告白と告白
三下のこ
私を理解して、あなたを理解する
教室に着いたらまず、カバンを置いて友人たちが集まる席に向かう。そして昨日の夜は何してたーとか、推しがどうのこうのーとか、そんな中身のない話をするのが、私の毎朝のルーティンになっていた。
友人付き合いっていうのはとても難しい。
相手に踏み込みすぎると傷つけられてしまうかもしれないし、離れすぎたらそもそも友人と呼べなくなってしまう。
友人との話題が一区切りついたのを見計らって教室の前にある時計を見る。すでに本鈴の鳴る三分前となっており、あたりを見渡すと先ほどまで閑散としていた教室も既に人でいっぱいになっている。
友人たちに別れを告げて窓側の後ろにある自分の席へと戻る。そして椅子に座って一息ついた。
今朝も彼女らとは当たり障りなく会話できたと思う。これも全部昨日の夜にネットで友人たちが興味のありそうな情報をチェックしたおかげだろう。そのせいで少し寝不足だけど、それも仕方ないことだと思う。
みんなの話についていけなかったら、いじめられてしまうかもしれない。
頑張ってみんなに合わせないと、仲間はずれにされて、ひとりぼっちになってしまうかもしれない。
昔みたいになってはいけない。そんな強迫観念が常に私の中に潜んでいるのだ。
だから、友人にドラマを勧められたら興味が無くても見て、感想を伝えてあげる。休日に買い物へ行こうと言われたら、面倒でも絶対に行くようにする。
そうやって、波風立てずに学校生活を送っていた。クラスの中では上でも下でもない、中途半端なカーストにいて、男女関係なく誰とでも仲良くする。そうすることで誰にも目をつけられず、ひとりぼっちになることは絶対にないから。
机の中から一時間目の授業に使う教科書やノートを取り出すと同時に本鈴の鳴る音が聞こえる。そのチャイムの音と同時にクラスメイトたちは自分の席へと戻っていく。小学校の頃は本鈴が鳴っても席に戻らない子とかいたけど、さすが受験で入るような学校だ。中高一貫校でもあるためそれなりに真面目そうなイメージがある。
授業の準備が終わり、あとは先生が教室に来るのを待って授業を受けるだけ。誰にも気を遣わない楽な時間が始まる。そう思っていたところに声がかかった。
「辻さん、おはよう」
隣の席からここ最近の悩みの種が話しかけてくる。
「……おはよう。中村くん」
私の考えてることなど全く知らない中村くんが今日も話しかけてくる。
中村 新太。一ヶ月前のクラス替えで隣の席になってから私によく話しかけてくる男子。
それだけならちょっと面倒だけど別に嫌ではない。でも問題なのはそこじゃ無かった。
「辻さん、気になる映画があるんだけど、今度の休みに一緒に観に行かない?」
「ごめん、行けない。今週は予定が入ってるから」
「それは……仕方ないか。また今度誘うね」
中村くんは私を何回も遊びへ誘ってくる。最初の頃は丁寧に理由をつけて断っていたけど、何回も聞かれすぎて最近は返事が雑になってきている。
中村くんが女子だったら別に遊びに行ってもよかった。でも中村くんは男子だ。下手に遊びに行ってクラスで噂になったら変に注目を浴びてしまうだろう。
そうなってしまったら、もしかしたらみんなにバレてしまうかもしれない。
実は私が人間じゃなくて、コウモリということが。
私たちコウモリの種族は山奥にある集落で隠れながら暮らしている。
人間にバレないようにしながら自給自足で暮らしていて、たまに街に下りては必要な雑貨などを買い揃えている。
人との大きな違いはその見た目、横に長く広がるふさふさの耳だった。普段は人間の耳に擬態しているため、直接触られるか自分からバラさない限りはバレることはない。あとは耳の良さとかだろうか。人間より多くの音を繊細に聞き取れるらしい。らしいというのも、人間の聴力がどのくらいなのかわからない。
私は現在、二人のお姉ちゃんたちと一緒に人間界で隠れて暮らしている。だから私の正体がバレたらお姉ちゃんたちにも迷惑がかかるし、そもそも私自身が無事でいられる保証がない。実際にバレたことのある同族の話は聞いたことがないけど、噂によるとどこかの実験施設に連れていかれて幽閉されるとかなんとか。そんな生活は是非とも遠慮したい。
「あの……辻さん」
中村くんが恐る恐ると言った様子で話しかけてくる。そっけない態度を取られても会話を試みようとするのは諦めが悪いというかなんというか……。
「どうかした? もう少しで先生も来るしあんまり長話はできないけど」
これは私からの最大限の譲歩だ。遊びには行かないし目立つようなことはしない。でも中村くんが悪いわけじゃないから、軽く雑談するくらいなら別にいいかなって。
何様なんだって感じだけど、こっちにだってそれなりの事情がある。
「辻さんって好きな飲み物とかある?」
「え、飲み物?」
「うん、飲み物」
確かに雑談くらいはいいとは思ったけど、流石に話の脈絡がなさすぎやしないか。映画館に誘ってきたから、てっきり好きな映画とかの話をしてくるのかと思った。
「私の好きな飲み物なんて聞いてどうするのさ」
「いっいや、別に。何か美味しい飲み物ないかなーって」
あからさまに怪しかった。普通の人は突然そこまで仲良くない人に好きな飲み物を聞いたりしない。
「熱々のおしるこが好き。特に夏の暑い日に飲むおしるこがとっても美味しいからオススメ」
「あー、そうなんだ。ありがと辻さん」
もちろん嘘だ。おしるこなんて飲んだことない。
好きな飲み物なんて聞いてどうするのかわからないけど、とりあえずおしるこなら色々と大丈夫だろう。買おうとすればコンビニとか自販機でもたまにしか見ないし。、ネットとかでよく見る選んだもので性格を診断するやつだったら、おしるこなんて選択肢は無いだろうし。
それにしても中村くんは変な人だ。何考えてるかよくわからない。
私の好きな飲み物を聞いて満足したのか、中村くんが前に向き直した。その直後に教室へ先生が入ってきて、いつも通りの何も変わらない一日が始まった。
お昼のお弁当を友人の席で食べたあと、自分の席に戻って一人で自習をしていた。
勉強は嫌いじゃない。一人で居ても変に思われないし、周りに気を使う必要だって無い。それに、ここの学校は頭がいいからなのか同じように自習をする生徒が多いため全然目立たない。
一人になりたくないという気持ちがあって、正体がバレたく無いという気持ちもある。本当はみんなと一緒に笑いたいのに、その気持ちを押し殺す自分がいる。気持ちがそれぞれ反対の位置にあって、自分の行動に矛盾めいたものを感じてしまう。
いっそのことどちらかに振り切ってしまえば、そんな矛盾など無くなるのだけど。自分の中のどこを探してもそんな勇気は持ち合わせていなかった。
いじめられていた過去を受け入れる勇気もなければ、自分を受け入れてもらう勇気もないのだ。
中途半端な私だから、友人関係も中途半端になって、お互いを心から理解し合える人が居ないのだろう。
「辻さん」
声をかけられた方を振り向くとそこには中村くんがいた。手には何故かおしるこの缶を持っていて、熱そうに右手、左手とおしるこの缶を移動させている。その時点で私は今朝言ったことを後悔する。
「どうしたの? というかそのおしるこは何?」
「高等部の方の自販機で買ってきた。俺の奢りだから」
おしるこの缶が机の上に置かれる。置かれた瞬間にコツンという缶特有の音が鳴る。
「はぁ……というかなんで急に?」
この際どうしておしるこなのかは聞かなかった。それよりも、すでに五月なのにまだおしるこが売っていることに驚きだ。今後嘘をつくときはもうちょっとマシな嘘をつこうと心に誓う。
「なんか元気なさそうだなって思って」
「私が?」
「そう、辻さんが」
中村くんがポケットからオレンジ味の缶ジュースを取り出し、プシュリと開けて豪快に飲む。私もできればそっちがいいんだけどな。流石に五月に熱々のおしるこは辛いものがある。
それはそうとして、元気なさそう、か。
学校で何かそれらしいことをしただろうか、いや思い返す限りはしてない。それに表情だって変に悟られないようにいつも気をつけているつもりだ。
それでも中村くんに気付かれるということは、自分が思っているよりも負の感情が表情に出ているのかもしれない。
「そんなことないよ。体調も元気だし」
普段よりも笑顔を意識する。そして、いつも通り自分を隠す。
「でも、前にお姉さんたちと一緒にいるのを見かけたけど、その時より元気がなさそうに見える」
中村くんに言われて動揺する。
確かにお姉ちゃんたちといる時は学校と比べて素の自分でいられる。その時と比べて元気が無いと言われてしまっては、その通りとしか言えない。
下手に言い訳して話を長引かせて、変なボロが出ても良くない。
ここは素直にありがとうと言って話を終わらせようと思った時、中村くんが続けて言ってくる。
「それに、関係あるかはわからないけど……辻さんっていつも誰かと居るけど、なんか寂しそうな顔してるし」
「……寂しそうって?」
「んー……寂しそうというか、みんなと一緒にいるのにひとりぼっち、みたいな」
ぐらりと頭の中で何かの揺れる音がする。私がひとりぼっち? そんなわけが無い。だって話せる人はたくさんいるし、休日だっていつも誰かと遊んでる。
心の中の一番入って欲しくない場所に、土足で入られている気分だ。
「ははっ、何それ。面白く無い冗談。私いつもいろんな人と話してるし、毎晩誰かとメッセージとか通話とかしてるし、だから中村くんの勘違いじゃない?」
何ムキになってるんだろう、私。だってたかが知り合って一ヶ月ちょっとの中村くんに私のことなんてわかるわけないのに。私のことは私が一番よくわかってるはずなんだから。
「なんか、ごめん。怒らせたなら謝る。でも本当に何か悩んだりしてるなら、俺でよければ話ぐらいは聞けるから」
申し訳なさそうな目をしながら、中村くんがこちらを見つめてくる。その瞳に浮かんでいるのは心配なのか、もしくは私への憐れみなのか。
「悩むって何? 別に悩んでなんかないけど。そもそも中村くんに私の何がわかるの?」
明らかに冷静じゃない。そんなのは誰が見たって明白だった。頭に血が登っていく感覚がすると同時に周りからの視線も感じたような気がして、私の中に焦りが募る。 このまま中村くんと話を続けては変な注目を浴びることになってしまう。
少しだけ冷静さを取り戻した私に対して、中村くんはどんどんと縮こまっていく。
「辻さんのことは……全然わかんないけど。だけど、もっと知りたいとは思ってる」
弱々しい様子ながらも、声だけは堂々としていた。でもそんなことは、今の私には関係ない。
「バカみたい。もう話しかけないで」
捨て台詞を吐いて、無理やり会話を終わらせる。少しは冷静になれたと思ったのに、そんなことは無かったらしい。
机に置いてある教科書に視線を移す。頭に何一つ内容は入ってこないけど、気を紛らわせればなんでもよかった。
横から小さく「ごめん」と聞こえた後、ガラガラと椅子を引く音も一緒に聞こえてくる。
それと同時に、私の心にちくりと何かが刺さるような感覚がした。
◆
その日の帰り道は、罪悪感と一緒だった。
家について真っ先に自分の部屋に行って、カバンを放り投げてからベッドに倒れ込む。
頭の中では、私のことを心配して色々と言ってくれたのはわかっていた。でも感情の方が追いついてこなかった。
中村くんからひとりぼっちって言われて、その通りだと思った。今まで友人たちに合わせていたのが全部無駄だったのかな。なんて、そんな気分になった。
本当は私だって薄々気がついていた。みんなから一歩下がった位置に自分がいて、本当はひとりぼっちだって。
私はその事実に気づくことを拒んでいた。気づかなければ、こうやって辛くなることも無かったから。でも本当のことに気が付かなければ、勘違いしたままの歪な幸せに一生囚われることになる。果たしてそれは幸せと呼べるのだろうか。答えなんて知るわけないし、知りたくもない。本当のことから目を逸らし続けて、そのまま眠り続けたかった。
「音羽」
ノックの音ともに奏音お姉ちゃんの声が聞こえる。どうぞと一声開けるとドアを開けて隙間から顔だけ覗かせる。
「音羽、今から学校に行ってくるから、留守番よろしく」
「わかった。気をつけてね」
奏音お姉ちゃんは三姉妹の二番目で一番のしっかり者、いつもは無表情で何考えてるのか読みにくいし、突拍子のないことをよくするけど、自分の意見はしっかりと言える、私の尊敬する姉の一人だ。普段は夜間の高校に通っており、昼間は趣味兼バイトのメイド喫茶で働いている。
私の返事を聞いてすぐにドアを閉めようとするも、途中で止まる奏音お姉ちゃん。すると今度は部屋の中にまで入って来た。それに合わせて私も何事かと上半身だけ起こしてお姉ちゃんの方へと体を向ける。
「どうしたの奏音お姉ちゃん」
何も言わないまま無表情でじっとこちらを見つめてくる。私もどうして見られてるのかわからず、困惑してしまう。
「音羽、元気ないけどどうかしたの」
「あ……、はは、流石にお姉ちゃんにはバレるか」
「うん、いつもと違って、落ち込んでるように見えた」
一緒に過ごしてきた年数のせいなんだろう。お姉ちゃんたちには隠し事なんて出来なかった。
「そう、だね。落ち込んでるというか、自己嫌悪というか……」
今回の件に関しては大部分が私のせいだ。図星を突かれて逆ギレして、八つ当たりしたのだ。だから、本当のことが言いづらくて言葉に迷う。
そんな私の姿を見て察したのか、奏音お姉ちゃんがベッドに腰を下ろした。
「言いづらいなら、言えるようになるまでここで待つ。どうせ学校行くの面倒だし」
こういうところは奏音お姉ちゃんらしい。気になることがあれば、やらなきゃいけないことなんてそっちのけ、昔からやりたいことだけをやるような人だ。定時制の高校に通ってるのも、趣味のロリータファッションを自作するため、将来的に服飾の専門学校に行きたいかららしいし。
自分のやりたいこととか、自分の意思とかを一番に考えて行動できる奏音お姉ちゃんは、やっぱり私の憧れだ。
「わかったよ。奏音お姉ちゃんをきちんと学校へ行かせるためにすぐ話す」
そして私は、今日中村くんとの間にあったことを全部話した。
中村くんに怒ってしまったこと、酷いことを言ってしまったこと。私が色々と話をしている間、奏音お姉ちゃんは相槌だけして、黙って聞いていてくれた。
そして全てを話し終わった時には、私の心は少しだけ軽くなっていた。
「それで、音羽はどうしたいの」
全ての話を聞いて、奏音お姉ちゃんは私に問いかける。
そういえばそうだった。
私が悩んでいる時、一番上の羽奏お姉ちゃんは私に寄り添ったアドバイスをくれて、奏音お姉ちゃんは答えを一緒に探してくれる。二人とも、それぞれの優しさで私のことを見守ってくれている。
私がどうしたいか、それは。
「……謝りたい。中村くんに謝って、それで……」
それで、どうするのか。謝ってそれで、終わりなんだろうか。
ひとりぼっちは嫌だ。でも正体はバレたくない。
中村くんと仲直りだけして、そしていつもの日常に戻る。友人たちに話を合わせて過ごすだけの日常。周りの人たちに愛想を振り撒いてばかりで、本当にそれでいいのかな。今までの繰り返しじゃ、またいつか同じようなことになってしまう。
「別に、今すぐ答えを出す必要はない」
隣で膝に手を乗せてお行儀よく座っている奏音お姉ちゃんが、いつもと同じ声色で言った。
「今はとりあえず謝って、その後のことはその時決めればいいと私は思う」
「……わかった。頑張るね、お姉ちゃん」
とりあえず、中村くんに謝ろう。謝って、そして私のしなければならないことを見つけてみせる。
「ところで奏音お姉ちゃん、学校は?」
ふと残りの時間が気になって奏音お姉ちゃんに聞いてみる。
すると奏音お姉ちゃんはスマホの時計で時間を確認する。そしてロックを解除して何かを見ているようだった。
「駅まで全力で走ればギリギリ間に合う時間。だけど出席日数も余裕だから今日は休む」
結局サボりたいだけなのでは。要するに今から走って駅に行くのが面倒だから休むってことなのだろう。なんというか、相変わらずマイペースだ。
「そういえば音羽、精力の方は大丈夫?」
「うん、多分大丈夫だと思う」
「そう、欲しくなったらいつでも言って」
そう言って奏音お姉ちゃんは部屋を出ていった。
精力とは私たちコウモリが摂取できる特殊なエネルギーだ。
いろいろな生物から摂取でき、精力が体の中にある間は元気になれる。
コウモリたちはこの精力を本能的に求めているらしく、各々好みの生物から精力を摂取するらしい。犬や猫をはじめ、鳥や、珍しい人は虫まで、いろいろな生物の精力を摂取し自分の欲求を満たす。
精力の中でも味に違いがあるらしく、特に美味しいのは、人間の精力だと聞いたことがある。
だから、多くの同族たちは人間界へ紛れると同時に、精力を摂取するために色々な工夫をする。人間を恋人にして摂取する者、仕事で人間と触れ合って摂取する者、人を襲って無理やり摂取する者までいる。
私は同族の中でもかなり珍しい方で、精力が欲しいと全く思わなかった。だからこそ、無理やり生き物から精力を奪うようなやり方はどうしても気に入らなかった。
小学校の時、精力を無理やり摂取するのは良くないと周りの友達を説得したことがある。今思えばとても無謀だし、幼かった。
私の伝え方が悪かったせいか、最初に話した友達が次の友達へと話して、伝わっていくうちに内容が捻れてしまったのか。いつの間にか友達の間で私は、精力を摂取すると病気になって死ぬだとか、精力を摂取すると呪われるとか、そんな嘘を平気でつく人という認識になってしまった。
子供は時に大人より残酷だ。
そこから私は村にいる子供全員から見えない存在として扱われ続けた。誰に話しかけても無視されて、誰からも話しかけてもらえなくて。
私はひとりぼっちになってしまった。
そんな時、両親に人間界にある中学への受験を勧められた。
きっと両親なりの優しさだったのだろう。私の考えは理解されなかったけど、親として助けてくれた。
私はどうにかしてこの状況から抜け出したい一心で必死に勉強し、頑張って今の中学校に合格した。
無事人間界に来た後も、私の心の中には精力やそれに関連するいじめのトラウマが残り続けていた。
精力を過剰に摂った同族はいても、精力を全く取らなかった同族は今までいなかったらしい。
トラウマのせいで他の生き物から精力を吸うことができなかった私は、全く精力を取ろうとしなかった。それを心配したお姉ちゃんたちがたまにこうやって自分の精力を私にくれるのだった。
お姉ちゃんたちを心配させている自覚はある。やっぱりそれでも、他の生き物から精力を取るのには抵抗があった。
「あ、音羽」
奏音お姉ちゃんの声でふっと我に返る。部屋を出て行ったはずの奏音お姉ちゃんが何故か私の部屋に戻ってきたのだった。
「今からコンビニ行くけど何か欲しいものある?」
「あー、私も一緒に行きたい」
一人でいるのは、心細かったから。
◆
昨日の夜は中村くんにどうやって謝ればいいかたくさんシミュレーションした。その結果導き出された答えは、会ったらすぐ謝るだった。あれこれ考えてみたけど、結局これが一番シンプルで、逆に長引けば長引くほどなんて声をかけていいのかわからなくなる。
学校について中村くんがいたらすぐに謝ろう、そう決心して教室のドアを開けたところまではよかった。でも視界に入った中村くんは一筋縄ではいかなそうだった。
目の下には真っ黒なクマ、顔は一晩なのに急激に痩せ細ったように見え、体の周りに紫色のオーラを漂わせながら、椅子に座って天井を仰いでいた。
間違いなく私のせいだ。
私があんなことを言ってしまったから中村くんがこんなになってしまったのだ。 罪の意識が肩の上に重くのし掛かる。
すぐに謝らなければ、どうにかしなければ、そう思って中村くんへ近づこうとすると。
「……っ」
私に気づいた瞬間、ガタッと中村くんが急に席から立ち上がり、私の横を通って教室の外へと出ていってしまった。
一瞬どうしてと思うもすぐに理由を思いつく。私が昨日話しかけないでって言ったから……。
冗談のつもりで言ったおしるこを真面目に買ってきた中村くんなら、私と話さないために避けるっていうのも、やりかねないと思う。
でも大丈夫。隣の席なんだから話しかけるタイミングなんていつでもあるはず。
そう思っていた私は見通しが甘かった、というよりは中村くんのことを知らなさすぎた。
中村くんは休み時間になるたびに、すぐ教室の外へ出ていって、終わる頃にふらっと帰ってくる。昼休みも同様にどこかに行ってしまって全然捕まえることができなかった。何度か引き止めて話しかけようとしても、聞こえていないのか足を止めてくれることは一度もなかった。
そしていつの間にか六時間目、今は三週間後に控えた体育祭の種目決めが行われていた。
体育祭実行委員の二人が前にある教壇に立ち、がやがやと盛り上がっているクラスをまとめようとして大変そうにしている。
黒板には選抜リレーや綱引き、障害物競走など体育祭によくありそうな種目がたくさん書かれており、下にはその種目に出場する人物の名前が書いてあった。
私の名前はまだ黒板の中には無く、授業が始まってから一度も手を上げていなかった。一人一つは何かの種目に出場しなければならないので、そのうち何かに立候補しなければいけないのだけども。
今はそれよりも隣の席の中村くんのことが気になって仕方無かった。
中村くんは相変わらず私を避けていて、今この瞬間も机に教科書を広げて自習をしていた。
朝からずっと謝る機会を狙っていたのに、ついにその機会は訪れないまま六時間目になってしまった。ごめん、と一言いうだけなのに。それがこんなにも難しいなんて……。
今の中村くんは、まるで大きな殻に閉じこもっているみたいだ。これ以上自分が傷つかないように殻の中に閉じこもって、もしかしたらそのまま一生過ごしていくのかもしれない。
私も同じようなものだから、気持ちが理解できる。同じように殻へ閉じこもって、外と触れ合うことをやめてしまったから。
自分がやってしまったことの重大さも嫌というほどに実感している。だからこそ、私が責任を取らなければ。
奏音お姉ちゃんにも頑張ると言ってしまったし、ここは勇気を出さなければ。
誰かいませんかと立候補者を募っている実行委員の声に私はすかさず手を上げた。
「はい。中村くんと一緒に二人三脚やります」
私の宣言と共にわーっと教室中から拍手が湧く。
普通の学校の二人三脚なら選手決めでここまで盛り上がらないだろうけど、うちの学校の二人三脚は少し特殊だった。長年の伝統があるとかで絶対に男女ペアで走らなければならないのだ。そのため毎年出場者はカップルだらけで、カップルが足りないクラスは片思いの生徒が告白する場所みたいになっている。
正直とてつもなく恥ずかしいし、今すぐどこかへ逃げてしまいたい気分だ。だけど、中村くんの殻を割ってあげるにはこのくらいの覚悟は必要だったと思う。
隣を見ると、ペンを持ったままこちらを見て固まっている中村くんがいる。
一旦大成功? かな。とりあえず話ぐらいは出来そうな雰囲気だった。
静かに着席して、中村くんの方を向く。そして彼が何か喋る前に深く頭を下げた。
「酷いこと言ってごめん」
どうか殻の中から、彼を救い出せるように。
「辻さん……」
今日初めて中村くんの声を聞いた気がする。ここに来るまでとても長かった。
「私、ついカッとなって酷いこと言った。全部私のためだったのに」
「それを言うなら俺だって」
頭を上げると中村くんがこちらへ前のめりになって言う。
机の上からペンが何本か落ちて、音を立てる。
「俺の方こそ、ごめん。言い方が悪かったと思う。俺だって本当は謝らないといけなかったのに、話しかけないでって言われて、それで……逃げた」
次は中村くんが深く頭を下げた。あの時は、どう考えても私の方が悪かったのに。 それでも自分も悪かったと頭を下げれる中村くんは、とても優しい人だ。
「中村くん、ありがとう」
「こっちこそ、これからよろしく」
放課後になってすぐ、二人三脚のメンバーで集まった。
私たちのペアを含めて計四組のうち、他三組は全てカップル。つまり私たち以外全員恋人同士だった。順番の話し合い中もそこらかしこでイチャイチャしているのを目の前で見せつけられるのはかなり地獄だったけど、なんとか話し合いが進み順番が決まった。
結果から言うと、私たちはアンカーだった。理由は簡単、中村くんが陸上部所属だったからだ。本人は「俺、長距離走なんだけど……」と抗議していたけど、彼ら彼女らのラブラブパワーというものの前では虚しく散っていった。私としても何とかアンカーだけは回避したかったけど、後から言い出せるような雰囲気でもなく、泣寝入りするしかなかった。
放課後の話し合いが終わって、自分の席へと戻ってくる。すでに机の中身をカバンへと移していたためあとは背負って帰るだけだった。
隣の中村くんを見ると、ちょうど今帰り支度をしている最中だった。
よいしょと教科書で重くなったカバンを背負う。小学校の頃と比べたら勉強する教科も増えて、さらにカバンが重くなったような気がする。
教室の出口に向かう際、中村くんへ一言「じゃあね」と別れを告げる。すると何故か中村くんに呼び止められた。
「あ、辻さん! ちょっと待って!」
「ん、どうかした?」
二人三脚についての説明とか順序決めはさっき終わったし、あと残ってることは特に無いと思う。
帰りの準備を途中でやめた中村くんが急いでこちらに近づいてくる。そんなに焦らなくても、別に無視して帰ったりはしないんだけども。
私の前に来た中村くんは、ちょっと言いずらそうな顔でこちらを見る。
「辻さん、その、ちょっとお願いと言うか提案があって」
「提案? どういうの?」
「辻さんが良かったらなんだけど……体育祭まで二人三脚の練習しない?」
「えっ、練習……うーん」
まさか二人三脚の練習を提案されるとは思ってなかった。
だってうちの学校の二人三脚といえばガチって感じよりもネタっていう空気が強いし、練習してまでやるような競技じゃない。でも確かにぶっつけ本番でやるのも少し不安という気持ちもある。でも中村くんだってそんなことはわかってるはずだし、何故そこまでして真面目にやろうとしているのか。
「練習してまで二人三脚をやるってことはさ、中村くんは何か目標とかあるの?」
考えても答えは出なさそうなので、直接本人に聞いてみる。
「一位、レースで一位を取りたい」
まっすぐ、そして力強くそう言った。
そりゃ当然、練習するといえば当然一位が目標なんだろうけど……。
悩む、とても悩む。別に練習すること自体は、正直ちょっと面倒ではあるけど恥をかきたくないので賛成だ。でも放課後に二人で練習しているのを誰かに見られたらと考えると……ただでさえついさっきクラスの女子たちから質問攻めにあったのに……これ以上は波風立てたくないという気持ちもある。うーん、どうしたものかな。
私が迷っていると中村くんが私の様子を伺いながら続けて言う。
「……それに、辻さんともっと仲良くなりたい」
中村くんはとても真剣だった。
彼にどんな事情があるか私には全然わからない。でも何かから逃げないで立ち向かおうとしている、中村くんの顔がそう言っていた。
「いいよ、練習しよう。ただし、他の人にバレたくないから場所は私の家の近くの公園で、時間もお姉ちゃんたちが心配するからあまり遅くまではできないけど」
私の家は学校から二十分くらい電車に乗らないと着かないからそこならクラスメイトに見られる心配は無い。
私の了承を聞いて嬉しそうにガッツポーズをする中村くん。まだ練習することが決まっただけなのに、まるで一位を取った時みたいに喜んでいてやっぱり中村くんは変わっている。
「ありがとう辻さん。あっ、そうだ連絡先! 予定とか立てる時に便利だから、交換しない……?」
「いいね、交換しよう」
メッセージアプリを立ち上げて中村くんの連絡先を打ち込む。友達と話すために売り上げランキングの上位から適当に選んで買ったスタンプを送ってきちんと交換できているか確認する。
友達を作るのは難しい、そもそも友達って何なのかも今の私にはいまいちわからない。
それでもわかるのは、今まで通りじゃダメで、私も何か変わらなくちゃいけないってこと。
それなら、まずは友達を一人作るところから始めようと思う。
◆
あれからメッセージで日程を合わせ、私と中村くんは近所の公園に集まっていた。お互い家に一度帰って着替えてから集合しており、荷物もそれなりに手軽だった。
「頼まれたやつもちゃんと持ってきたよ」
中村くんがナイロン製のバッグの中から大きめのリボンを取り出す。
「ありがとう。じゃあ早速やってみようか」
私の左足と中村くんの右足を適当に結んで固定する。初めてやったにしてはそこそこ上手く結べたのではないだろうか。軽く足を動かしてみても解ける気配は無くて、本番の時も同じようにすれば問題ないだろう。
あとは肩を組んで走るだけなんだけど、一つだけ懸念点があった。
私が中村くんに触れるということは、間違って精力を吸ってしまう可能性があるということだった。
普段から精力を吸っているのだったらそんな間違いを起こすことは無いのだろう。
でも私はできるだけ精力を取らないようにしているせいで、そこら辺の調整があまり上手ではない。前に一度、羽奏お姉ちゃんの精力を吸いすぎたせいでお姉ちゃんがへとへとになってしまい、仕事を休まないといけなくなったことがある。
それ以来量を意識して少なく吸うようにしてるし、少ししか吸わないのと全く吸わないのでは感覚が違うから大丈夫だとは思うけども……。
「どうしたの?」
私が肩を組むのを躊躇っているとそれに気がついた中村くんが声をかけてくる。
「いっ、いや、何でも無いんだけど……肩組むよね?」
「そ、そうだね。うん、組んだ方がいいと思う……」
当たり前のことをお互いに確認しあって、微妙な空気が流れる。
私は精力を吸ってしまわないか心配だし、中村くんはきっと私が女子だからそういうのに恥ずかしさみたいなものがあるのだろう。
このまま二人とも遠慮していたら埒が明かない。そう思い私の方から思い切って動くことにした。
「それじゃあ、ちょっと肩に、失礼します……」
言い方が少し変態っぽい気もするけど、今は気にしてられれない。
ゆっくりと中村くんの肩に左手を回して、ぺたりと腕をうなじあたりに密着させる。
とりあえず、触れた感じは大丈夫そう。中村くんの顔を見ても特に疲れた様子も無く平気そうだった。
「俺も失礼します……」
中村くんの腕が肩に乗る。男子特有のがっちりとした腕の感触を首や肩で感じて、精力とは違う意味でドキッとしてしまう。
今まで意識してなかったけど、二人三脚は二人の密着度がかなり高い。
そりゃカップル専用の競技になるよなと改めて思う。男子でなくても家族以外でここまで密着したことないから恥ずかしい。中村くんも恥ずかしいのかほんのり顔を赤くしているし。
とりあえず、練習できる状態にはなった。ただ腕を組むだけでいちいち意識していては先が思いやられる。
とにかく、緊張やその他諸々は時間が解決してくれるだろう。
こうして練習を始めたのだったが、結果から言うとそれはもう酷いものだった。
当然のことだけど、私と中村くんで一歩の幅が全然違う。中村くんに私が合わせると歩幅が足りなくてズレてしまうし、逆に中村くんが私に合わせると歩幅が小さくて中村くんの足が詰まってしまう。そして最終的に二人ともバランスを崩して転んでしまう。
お互いがちょうどいいと思う歩幅で、尚且つ一位を取るためにスピードも必要となるとかなりの練度が必要だと感じさせられる。
「そろそろ休憩にしない? 辻さん文化部だし疲れたでしょ」
「はぁ……確かに。ちょっとキツくなってきた」
二人で公園にあったベンチに向かい、私が腰を下ろすと中村くんは飲み物を買ってくると自販機の方へ走って行った。季節的にもそろそろ蒸し暑くなってきたし、暑くて喉がカラカラだったのでとても助かった。
「はいこれ、奢り」
買いに行ってくれるだけではなく奢ってくれるなんて、私の中の中村くんの株が上がりかけたところで、差し出された手にあった飲み物を見て絶句する。
「辻さん好きって言ってたでしょ? おしるこ」
中村くんからおしるこを受け取ると、しっかり熱々で、何度見直しても缶におしること書かれていた。
どんな罰ゲームなんだこれは。というか前も思ったけどなんでこの季節に熱々のおしるこなんて売ってるんだ。
とりあえず中村くんに感謝したあと、しっかり嘘を訂正した。中村くんは謝っていたけどこれに関しては一から十まで私が悪いので気にしないでほしい。
改めて自分で自販機に飲み物を買いに行きながら、神様にもう二度と嘘はつきませんと誓うのだった。
ベンチに戻ってくると中村くんが買った飲み物を飲まずに大人しく待っていた。
「先に飲んでてよかったのに」
「変な飲み物を買ってきちゃった罪悪感で飲みにくくて……」
「その件については……どう考えても私が悪いから気にしなくていいのに」
「気づかなかった俺にも責任あるよ」
青いパッケージが貼られたペットボトルを開けて口をつける中村くん。私も中村くんの隣に座って、今買って来たばかりの水を開け体に流し込んだ。汗をかいて水分不足だった私の体に冷たい水が染み渡っていって、一気に全身が潤う感覚がする。
横にいる中村くんを見て、思う。
今の会話といい、この前の件といい、やっぱり彼は普通の人よりも優しいと思う。普通だったら怒ってもいいくらいのことを、自分も悪いからと言って流してしまう。
「中村くんってさ、他の人にも私と同じように優しくしてるの?」
深い意味は無い。単純に気になったから聞いてみた。私とは全く違う中村くんがどんなふうに考えているのか。
ちゃんとした友達を作るのにどうしたらいいか、あんまりよくわからないけど、きっとコミュニケーションは大切だと思う。
「い、いや、別にそんなことは無いと思うけど……。というか自分のことを優しいと思ったことないし……」
「嘘つかれても怒らない、いきなりキレられても言い返さない、何なら自分が悪いと謝る。優しすぎるくらいだと思う」
「辻さんにそう言ってもらえるなら、嬉しいよ」
恥ずかしそうに頬を掻く中村くん。自分で自分のことを優しく無いなんて思ってることに対してはびっくりしたけど。
「多分、辻さんだから優しいんだよ」
「私だからってどう言うこと?」
「それは……その、何というか、お気に入りだから……じゃなくて」
私はおもちゃか何かなのか。何やら一生懸命に言葉を選んでいる中村くん。そんなに言葉にしにくいって、彼にとって私ってどう言う存在なんだ。
「ごめん、ちょっと上手い表現が見つからないや。でも嫌いとかそう言うのではない」
「うーん、なんかモヤモヤするけど、それならいいかな」
結局、中村くんが優しい理由もわからなければ新しい謎が増えただけだった。
「俺も辻さんに聞きたいことがあるんだけどいいかな」
改まって中村くんが聞いてくる。
「別にいいけど、何聞きたいの?」
「その、辻さんの昔のことについて聞いてもいいかな」
「それは……、ダメじゃないけど、どうして?」
つい身構えてしまう。知られたくない過去と言うわけじゃないけど、だからと言って進んで話したいものでもない。せめてどうして聞きたいのか理由ぐらいは知りたかった。
「あの時、急に辻さんが怒ったのがちょっとだけ不思議で。もしかして昔に嫌なことでもあったのかなって。もう二度と辻さんのことを怒らせたくないから」
とても中村くんらしい理由だった。変に入っていた肩の力が抜ける。
隣を見るとまだ不安そうにしている中村くんの姿があった。
また怒られるかもって怯えているのだろうか。そう思うと申し訳ない気持ちになる。
「わかった。あんまり詳しくは言いたくないから、大体の理由にはなっちゃうけど」
包み隠さずに話してしまうと私が人外でないこともバレてしまうので詳細なことは話せない。
「うん、ありがとう」
私は中村くんに小学校の頃にあったことを話した。周りと考え方が違くていじめられたこと、ひとりぼっちになって悲しかったこと、逃げるように地元を離れてきたこと。
話している途中に当時の記憶を思い出して辛くなったけど、隣で私より辛そうな顔をしている中村くんを見ると、そっちの方が心配になった。
「その、本当にごめん」
「いいって、何ども謝られると困る」
「そうだよね、ごめ……じゃなくて、話してくれてありがとう」
「こちらこそ聞いてくれてありがとう」
お互い優しく笑い合う。あたりは夕日の色でいっぱいになっており、公園全体が鮮やかなオレンジ色に照らされている。
そうだ、とスマホをカバンから出してカメラを起動する。そして中村くんとの距離を詰めてカメラを内側に向けた。
「こっち向いてー、いくよ、はいチーズ」
「えっ、ちょっと、辻さん?」
カシャリとシャッターの音が二人しか居ない公園で鳴る。
「うん、いきなりとったからブレブレだし、二人とも不細工だ」
カメラロールを確認して、中村くんにも写真を見せてあげる。
「びっくりした……いきなりどうしたの?」
「いやー、なんとなく? 撮りたいなって思ったから」
スマホには楽しそうに笑う私と、驚いた顔をした中村くんが表示されていた。二人ともオレンジ色の夕陽に照らされていて、キラキラと眩しく輝いている。
まるで、小さい頃に集めたおもちゃの宝石みたいだった。
その日は時間も遅かったため解散した。
そしてそこから体育祭当日まで、ほとんど毎日公園に集まっては二人三脚の練習をして、最後に二人でお話をした。
二人三脚の方はとても順調に上達している。
最初の方は初日みたいに全然上手くいかず転んでばっかりだったけど、二人がちょうどいい歩幅を見つけてからは上達も早かった。息もだんだんと合ってきて、まわってくる順位次第では一位も狙えるだろうと思えるくらいには早くなった。
そういえば結局一位をとったらどうするのか中村くんに聞いたけど、はぐらかされたっけ。中村くんがどうするのかは一位を取るまでおあずけらしい。
それと、私と中村くんの方も順調に仲良くなっていると思う。
いろいろな会話を通して、中村くんのことをたくさん知ることができた。家でペットを飼ってるから動物の動画を見るのが好きってことや、おじいちゃんの家によく行く影響で和菓子が好きになったとか。新しいことを知っていく度にもっと彼と仲良くなれた気がしたし、もっと知りたいとも思うようになった。
これが、本当の意味での友達ってやつなんだろう。
何が好きかだけじゃなくて、何で好きなのか。相手を理解したいって思う気持ちが、友情ってやつなのかもしれない。
今日の練習が終わって家に帰ったら奏音お姉ちゃんにお礼を言わなければ。
一歩前に進み出したら、たくさん歩けるようになったよって。
◆
五月下旬、土曜日、体育祭当日。
いつもは無駄に広くて何もない校庭が今日はいろんなもので溢れていた。
運営の人や保健室の先生がいる白いテントや校長先生が立つための朝礼台、生徒たちが座るための椅子から保護者観覧の場所を示すロープなど。校庭中が非日常で溢れていた。
高校の方の生徒もいるために生徒席が人で溢れているのはもちろんのこと、保護者席はさらに多くの人が集まっている。
そんな中、自分の席に座っていた私は緊張で震えていた。
目の前では高校生の部の綱引きが行われており、これが終わると次は中学生の部の二人三脚。出番が目前まで迫っており、気持ちが落ち着かない。
転んだらどうしよう、一着を取れなかったらどうしよう。いろんな不安がのし掛かってきて、体がとても重い。
「辻さん、緊張してる?」
いつの間にか中村君が私の隣に立っていた。そして空いていた近くの席に座って様子を伺ってくる。
中村くんはとても落ち着いているように見えるけど、よく見ると手や足が小さく震えていて、私と同じように緊張しているのだなと思う。
「中村くんだって緊張してるじゃん」
「やっぱりバレるか」
あははと軽く笑い飛ばしてくるけど、声がとても緊張している。
「それで、緊張してる私を見に来たの?」
「緊張してる人を見たら少しは落ち着くかなって」
練習期間の間に、こんな軽口を叩きあえるくらいには仲良くなっていた。一番最初に話した頃と比べたらものすごい進歩と言えるだろう。
「中村、こんなところにいたのか」
二人で話していると先生が中村くんの名前を呼ぶ。体育祭中の席移動はあんまりしないようにって朝に言われたから怒られるかと思ったけど、周りを見渡してもほとんどの人が守ってないし、せっかくのイベントで細かいことを言うような人じゃないのはこの二ヶ月でわかっている。
それなら何かの用事だろうか。
「辻もいたのか。ちょうどいいからここで話すか」
そう言って先生が中村くんの横にしゃがむ。わざわざ同じ目線になるあたり、細かい気遣いができる人なのだろう。
「実はな、二人三脚のスタートの山上が怪我したらしくて。だから中村が代わりに走ってくれないか?」
「俺がですか?」
「そうそう、アンカーだから順番にも余裕があるし。陸上部だから体力的にも大丈夫だろうと思って」
「そういうことなら、わかりました」
中村くんが承諾する。山上くんのペアは確か糸森さんか。クラスの中でも特に目立ってるカップルで、二人三脚の全体練習の時も「このリボンは俺といとちゃんの運命の紐だから決して解けないのさ」とか言ってて、正直見ているのが辛かった。運命の紐、結ぶ以前の問題だと思うけど。
「辻も入場の形が少しだけ変わるから気をつけてな」
「わかりました」
全て伝え終わったのか先生は立ち上がってどこかへと去っていった。
「中村くん、二回も走るの大丈夫?」
「走るの自体はいつもしてるから大丈夫かな、それよりも初めての人と二人三脚をする方が心配」
確かに、私たちも最初はボロボロだったから。もしかしたら悲惨な結果になる可能性もある。でもそんなのは些細な問題だ。
「私たちがアンカーだから大丈夫。だって取るんでしょ、一位」
「ふふっ、ありがとう辻さん」
今日という日まで私たちはいっぱい練習した。だからきっと大丈夫だと信じてる。
「二人三脚リレーに参加する生徒は第二テント前に集まってください」
係の人から次の種目に出場する生徒の呼び出しが放送で聞こえる。
「それじゃあ、行こうか」
二人で立ち上がって、出場者が集まる第二テントへと向かった。
テントについてからはそれぞれ走る順番で待機するところが決まってくる。
スタートとアンカーの人はトラック一周、第二走者と第三走者がトラック半周というルールのため、中村くんとは待機場所は同じだが、走る順番が違うため入場準備の際に別々になってしまう。
別れ際に「頑張って」と声をかけると、中村くんは黙って拳を上に上げて反応してくれた。
入場が完了して、スタートの人が位置に着く。
校庭中の人があの場所に注目していて、人がたくさんいるのに聞こえてくる音は極端に少ない。
スタートの合図を出すために先生が台の上に立つ。そして大きく鳴り響いた銃声がレースの開始を告げた。
各々スタートの生徒が一斉に走り出して、いよいよレースが始まってしまったと実感する。
あっという間に距離が離れていくため顔までは判別できないけど、ゼッケンの色でなんとか中村くんたちを目で捉える。
二人の即席ペアが何位かというと、二位という好成績だった。
走りに少しぎこちなさがあるものの、そこまで目立ってダメというわけはなく、なんなら周りと比べたら早い方だった。一位と三位とそれぞれ少し距離が離れているため、何もなければこのまま次の走者にバトン代わりのリボンが渡るだろう。
その光景を見て、少しだけモヤッとしてしまう。
私と中村くんが初めてやった時は全然ダメだったのに、練習もしないでうまくいっている姿を見せられるのはあまりいい気分では無い。それに、なんだか中村くんを取られてしまうような気までしてしまう。
いつの間にかスタートの人たちが二番目の走者たちにクラスカラーのリボンを渡しており、続々と第二走者が走り始めていた。
最後のクラスがリボンを渡したあたりで軽く息を切らした中村くんが隣へとやってくる。
「はぁ、はぁ、二位が限界だった」
「……絶対に負けないから」
「そうだね、勝とう」
二つの意味を込めて気合いを入れる。中村くんは多分気づいてないけど、別に伝わらなくていい。
順調に二位のまま、リボンは第三走者に渡された。一位との差は徐々に縮まっており、このままの状態で順番がまわってくれば一位も夢じゃなかった。
そう思った瞬間、第三走者の人たちがバランスを崩して派手に転んでしまう。幸いすぐに体制を立て直したものの、一位との差は広がってしまった。
「いけると思う?」
心配そうに第三走者を見つめる中村くんが聞いてくる。
「きっと大丈夫、いっぱい練習したから」
目の前では一着のクラスがアンカーへとリボンを渡していた。それを見ながら、私たちもコース上で待機する。
緊張のせいなのかまだ体は重かった。でも、とにかくやるしかない。
第三走者の人たちが到着したときに、ごめんと言われる。それに対して中村君は任せてと返していた。
もらったリボンを結び終わり準備が整う。
「辻さん、行くよ!」
中村くんの掛け声と共に勢いよく足を前に出す。
そしてすぐ、自分の体に起きている異変に気が付く。
足が重い、うまく動かせない。
練習の時みたいに、なんならいつもみたいに走ることができない。
中村くんも私の異変に気がついたのか、走るスピードを練習の時より少し落としてくれる。しかしその気遣いも虚しく、私の足がもつれて二人で転んでしまった。
まずい、まずい、このままじゃ一位が取れなくなってしまう。
急いで立ちあがろうとするも足に力が入らず立ち上がることができない。それどころか、全然走ってないのに身体中を疲労感や倦怠感が襲ってくるのだ。
今朝までは何とも無かったのに……。悔しさでどうにかなりそうな中、私のコウモリとしての本能が原因を教えてくれる。
精力不足だ。
最後に補給したのいつだっけ、思い出そうとしても上手く頭が回らない。
「辻さん、大丈夫? 怪我とかしてない?」
中村くんが気遣って声をかけてくれる。
「大丈夫……。してない、から、走ろう」
無理やり立ちあがろうとしてバランスを崩してしまう。勢いよく地面にぶつかりそうになった私を中村くんが何とか受けとめる。
「無理しないで、このまま棄権しよう」
「でも、それじゃあ私のせいで一位が取れなくなっちゃう」
「もう一位なんてどうでもいいよ、それよりも辻さんの方が大切だから」
私を抱いたまま中村くんがトラックの中に入ろうとする。
朦朧とした意識の中でも、他のクラスにどんどんと抜かされているのがわかって焦りが生まれる。
本当にこのままでいいのかな。せっかく一位を取るために練習したのに。中村くんに一位を取らせてあげたくて頑張ったのに。このままで終わりなんて悔しくて仕方がない。
解決方法は、一つだけある。
中村くんから精力を貰えばきっと走ることができるだろう。
でも、もし吸いすぎて中村くんが倒れたら。倒れなくても精力を吸ったことがバレて、正体を知られたら。
最悪な結果になるくらいなら、このまま諦めた方が楽なのかな。
そう思った時、見えてしまった。
中村くんの悔しそうな顔が。
「中村くん……手、借りてもいい?」
一瞬動揺した顔を見せるも黙って手を貸してくれる。私はその手をぎゅっと握って、言った。
「私、まだ諦めたくない。だから、少しだけ貰うね」
全神経を握った手に集中させて、精力を吸う。
初めて家族以外から、人間から吸う精力。それはとても温かくて、心地良くて、元気が出て。他の同族たちが好きになる理由も、悔しいけど納得してしまった。
走るのに十分な量の精力を吸った後、中村くんの腕の中から立ち上がる。
「私は大丈夫だから。中村くんは大丈夫?」
様子を見る限りは大丈夫そうだった。なんなら急に私が元気になったことに対して驚いている。
「俺は大丈夫だけど、辻さんは本当に大丈夫?」
「中村くんから元気をもらったから」
「よくわからないけど……辻さんが大丈夫なら行こう!」
急いでリボンを固く結び直し、中村くんの掛け声を合図に再スタートを切った。現在の順位は、おそらくビリ。一位がどのくらい離れているのかもわからない。それでもただひたすらに二人で走った。
練習の成果もあってか、わたしたちのスピードは異常に早かった。目の前で息が合わずにもたついている人たちを一組、また一組と抜かしていって、何組抜かしたかわからなくなったとき、ゴールテープが見えてくる。
目の前には残り一組、抜かせるかはわからない。でも最後まで諦めない。
ゴールテープを目の前にして、私たちの間に掛け声はなかった。二人とも走るのに夢中でお互いがお互いを意識していなかった。それでも二人の歩幅はずれることなく。まっすぐ進んでいく。
そして堂々とゴールテープを切った。
そのままゆっくりとスピードを落として、地面に崩れるように二人で座り込む。
息も切れて脳まで酸素がまわってこない。結果は何位だったんだろう。
「はぁ、はぁ、なかむら、くん、順位、順位は?」
「はぁ、わかん、ない、けど、ゴールテープを切ったって、ことは」
中村くんが喋っている途中にスタートガンの銃声が数発鳴る。つまり、たった今レースが終わったということだった。
「一位、かなりギリギリだけど」
言われて後ろを見ると、私たちと同じように地面に座り込んでる人たちが見える。遠くの方ではクラスメイトが大盛り上がりで騒いでおり、それを見てようやく一位を取ったという実感が湧いてきた。
「やった、やった! やったよ中村くん!」
「そうだね、練習した甲斐があった」
大きな音でハイタッチをして二人で笑う。
「あー、……それでさ、辻さん」
「ん?」
「一位を取りたかった理由なんだけども……」
中村君が言いづらそうに話題を切り出す。確かに、どうして一位を取りたかったのか、結局最後まで理由を教えてもらえなかった。
私が黙って中村くんが話し始めるのを待っていると、ゆっくりと口を開く。
「願掛けでさ、一位を取ったら告白しようと思ってたんだ」
そういってまっすぐ私の目を見つめてくる。
「初めて見た時から、辻さんのことが好きです。……だから、俺と付き合ってください」
「へ? え、え?」
完全に頭の中がパニック状態だった。情報を整理できないでいると中村くんが続けて言う。
「突然こんなこと言われても困るだろうから、返事は休み明けに聞かせてほしい」
何も理解できていないまま、こくり、と黙って頷く。
顔を真っ赤にしながらも、堂々としている中村くん。それに対して私は、今どんな顔をしているんだろう。
そのタイミングで係の生徒がこちらへ来る。数字で一と書かれたビブスを着ていて、背中に書いてある番号と順位の確認をとりながら選手たちを誘導している。
そしてトラックの外まで誘導され、無事に私たちの二人三脚の全てが終了したのだった。
席に戻るとクラスメイト全員から称賛が送られて、温かい言葉をたくさんかけてもらった。ずっと一人だなんて思ってたのは私だけなのかもしれない。なんて、整理できない頭の中で、そんなことを考えていた。
◆
体育祭が終わって、家に帰って、それから何をしたっけ。
道中の記憶があやふやだけど、今はベッドの上でメンダコの見た目をしたクッションを抱きしめていた。
まだ頭がふわふわしていて、現実感がない。
中村くんに告白されてしまった。
初めての友達を作ろうとしていたのに、何故か今は恋人が出来ようとしている。何がどうなってそうなったのか全くわからないけど、なってしまったのだからどうしようもない。
中村くんについて。
もちろん友達としては好きだ。何も気負わないで話せるし、話してて楽しいし。
それなら恋人としてはどうなんだろう。
そんなの今まで好きになった人も居ないんだからわかるわけが無い。でも、興味はある。
中村くんが彼氏になるのは抵抗感が無い。つまり、私の中で中村くんに対する答えはほぼ決まっていた。
でも、どうしても無視できない要素が一つだけあった。
それは私がコウモリだということだ。
これから長く付き合うとしたら、いつかは絶対にバレてしまうだろう。そうなった時、中村くんはどう思うのか。
付き合ってる相手が人外だったら、きっと嫌だろう。
そういうことを考えると、断った方がいいのかなと思ってしまう。断っても別に関係が無くなるわけじゃないし、友達のままって可能性もある。
でも、もしかしたら、今まで通りに話せなくなってしまうかも。
どうしたらいいのか、どうしたいのか、どうするべきなのか。色々な考えが私の頭を駆け巡る。
「おとはちゃーん、いるー?」
頭がこんがらがってしまったとき、部屋の外から羽奏お姉ちゃんの声がする
「いるよ、どうぞー」
声をかけるとドアが開いて、薄いピンク色のネグリジェを着た羽奏お姉ちゃんが中に入ってくる。
「今日の体育祭の感想を言おうかなって思って、来ちゃった」
私が寝ているベッドに座ってきたため、私も起き上がって隣に座る。
「お姉ちゃん見てたよー、二人三脚で一位になってたね」
「見られてたって思うとちょっぴり恥ずかしいけど」
「でもカッコよかったよ、途中倒れた時は心配したけどね」
「あはは、ちょっとやらかしちゃって」
「それに、最後告白されてたねぇ」
「そうなんだよねぇ、って、なんで知ってるの??」
お姉ちゃんたち含め誰にも言ってないし、恥ずかしくて言えるわけがない。
「まぁ人間だったら聞こえない距離だったけど、コウモリだから聞こえちゃった」
えへへーごめんねと軽い調子で謝ってくる。となると絶対そっちが気になるから部屋に来たのだろう。羽奏お姉ちゃんは大の恋愛好きだし。
「それでそれで、返事はどうするの?」
羽奏お姉ちゃんがにやにやしながら顔を近づけてくる。
「返事は……迷ってる」
「えーなんで? 優しそうな子だったじゃん」
なんでお姉ちゃんがわかるのって聞こうとしたけど、夕飯の時に中村くんの話は何度もしてるし、それに羽奏お姉ちゃんはキャバクラで働いてるから一目見ただけで相手の性格くらいならわかりそうだ。
「だって、私コウモリだし。人間と恋人になれる自信が……無くて」
「ふんふん、ということは音羽ちゃん的には付き合いたいって思ってるのね」
「それは……そうかも」
人外という要素が無ければ、私は迷わず中村くんと付き合うだろう。
「そうねぇ、音羽ちゃんが付き合いたいと思ってるなら、絶対付き合うべきだと思うな」
「でも、コウモリってバレたら避けられるかもしれないし。それに、正体をバラしたらお姉ちゃんたちを巻き込んで大変なことになるかもしれな、ふぐっ」
喋っている途中で羽奏お姉ちゃんにほっぺを両手で挟まれる。今自分の顔を見たらきっとタコみたいになってるだろう。
「いい? 音羽ちゃん。コウモリっていうのはね、音羽ちゃんの個性なの。だからその個性も含めて愛してもらわなきゃ。あと正体がバレるバレないは音羽ちゃんが心配しなくても大丈夫よ? そもそも中学男子一人にバレたくらいでどうこうなるくらいの種族ならとっくの昔に居なくなってるはずだから」
小さい子供を諭すように羽奏お姉ちゃんが言う。お姉ちゃんにとって私なんて本当の意味で小さい子供かもしれないけど。
「何かを得るためにはね、何かを失う覚悟をしなきゃいけないの。きっと相手の子だって怖かったはずだよ。もしかしたらフラれるかもって。それでも勇気を出して告白したんだから、次は音羽ちゃんの番だと思うな」
そう言われたら、そうかもしれない。
きっと中村くんだって告白するのが怖かったはずだ。それこそ、リレーで一番になったらなんて条件をつけるほどに。
「うにょっよ、うぁううにぁううぃう」
「え、なんて?」
羽奏お姉ちゃんの手を退けて改めて言う。
「わたった。頑張ってみる」
羽奏お姉ちゃんが「えらいぞー」と言いながら頭を撫でてくる。
中学生にもなって子供扱いされるのは恥ずかしいけど、それでも羽奏お姉ちゃんには抵抗する気が起きなかった。
◆
日曜と振替休日の月曜が終わって、火曜日が来る。
朝起きてからずっとそわそわしてて、良くも悪くも今日全ての結果がわかると考えたら、怖くて仕方なかった。
中村君もこんな気持ちだったのだろうか。相手から何て言われるか何回も頭の中でシミュレーションしては、自分の都合のいいように妄想してしまって。これではダメだとまたシミュレーションしては同じことを繰り返す。
結果なんてやってみなければわからないのに、どうしても心配で予想しようとしてしまうのだ。
うだうだと考えながら歩いていると、いつの間にか学校に着いてしまっていた。
教室の中に入る前に一度止まって深呼吸をし、気持ちを落ち着けてから中に入った。
入るとすぐに中村君と目が合う。気まずくて咄嗟に目を逸らしそうになるも、我慢して真っ直ぐと中村くんの目を見る。すると彼も気まずそうな顔をして微笑んだ。
恥ずかしい、最初はなんて声をかけよう。何度もシミュレーションしたはずなのに、その内容はすでに頭の中から吹き飛んでしまった。
中村君の後ろを通って、自分の席に着く。そしてカバンを開ける前に勇気を振り絞って声をかける。
「今日の放課後、この前の返事するから」
「……うん、ありがと」
会話はこれだけだった。でも今の私たちならこれだけで十分だろう。
最後のチャイムが鳴って放課後が始まる。
「中村君、ついてきて」
首を縦に振って、黙って席を立つ中村君。
クラスメイト達がそれぞれの居場所に向かう中、私たちも人目のないところへと移動していた。
向かったのは校舎裏にある、今は使われてない花壇がある場所。誰もいないその場所で足を止める。
私が足を止めて振り返ると、中村くんは緊張した面持ちだった。対する私もかなり緊張していて、なんとなく体育祭の時を思い出してしまう。
「中村くん」
名前を呼ぶと、うんと答えてくれる。中村君の声が震えていて、怯えているのがよくわかった。
「告白する前に、中村くんへ言わなきゃいけないことがあるの」
「うん、聞くよ」
勇気を出さなければ、頑張らなければ、それなのに心臓がバクバクと鳴っていて、声も上手く出せない。
ぎゅっと胸の辺りを左手で押さえ、少しでも心臓を落ち着かせる。
覚悟を決めなければ、中村くんに私の全てを受け入れてもらうために。
そして、真っ直ぐ彼を見つめ、告白する。
「実は……私ね、人間じゃないの」
右手で髪を掻き上げて、耳の擬態を解く。
フサフサとして横に長い耳が、本来の私が姿を現す。
もう後には戻れない。あとは、彼の返事を待つだけ。
中村くんは驚いたように私のことを見つめている。
木々の擦れる音や校庭にいる野球部の声、車が鳴らす走行音や校舎内にいる先生たちの声。色々な音が聞こえる中で最後に聞こえたのは、中村くんの声だった。
「正直びっくりしてる。好きになってからずっと辻さんのことを見てきたのに、こんなにも大きなことに気が付かなかったなんて」
不安で仕方がなかった。中村くんは次になんて言うのだろう。頭の中がそれでいっぱいだった。
中村くんは真っ直ぐと私のことを見つめ返している。怯えた様子もなくなって、堂々としていた。
そしてゆっくり息を吸って、答えを教えてくれる。
「たとえ、辻さんが人じゃなくっても、辻さんは辻さんだよ」
その言葉は、たくさんシミュレーションした中でも一度も出てこなかったものだった。たくさん都合のいい展開を考えたのに、それらを上回る言葉を私にかけてくれる。
「……ありがとう中村くん」
目の奥が熱くなる。でも泣くのはまだ先だ。まだ、肝心なのが残っている。
「辻さん」
優しく名前を呼んでくれる。そして、次は中村くんの告白が始まる。
「一目惚れでした。初めて見た辻さんの笑顔が素敵で、教室でもずっと目で追ってました。二人三脚の練習の時も、辻さんについて新しいことをいっぱい知れてとても楽しかった。だから、これからも辻さんのこともっとたくさん教えてください」
右手を前に出して、変わらず私のことを見つめる。
体育祭のときとは対照的でとても丁寧な告白だった。
なんて返事するかは、あの時からずっと決まっている。
「私にも、中村くんのことをもっと教えてください」
出された手をぎゅっと握り返すと同時に目から静かに涙が溢れる。それに気づいた中村くんが私のことを抱きしめてくれた。
安心したからなのか、嬉しいからなのか。どうして泣いているのかわからないけど。今はただ、この時間が一生続けばいいなと思う。
「これからよろしくお願いします。辻さん」
「うん、こちらこそ」
これから先、なんの問題も無く過ごしていくのはきっと無理だろう。
人間とコウモリ、種族が違うからこその悩みが生まれてしまうかも知れない。でもそんなことはきっと些細なことだ。
だって、今の私はひとりぼっちじゃ無いから。
中村くんと二人で、前に進めばいいから。
告白と告白 三下のこ @sansita_noko
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