第48話

「ふあぁ」


 翌朝、裕樹は思い切りあくびをかみ殺した。寝不足だ。紛うことなくシンプルに寝不足だ。脱いだ外靴をしまうのも面倒なくらい寝不足だ。

 昨日、秀に連絡を取ろうとした。だがいつまでも既読にもならなかった。

 以前秀のワイフォンを預かったとき、通知がものすごい量だった。もしかしたら今回もすごいことになっていて――何せあの炎上っぷりだ――裕樹の連絡にまで手が回っていないのかもしれない。大量の通知に紛れて気づいていない可能性もある。


「でも、ツブヤイッターは結構な頻度で更新されてたんだよなぁ……」


 だからこそ裕樹もつい追ってしまい、寝付けなかったのだが。


「おっはよーん!」

「うわ!?」


 もう一度あくびをかみ殺したとたん、思い切り背中を叩かれた。

 ばしん! と景気が良い。こんな景気のいい挨拶をする人物なんて――。


「有馬君!」

「やっほやっほ、裕樹君おっはー。いやー五億年ぶりくらい? 懐かしくてテンション上がっちまうわ」

「一日休んだだけで大袈裟だよ」

「いやいや、みんなとお話できなくてオレってば孤独死するかと思ったっすよ」


 元気に挨拶をぶちかましてきた有馬秀はいつも通りだった。拍子抜けするほど。よくもまあそこまで回るものだと思う口が止まらない。ニコニコ、ペラペラと話し続ける。あっという間にいつものノリだ。

 裕樹はこめかみを揉んだ。いけない。気が抜ける。流される。


「有馬君、ご機嫌なところ悪いんだけど……」

「なになに? デートのお誘い? だったらマネージャーを通しておなしゃす」

「そうじゃなくて。ツブヤイッター、どうしちゃったのさ」

「へ?」


 きょとんと秀が瞬く。

 おや、と裕樹は意外に思った。

 あれだけの騒ぎになっているのだ。すぐに何のことか分かっていいはずなのだが。

 靴を履き替えた秀が隣に並ぶ。何とはなしに二人は歩き出した。


「実はワイフォン壊れちまってさぁ。今修理中なんだよなー」

「え? いつから?」

「一昨日だったかな。だからツブヤイッターも全然見れてないんすわ。何かあったん?」


 裕樹は瞬いた。

 ワイフォンが故障中。なるほど。それならば、あの呟きは秀のものではないわけだ。

 ――それなら、誰が?


「有馬君……言いにくいんだけど……」

「愛の告白なら文通からでお願いしまっす」

「だからそうじゃなくて。今、有馬君のアカウントが炎上してて……」


 何と説明したものか。

 言葉に悩んでいる間に教室についてしまった。ますます焦る。うんうんと唸るが、裕樹にも事情がよく分からない。

 裕樹の様子を不思議そうに見ながら、秀がドアを開ける。

 と――。

 教室の喧噪が、不自然なほどに静まりかえった。


「お?」


 ピリッとした空気を、秀も感じないわけがないだろう。

 それなのに、彼はヘラヘラとした笑いをやめない。


「なになにこの空気。うははおはよ! みんなに会いたくて会いたくて震えちゃったっすよマジで!」

「シュウ、昨日何してたんだよ」

「え? 色々だケド、どしたん、そんなにオレのこと知りたい系? やだ照れるぅ。プライベートなことはもっと親密になってから……」

「サボりだったんだろ」


 秀がふざける余地もない。ぴしゃりとクラスメイトが遮るものだから、秀は瞬いた。

 クラスメイトの一人――昨日裕樹にも話しかけてきた男だ――が睨んでくる。


「ツブヤイッター、見てないとでも思ってるのかよ。散々好き勝手なこと言いやがって」

「へ?」

「あ、あの。今さっき聞いたんだけど、有馬君のワイフォン、今壊れてるんだって。だから昨日呟いていたのは有馬君じゃないみたいなんだ」

「はあ?」


 分かりやすく男の声が跳ね上がった。裕樹は一歩下がる。威圧はやめてほしい。弱い心臓が縮み上がってしまう。


「じゃあパソコンから呟いてたんじゃねーの? それか代替機とか。何でもあるだろ」

「よくわかんねーケド、二日くらいはツブヤイッター開いてもないっすよ」

「じゃあ昨日のは何だったんだよ。昨日、学校休んでまで何してたんだ?」

「それは……」


 秀が口ごもった。曖昧な笑みが浮かぶ。

 それをどう捉えたのだろう。クラスがまたざわつき始めた。


「昨日は色々あってー……まあ企業秘密ってやつなんすケドー」

「そんなんで通じると思うのかよ。ワイフォン壊れたってのも、全部ウソなんじゃねぇの」


 嘘。ばっさりと切り捨てるような物言いに、クラスがまたざわめく。

 秀がヘラリと笑った。


「やだぁー。冗談きついっすよー。ちょっと体調悪くて休んだだけですしぃ」

「だったら最初からそう言えよ」

「空気和ませようと思って。なんて。あは」

「……」


 秀の態度はどこまでも軽い。しかし空気はどんどん重くなる。

 裕樹は口を開きかけ――また閉じた。

 何を言えというのだ。こんな気まずい雰囲気で、自分に何ができるというのか。どうせもっと空気を悪くするだけだ。

 ふと、昌明を見てみる。彼は興味が薄そうにしていた。腕を組んで席にふんぞり返っている。

 紗希を見ると、彼女は友人と寄り添っていた。ハラハラした表情をしている。周りの女子は大体似た傾向だ。この雰囲気自体に怯えているのかもしれない。莉緒もまた、しきりに秀と男を交互に見ている。


「あのさ? とりあえず状況が分かってねーから、説明だけでもほしいんすケド」

「バカにすんのもいい加減に……」


 男が声を大きくしたそのとき――。


 キィーン、コーン……

 間延びた本鈴が鳴り響いた。先生が入ってくる。みんなが慌てて席に戻る。

 男は舌打ちした。勢いよく背を向けて歩いていく。秀は頭をかいて肩をすくめる。

 気まずい空気は消えないまま、朝のホームルームが始まってしまった。


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