第36話 30 コスプレはご勘弁


 ――幼い頃、メリッサが着ているワンピースに憧れた。


 踊るときにくるりと回ると、ふんわり翻る長いスカート。幼心に可愛いと思って、乳母に「私も着てみたい」と無邪気に強請ったことがある。

 だけどそう告げた時。いつも穏やかに微笑んでいた乳母は、それまでに一度も見たことがない鬼気迫った顔をした。そして、痕が残るほど強く私の両肩を掴んだ。


『貴方がドレスを纏うということは、貴方の死を意味するのですっ。どうか二度とそんなことを口になさらないでくださいませ……!』


 乳母の有無を言わさぬ迫力と涙を滲ませながら歪んだ顔を見て、自分の言葉が乳母を傷つけてしまったことはわかった。

 当時は自分の置かれている立場をまだよく理解できていなかったし、その時は男の子がドレスを着るのはとてもいけないことなのだと、単純にそう思った。

 けれど年齢を重ねていくにつれて、乳母の言った言葉を理解した。ああ、なるほど。あれはそういうことだったのか、と。

 理解した時、あの時の言葉が呪いのように私の心に突き刺さった。


 ――私が正しい性別に戻る時が来るとしたら、それはきっと死を迎える時なのだろうと。


 それを象徴するものが今、私の手の中にある。

 青ざめるなという方が無理だし、性別を疑われているのでは、という恐怖も湧いてくる。

 でも恐る恐る兄の顔を窺った限りでは、その目は優しい。善意なんだろうと、嫌でもわかる。


(でも……こんなの、どうしろと)


 侍女の服を手に固まっている私に助け舟を出したのは、意外なことに箱を持ってきたクライブだった。


「シークヴァルド殿下。アルフェンルート殿下がお困りでしょう。だからあれほどやめておいた方がいいと言ったのです」

「……クライブ?」


 兄を咎める言葉を放ったクライブに視線を向け、呆然とその名を呼んだ。

 

「普通、どんな理由だろうとドレスを贈られて喜ぶ男はいません。ましてや殿下は難しい年頃でしょう。侍女の格好が似合うと言われても嬉しいわけがありませんし、お祝いで困らせてどうするのですか」


 このときほど、クライブが神に見えたことはなかった。まさか庇ってくれるなんて……!

 今まではひたすらに警戒対象でしかなかったけど、こちらの心情を表面的にでも理解してくれたことで私の中のクライブの株が急上昇していく。これはちょっと見直してもいいかもしれない。

 それぐらい、クライブの言葉は救いだった。

 しかし兄は、「だがこれ以上に良い案などないだろう」と引かない。


「それに私だってそれを着たことがあるが、別に何とも思わなかった」

「目的のためには手段を択ばない貴方の図太さと、繊細そうな殿下を一括りにしないでください」

「兄様も着たことがあるのですか!?」


 クライブは即座に兄の言葉を蹴ったけれど、逆に私は兄の言葉に食いついてしまった。今のセリフを聞き逃せるわけがない。

 だって兄が、この服を!? この兄が!? 嘘でしょう!?


「昔な。アルフェぐらいの時に、お忍びで出かけるのに都合がいいと思って用意したのがその服だ」

「では、もしかして兄様もこれを着て、おでかけされたのですか……?」


 あっさりと肯定され、動揺のあまり声が震える。

 だって、女装とか絶対嫌がりそうな人に見えるのに。そんな恰好をするなんて絶対プライドが許さないっていうタイプなんじゃないの? 自ら進んで侍女の格好をするとか、目的のためには手段を択ばなさすぎるでしょうっ。

 絶句する私を横目に、しかし兄は「いいや」と首を横に振って息を吐く。


「それが、クライブが侍女の恰好をした私の隣を歩くなど断固として断ると言ってな。見た目的には問題はなかったはずだが、結局一度も使うことなくお蔵入りしていたわけだ」

「言っておきますが。心情的に嫌だったのは否定しませんが、あんな格好で外へ出たら確実に人攫いに目を付けられるだろう貴方を守るだけの力が、当時の僕にはなかったというのが一番の理由ですから」


 私と同じくらいの年だった頃の兄を姿を思い返してみれば、苦虫を噛み潰した様な顔でクライブが言った言葉はよく理解できた。

 当時の兄ならば、女装しても全く違和感はなかったように思う。第一王妃譲りの美貌を考えれば、一目で心奪われる絶世の美少女に見えたに違いない。

 そんな姿で外に出れば、むしろ男の格好で出歩くより目立つに決まっている。クライブだって兄と同じ年なわけだから、当時の彼にそんな兄を守れというのは酷な話だ。


「だが今のクライブならば問題あるまい。アルフェ一人ぐらい守ってもらわねば困る」

「守る自信がないからやめろと言っているわけではなく、女装を強いられる殿下のお気持ちを考えろと言っているのです」


 クライブがちょっと乱暴な口調になったのは、乳兄弟ならではの気安さ故だろう。だけどちょっと驚いた。もしかしたら二人きりの時だと、こんな風なのかもしれない。


「アルフェ。そんなに気に入らないか?」


 不意に淡い灰青色の瞳がこちらに向けられ、意見を問われた。

 「もちろん嫌です」と言いたいけれど、喉が詰まって言葉が出てこない。

 そんな残念そうな顔で見てくるなんて反則だ。断ろうとしている私が、兄の好意を踏み躙るかのように見えてしまう。

 いや、実際にそうなんだろう。

 兄の庇護下となる侍女ならば、第一皇子の用であるという理由を振り翳せば、きっとほとんどの場所に入れてしまう。

 使いようによっては、とても危険な通行証だ。そんな服をこんな難しい立場にいる私に渡すなんて、よほど信頼していると言われているも同然である。

 その信頼を拒絶する真似は、とてもじゃないけど出来ない。それほどの信頼を寄せられて嬉しい気持ちは、確かにあるのだ。


「……いえ。驚いただけなので、絶対に着たくないわけでは、ないのですが」


 結局迷いに迷って、眉尻は下がったが躊躇いがちにそんな言葉が口から零れた。空気を読んでしまう日本人気質が、こんなところで顔を出してしまうなんて。


「そうか。ならばよかった」


 私の返事を聞いて、兄が目を細めて微笑んだ。その顔はとても満足気だ。

 そんな嬉しそうな表情を目の当たりにして、「でも出来れば嫌です」なんて言葉は続けられなかった。


(私の馬鹿!)


 でもお断りしますだなんて、言えるわけがなかった。

 そもそも私がお忍びで外に出られるようにするのが目的であって、これはただの手段に過ぎない。きっと女装すること自体は、深く考えることじゃないのだ。

 わざわざ私の為を思ってくれたのだとわかっている以上、ここは覚悟を決めて受け取るしかない。


(ここまで来たら仕方ない……着るしか、ない!)


 ぎゅっと服を握り締めると、兄が覚悟が出来たのを悟ったのか「そちらで着替えてくるといい」と隣室へと続く扉を示された。それにはさすがにぎょっとする。


「ですがあちらは兄様の寝室、ですよね?」

「ああ。別にアルフェに見られて困るようなものは何もない」


 そう言われても、兄とはいえ異性の部屋に入って着替えろと言われたら困惑もする。

 せめてどこか別の部屋でと言いたいけれど、兄は気にした様子もない。「内側から鍵が閉められるから丁度いいだろう」などと言ってのける。


「では、お言葉に甘えてお借りします」


 これ以上固辞して、ここで着替えろと言われても困る。そんなことになったら死ぬ。物理的に死ぬ。

 兄の気が変わらぬ内に服の入った箱を持って立ち上がった。扉へと向かおうとしたところで「殿下」とクライブに呼びかけられた。

 足を止めて振り返れば、ちょっと躊躇った後でクライブが口を開く。


「お手伝いしましょうか?」

「……は?」


 思わず、自分でも驚くほど低い声が漏れた。

 顔を強張らせて、何を言ってるんだこいつは、という冷ややかな目を向けてしまっていたと思う。

 これは条件反射みたいなものだから許してほしい。

 私が着替えを人に手伝わせることなど、メリッサにすら滅多にない。それぐらい注意を払ってきたことだ。

 とはいえよく考えたらクライブは私が男だと思っているわけだから、変な下心なんてなくて善意のつもりだったのだろう。申し訳ないことをしたと思ったけれど、今更取り繕えない。

 ここはただでさえ着たくない女物の服を着るのに、その着替えをクライブの前に晒せというのかと、機嫌を悪くしたと思ってもらった方がいい。

 私の態度が硬化したのを感じたのか、クライブが慌てて「女性の服の着方はよくわからないでしょう」と口にする。

 なんだかその言い回しに、無性に胸がささくれ立つのを感じた。


「まるで自分はよくわかっているような言い方ですね。結構です。一人でも問題ありません」


 そう言いおいて、返事も待たずに踵を返すと兄が示した寝室へと入って扉を閉めた。勿論、鍵も忘れずに閉める。

 私が言い放った言葉にクライブが絶句していたような気配が背後で感じられたけれど、気づかなかったことにしたい。

 だって自分でも、なんであんなことを言ってしまったのかわからない。叫び出したい衝動を必死に堪えてその場に蹲る。


(私は何言ってるの!?)


 今の、言う必要あった!? ないよね!

 きっとあれだ、乙女ゲームは全年齢だったから、キャラとそういうシーンがなかったので思わず動揺して冷たい声が出てしまったのだ。

 でも自分がここまで潔癖とは思わなくて、ちょっとどころでなく動揺している。

 こういうところは、前の自分とうまく噛み合ってないのかもしれない。年相応の潔癖さが残っているみたい。

 というより、やはり画面の向こうの相手と生身の相手では、生々しさが違うというべきか。

 あの兄に女性関係があるかもって思ったときも動揺したし、クライブに対しても同じなんだと思う。


(でも、そっか)


 クライブ、そうなんだ。

 いや、まぁ、ここは15歳で成人だしね。クライブはもう18歳になっているのではなかった? うん、そういうこともあるよね。うん。

 それでなんでこんなにちょっと面白くない気分になるのかは、わからないけど。

 でもほら、クライブはゲームでは攻略対象だったわけだし。ゲームでは爽やかで真摯な騎士様という感じだったから、実はそれまでに乱れた女性関係があったかと思うと、裏切られた感があるというか。

 裏切るも何も、そういう関係でもないのだけど。ないのだけど!

 こんなくだらないことで動揺している場合じゃないのに、胸の中で動揺の嵐がおさまらない。

 なによりも、動揺している自分自身に一番動顛して、しばらく立ち上がれそうになかった。


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