第20話 しるし

「無駄ですよ、ジゼさん」


 ジゼの眉間にシワが寄る。それは抵抗の意思を示していた。しかしその意思は、何も産まない。更なる抵抗として、彼女は親指を銃の撃鉄ハンマーにかけたが、それでも撃鉄は起きていない状態のまま、動かない。引き金を引くどころか、撃鉄すら起こせなかった。

 これは魔術ではない。

 エドは魔術を使っていない。

 そしてジゼは、何も受けていない。

 原因は彼女の中にしかない。


 ——発砲は不可能。なぜなら覚悟がないから。


 エドはそれを、見透かしているだけだった。

「あなたはずっと矛盾しているんです」


 エドは笑顔の消え去った顔で、無慈悲に、続ける。


「たしかあなたは、エネスさんのことがとっても大切なんですよね? であれば、どんな理由があろうとエネスさんの部屋に入るべきでした。それと……なんですか、たしか、『ふみを送ったのは間違い』、でしたっけ? それもおかしな話です。ヨライネさんに山の場所を教えておきながら、エネスさんがこうなった途端に、僕たちの依頼にケチをつけるんですか? 自分は部屋にすら入らないのに?」


 やれやれといったふうに、エドは両手を上に向ける。

 まるで、自分の額に当てられた銃の存在を、まったく認識していないかのようなあおり。


「あなたの矛盾は、葛藤から生まれているものです。いえ、人間の矛盾というのは、大抵はそうなのかもしれませんけどねえ」

「黙って——ください」


 ジゼの瞳が大きく揺れる。だがエドには、彼女の表情など見えやしない。


「まあとにかく、あなたは迷っていたわけです。尋常ではないほどに。きっと、あなたも自分でわかっていますよね、ジゼさん。ずっと前からこう思っていたんでしょう? 『真実を隠すのは間違っているのではないか』と」

「黙れッ!」


 ジゼはエドの胸ぐらを掴み、強引に引き寄せた。銃口を突きつける手にも更なる力がこもる。

 ヨライネよりも身長の高いジゼと、ヨライネよりも低いエドだ。銃口を突きつけると言うより、もはや、上から押し付けていた。

 さすがのエドもこれには顔をしかめた。

 しかし、怯んだのは一瞬にすぎなかった。

 その直後に、彼の表情は別の物に染まる。

 それもまた、嫌悪だ。ジゼへの嫌悪、そして敵意。

 彼の顔にも、内に秘めていたそれがあらわになったのである。


「……ムカつくんだよあんた」

「ッ——!」


 人が変わったように、彼は感情を露わにした。

 両者、まるで二枚の鏡のように、同じ顔だった。


「おおかた、自分すら信用できないんだろ。自分も他人も信用しない。そんなんで、何ができると思ってる? 何もできない! 何も生めない!」


 既に知っていることのように、エドは言う。目の見えない彼にとって、ジゼという冷たい女の感情は読みづらいはずだった。

 しかしどうだ。

 彼はあまりに彼女のことを理解していた。


「あんたを見てると寒気がする。一生止まっていたいなら一人でやってろよ。僕たちを巻き込むなッ!」


 かつての自分。

 人を疑い、興味を失った自分。

 そうして何かを生み出すこともしなかった自分。

 つまるところエドは、その過去に対して、激怒していた。


「巻き込むなだと……貴様こそそうだろう」


 ジゼもまた、感じ取っていた。

 だから嫌いなのだ。

 自分を写す鏡は嫌いなのだ。


「私の目は騙せない。貴様も己を含めた全てを信用していない。大した興味もない。他人と接するフリをしているだけだ!」

「――残念」 エドはがっしりとジゼのリボルバーを掴んだ。 「僕にはヨライネさんがいる」


 ジゼは一度、不快そうに眉をひそめた。

 しかし、すぐに理解して、唖然とした。

 エドが自分よりも恵まれていることを、彼女は理解した。

 銃を押し付ける腕の力が、すっかり抜け落ちる。


「まさか」


 ジゼの両腕がエドから離れ、垂れ落ちて、そして彼女は、一歩、二歩と退いた

 その手にはまだリボルバーが握られていたが、もうそれには、なんの意味も無い。凶器としての意も、脅しとしての意も、お守りとしての意も。


「まさかあの方を信用しているとでも……?」

「違います」


 エドはジャケットの襟を正しながら言う。


「僕にとって、あの人はしるべ——いえ、しるしですよ」

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魔力と心は目に見えない〜魔術修復研究室のお悩み相談〜 紳士やつはし @110503

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