも。私としては、何かしらの記号やマークと言った類のものだったのではないかと推測して見せるのだけどねぇ」
はい?
何をどうすれば、そんな推測が成立するのか理解できず。
ついでにその推測が当たっている現状が、嫌と言うほどに理解できない。
寝耳に水な状況に戸惑う、そんな私の内心がお顔に出てしまったのでしょうか?
「おや? 当たりかい?」
ぬっ!?
何故でしょう。こうなってくると、俄然として教えたくない気持ちが胸の内よりあふれ出てきま──
「三角形だったよね?」
「はいっ!?」
しまった! おもくそ顔に出てしまった!
「それも、少し縦長で上の方がヘニョヘニョと歪んだ奴だ」
何それ怖い。
「それでもって、その三角形の上から何かが書き足されていると言った感じかな?」
どうだい? と。問われた私に返す言葉など有りはしない。
そんな私に向かって、
「どうやら、当たっているみたいだねぇ」
と、やたらと楽しげな微笑みを浮かべる彼女。
笑顔がとんでもなく美人なことは認めるが、発言内容が果てしなく気持ち悪いのですが?
(正体は、そんな類のモンスターか何かでしょうか?)
いっその事、退治しておいた方が良いのかな、などと。
取り留めの無い思考に揺られながらも、ただただその場で困惑するばかりな私。
リニアが発言を重ねる。
「しかし、そうなるとだ。やはり私の推測は正しかったらしい。
あのお客さんの行動が私の考えていた通りだったのなら、カップや受け皿に残されていた状況の全てに、説明を付けることができるだろうからねぇ」
私の耳を、リニアの語る意味不明な言葉がものすごい勢いですり抜けていく。
「つまりだよ。やはり彼は『何となく』などではなく、明確な意図を持った上で、カップの持ち手を右側へと向けたと断定できるわけだ。
いやはや、これは実に有意義な証言だったよ、カフヴィナ。お陰で自分の仮説に確証が持てたのだからねぇ」
色々と、何だか気になる台詞が乱れ飛んでいるのだけれど。それより、それより、そんな事より。
「す、すいません、リニア。まず、その──」
何と問えば的確なのかすら判然とせず、どうにもこうにも言葉を詰まらせるしかない私。
そんな私に向けて、リニアが助け舟とばかりにこう言った。
「ああひょっとして。どうして覚書の内容を私が知っているのかが気になるのかい?」
首を縦に振る。それはもう、ブンブンと振り回す。
そんな私に、リニアが言った。
「何を言っているんだい、カフヴィナ。私に分からないわけが無いじゃないか。
何せだよ? そのマークを描いたのは他でもない、この私なのだからねぇ」
淡々と粛々と、だけれどとても楽しげに響いたリニアの回答。
私はもう、いっそのこと仰向けにひっくり返ってしまいたい衝動に駆られながらも、それでもどうにか踏みとどまり、途切れ途切れになりながらも何とかいつもの言葉を絞り出す。
「つ、繋ぐ、努力を……」
もう後半は聞くに堪えない状態だったが、それでもリニアに私の意図は届いたようで。
「ああ、そうだねぇ。カフヴィナの証言で、ようやく答え合わせが出来る段階までこれた分けだし。じゃあ、そろそろ始めようか」
何かの開幕を宣言したのだった。
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