第7話

朝がやってきた。しかもただの朝じゃない。月曜日の朝。つまり平日だ。窓を開ければ夏を予感させる、春の暖かな風が寝ぐせのついた髪を撫でていき、なんとも清々しく朝を演出してくれる。


時刻は七時ちょうど。学院までの時間を考えれば猶予は十分すぎるくらい。身支度を整え、心持ちだけが優雅な朝食でもゆったりと過ごせる。たとえそれが食パン一枚だけだとしても。


とは言うものの、我々育ちざかりの青年には健全で健康な精神と肉体が不可欠。であるならば朝から卵二個を追加することもいとわない。そして完成したのが目玉焼きのせトーストにプレーンオムレツ。これにはどこかの修道士もサムズアップ。


「朝食できたよ」


「うぅ……」


ぼくのベッドで寝ているサクに声をかけると、のそのそとリビングにやってくる。彼女の部屋は今日の昼に届くベッドの到着をもって完成するため、これでぼくがソファで寝るのは最後である。腰がいたいのなんの。


各々飲み物を注ぎ、二人で手を合わせていただきますをして食事を始める。ここは喫茶店ではないのでクラシック音楽なんかは流れないが、代わりに流している適当な番組では天気予報と交通機関の運行状況、噂の店など他愛ない話題を提供してくれる。かと思えば誘拐事件や傷害事件が多いので夜道に気をつけましょうなど、朝から消化不全を起こすような思い話題もでてくる。少なくとも目の前にいる少女は引きこもりだから、縁遠い話である。


「今日からぼくは学校だけど、サクはどうする?夕方に帰るから、いちよう昼食は用意できるけど」


「……家にいる」


「そっか。じゃあ洗濯物とか頼むよ」


「うん」


以降会話も弾むことなく朝食が終われば、ぼくは学院の制服に着替えてカバンを背負う。


「じゃあ行ってくる」


「うん」


返事はしてくれたが、サクはテレビに視線を向けたままだった。釈然としない気持ちで家をあとにした。せめて、せめてそこから……いや何も言うまい。


「青いんだよな、空って」


空の青さを知り、己の心の狭さを同時に知るなんとも詫び寂びを感じる朝になってしまった。いまならお茶でも立てれそうだ。



ぼくが通う八咫大学及びその付属高等学院。最寄駅から15分程度にあるそれはこの国で最も大きく、最も権威のある教育機関といって差し支えないだろう。広大な敷地には名前の通り高等学院だけでなく大学や研究施設も収容、昨日のショッピングモールほどではないもののある程度を買いそろえられるだけの商業施設や映画館もあり、きわめつけは学内専用のモノレールまであるのだから執政管理本部に次ぐ、第二の首都とも言える。


ただここまで広いと、ぼくみたいな活発じゃない人間だと全域なんて回る気が起きないし、そもそも教育機関じゃなくてテーマパークとかにした方が良かったんじゃないかとも思う。あるいは人間動物園とかどうだろう。お利口に座って授業を受けるショーなんか見物になりそう。今と変わらないか。どちらにしろ全域は回る気は起きないんだけどさ。


「よっす彼方。つまらなさそうな顔してどうしたよ」


「つまらない……? ふっ、そんなことないよ。いつだってぼくの人生は充実してる。見てわからない? このあふれ出る活力が」


「わからん、いつも通り陰気があふれてるようにしか見えん」


「バレたか」


道祖 ジン。彼は自転車で歩くこちらに器用に並走しながら挨拶をかけてくる、見ての通り明るい男子だ。同じクラスに所属する数少ない友人でもあるため、彼のような存在はぼくにとっては新鮮である。


「週明けに彼方を見るとなんか安心するわ。変わってないのがいつも通り過ぎて」


「ぼくはいつだって不変でありたいから、常に現状維持を心がけてるんだ。世俗に染まらず、流行に流されない不退転の意思を心にってやつ。ジンの目にそう映るなら成功してるってこと、だから毎日安心してくれていい」


「向上心がない奴だな。それだと彼女の一つや二つ、できないぜ?」


二つ以上作るのは問題だろ。とはいえ彼女───そういう存在がいると具体的に何があるのかは知らないが、『なにかいいこと』ができると聞いたことはある。その機会を意固地になってみすみす逃すのはもったいないかもしれない……?いやでも今じゃないよな……家にサクいるし、同時に二つをこなすのはちょっと面倒。


「……別にいい」


「お? 少し迷ったな? わかるよ、学生は青春の奴隷。クールぶっちゃう彼方君もホントは色のある学生生活を送りたいんだよな!」


回答に発生した間を深読みして、的外れな共感をしてくるジン。全然違うのだが、面白いからこのままにしておこう。


「俺たちは現在二学年、来年は就職か進学かのてんやわんやでまともに遊べないだろう。だから実質俺たちが遊べる最後の年なわけ、仮に社会人になったら女の子と遊べる機会なんてこないかもしれないし、進学も今のメンツで遊べる保証はどこにもない!」


「就職はわかるよ、でも進学なら新しい人たちと遊べばいいんじゃないの?」


「おいおいおい、そんなんじゃ甘い。甘すぎる。甘ちゃんだよ」


ぼくのことを糖尿病予備軍化のように言い放つジンに思わず眉間にしわが寄る。


「彼方、いいか? 青春は今だから、大事なんだよ。金はないが、活力のある無責任な子供時代が今。責任を負うまでのモラトリアム人間の大学生とは訳が違う。大人になって『あぁなんであの時遊ばなかったんだろう……』なんて後悔、俺は絶対したくないね。”自身に忠実”、それこそが俺のモットー!」


「”自身に忠実”……か」


力説するジン。”自身に忠実”、いい言葉だ。誰しも死の間際に『やっておけばよかった』の後悔はしたくないだろうし、その言葉自体が原動力にもなる。目的を持たない人間にはとても響くことだろう。それが異性交遊を目的とする男からじゃなければ。


「じゃあ達成したら教えてよ。その時はおめでとうの一つでも送るからさ」


「なんでだよ! 一緒に彼女つくろうぜ!」


「だってそういうのよくわかんないし」


「いや、だから一緒にがんばるんだよ。なぁ一緒に挑戦してみようぜ?」


「うーん」


「なぁ頼むよぉ……」


すがるような態度と下がった目じり、それで理解した。彼が欲しいのは彼女でも青春を謳歌する時間でもない。共に挑む道連れが欲しいだけなのだ。おそらく夏休みという長期休みが間近に迫った今にいたるまで女の子遊んだことがなかったから、さすがにやばいんじゃね……?という曖昧な不安に駆られてるだけなのだろう、が正直朝っぱらからこんなしょうもない話題で時間を浪費したくない。


「あぁわかったわかった。考えとくよ」


「おぉ! わかってくれたか!」


感激したように言うジンを一瞥し、腕時計に視線を落とす。こんなことで5分も浪費していた。ぼくはすっ、とジンの自転車に跨った。


「いいね自転車の二人乗り! 青春ぽいな!」


声の抑揚でテンションが上がっているのがわかる。何がそこまで彼を駆り立てるのか、こんなことにまで青春を感じるほど欠乏していたらしい。もし希望が叶ったら彼は爆発してしまうんじゃないだろうか、そんな人間爆弾がペダルを漕ぎ出した瞬間、ビゼーの闘牛士の歌が流れ始める。


「やべっ!チャイム鳴っちまった、急ぐべ!」


「忙しないな……」


青春のマントを追う闘牛の背に乗り、教室へ急いだ。



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雨降る朔月に女の子を拾ったけど、どうすればいいですか? 《118》 @-118-

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