落とし場

あめのにわ

落とし場

「あの、ここは、火葬で良いのですか」

 三郎は、窓口の向こうに声をかけた。

「はいはい。それでええです。そう書いといてください」

 助役が返事した。五十路に達したくらいの男である。この町役場の分室は助役の自宅も兼ねていた。

 戸口を入ると窓口と小さな事務所があり、奧の閉じられた障子の向こうは居間になっている。障子の向こうは暗かった。助役の家族は既に寝入っているようだ。

 助役は事務所の椅子に座って、テレビを眺めている。

 ブラウン管の画面では、天気図の前で男性のアナウンサーが何か喋っていた。低気圧が日本海側から近づきつつある。今後夜半から早朝にかけて風雨が強まるおそれがあります。

 三郎は書類を書き終え、ペンを置いた。

「書きはりましたか? ほしたら紙はこっち置いてください。も少ししたら行きます」

 助役は立ちあがり、電話を取り、ダイヤルを回し始める。

「このあたりに、焼き場ないでしょう。下澤まで持ってゆくんですか」

 三郎は訊いた。

「はい。けど、明日やなあ、下澤に行くんは。……今日はも少ししたら、出ます」

 助役はそう言うと、電話先の相手に話し始めた。


 つづら折りの夜の山道を一時間ほど運転したあと、一行は車を停めた。

 風雨が強まっていた。

 闇夜だった。下りた場所は山中で街灯はない。荒天のため、星明かりすらなく、ほんとうの暗闇だった。

 自動車のライトが消え、一行のかぶるヘルメットのヘッドライトと助役の持つカンテラだけが灯りになった。

 一行は後続する軽トラックの荷台から棺を下ろした。風雨のなか、六つのヘッドライトの光が動く。三郎もその一人だった。

 三郎を含めて四人の男性が棺を担ぐ用意をした。助役と八十歳を過ぎた背格好の老人の二人は、棺かつぎの男たちの前に立った。

「夜道、山道やで、儂が先導しますわ。ほんまに危ないところは少ないですが、知らんと迷いますので。みんなよろしくついて来てください」

 三十分ほどで着くんやけど、天気が悪いので歩きにくいこともあるし、もう少しかかるでしょう、と付け足し、助役は暗い山道に入っていった。アスファルトの舗装はすぐになくなり砂利道になった。

 ごうごうと風が唸り、樹木の葉擦れが渦巻いた。雨は風に乗って、時折叩きつけるように一行を濡らした。一行は黙ったまま歩き続けた。


 三郎は棺の左前を担いでいた。

「こいつも、……俺より早く逝ってもうたな。……ほんま弱いやつやったな」

 助役について、三郎の少し前を歩く老人が、何か呟いたようだった。

 前を向いたままなので、三郎は自分に話しかけられたとは最初思わなかった。

「お前。どや、あいつ、やっぱり東京でも弱かったか。……総領やろ。……見てたんと違うのか」

 おれに話しかけているのか。なんで俺に。

 三郎はこの老人のことをほとんど知らなかった。たしか祖父の兄であったか。父親の伯父ということになる。

「どういうこと……」

「こいつは腑抜けや。……ムラでも一番弱かった。インテリくさりおってからに。……わしは、若い頃大陸に行った、……武勇伝聞くのをいやがりおる。日本男児たるもの、……こいつは腑抜けやった」

「なんの話ですか……」

「……あいつら、ピーチクパーチク、分からん言葉を喋りおる。こっちはなーんも分からん。……皇軍の刀のサビや。一刀両断や。だいぶん成敗したった……」

 老人は喋り続けた。しかし風雨の音にかき消されて三郎には十分聴き取れなかった。

「……まあ、でも、やはりふるさとが恋しいもんかのう。わざわざ死にに帰ってくるとは……」

 あとは嗚咽のようで言葉になっていなかった。泣いているのかと思ったが、しばらくすると、笑っているかのようにも聞こえてきた。どちらか分からなかった。

 三郎は父親のことをほとんど知らなかった。父親も自分のことを語らなかった。ただ彼は時々、酒を飲んでは荒れた。物をたたき壊すこともあった。そのようなときの父親を三郎は疎ましく思った。


「気をつけて。ここで落として下さい。自分らまで落ちんように」

 助役が言った。

 助役は持っているカンテラで「落とし場」を照らした。生いしげった木々の影が途切れ、向こう側に虚空が開いていた。

 三郎と三人の男は棺を担ぎつつ、注意して崖際まで進むと、せーの、とかけ声をかけて放り出した。木々を擦って物が落下する音、どこか岩にでも当たる音が続き、しばらく後に遠く底のほうで大きな割れる音がした。


 翌朝は打って変わった晴天になった。

 一行はおなじ山道をたどって行った。もう雨合羽は不要だった。

 午前の陽光に照らされ、山道は昨夜とは全く変わった顔をみせている。やかましくセミが鳴く。昨夜のなごりの強い風が尾根へと吹き上げていた。

 舗装されていない道には水たまりがそこかしこに残っている。砂利を踏みながら一行は歩いた。

「まあ、昨日に比べるとハイキングみたいなもんですなあ。少し風は強いですけど」

 助役は言った。

 一行のうち、ひとりは桶を吊るした天秤棒をかつぎ、別の者は数本の火ばさみを持っていた。


 落とし場に近づくと助役は昨夜とはちがった、沢に下る脇道へそれた。

「ここから、降りますよってに」

 水場の近く、落とし場を見上げる崖下の場所に、バラバラに砕けた木棺があった。

 中に遺体はなかった。

 助役はしばらくあたりを見回していたが、灌木の茂みの近くに目を止め、おお、あったあった、とつぶやいて一行を手招いた。


 そこには、子どもの背丈ほどの積み石があった。

 積み石のとなりには、遺体の両腕と両足が切り取られ、きれいに揃えて縦四列に並べられていた。

 手足の隣には首と手足のない裸の胴体があった。裸の腹の皮は縦に割かれて大きく凹んでおり、内臓が抜き取られていた。性器は切り取られていて、無かった。

 身体は血抜きされていた。置かれた場所にも血痕はほとんどなく、血溜まりも、内臓も見当たらなかった。衣服も消えていた。

 少し奧のほうの地面には、首が立てられていた。頭皮は剥ぎ取られ、頭蓋骨の上半分がきれいに切断されて失われていた。頭蓋骨の中は空っぽだった。

 眼球は残されていたが、脳が取り除かれているためかすこし据わりが悪く、うつろな視線がすこし前方の地面をながめていた。

 葬儀の時にはかかっていた、眼鏡はなかった。


 助役は地面に置いた木桶を指して言った。

「出来上がっとりますな。ほな焼き場に持ってきますので、集めてください」

 助役はめいめいに火ばさみを手渡しはじめた。

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落とし場 あめのにわ @nankado

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