第44話

 目が覚めると、見慣れた景色だった。

 まだ覚醒しきれていない頭で、そんなことを理解する。


「ゲームに取り込めないなら、直接襲ってやる……!」


 幼い声だった。

 孝徳は重たい頭を起こし、視線を巡らせる。

 見慣れた景色の中に、見慣れない人物が――二人。

 一人は、少女。まだ幼く、小学生低学年くらいだろうか。パーカーを羽織り、ヘッドホンを首にかけた少女は、いやに目がギラついていた。

 その少女の影が、むくむくと黒く広がっていく。

 澱み。

 その影が、まだ目覚めていない秀の方へ伸び――


「だ、だめだ!」


 対峙していたのは、一人の少年。秀と同じくらいの年、背丈。気弱そうな彼は、震える両手を掲げた。その手に強く握られているのは、ワイフォン。

 彼がワイフォンの内蔵カメラを少女に向ける。伸びていた影が、勢いよくワイフォンに吸い込まれていく。

 ポカンとした少女。冷や汗を垂れ流す少年。

 そして。

 もぞもぞと起き出した秀が、ふぅ。息をついて、少年に笑いかけた。


「さっすが祐樹君、ナイスタイミング」





「メールを読んでビックリしたよ……。有馬君ってば、また変なことに首を突っ込んでるみたいだし……鳴瀬君まで巻き込まれているなんて」

「いやあ。ゲームの中じゃ、『妖怪に用かい』アプリも使えねーしな。でも追い込めば表に出てくる可能性が高いと思って。そんな憶測だけでも来てくれる祐樹君ってばお人好しぃ! ステキ! かっこいい!」

「取って付けたような褒め言葉なら、ない方がいいよ」

「祐樹君のいけずー」


 うりうり、と秀に肘を押しつけられ、祐樹と呼ばれた少年――石井裕樹が溜息をつく。彼は秀のクラスメイトということだった。昌明といい、裕樹といい、なんというか秀の友人はことごとく「ジャンル」が違う。孝徳もその一人なので、きっと他人のことは言えないけれど。


「そういえば今朝、秀殿のワイフォンが鳴ってたな。あれは裕樹殿か」

「あ、はい。多分そうです」

「サーセン。バタバタしてて見てなかったっす」

「ほんとにね! 言うだけ言って、こっちのメールには返事をくれないからどうしようかと思ったよ」

「それでも来てくれる祐樹君……トゥンク……」

「もう。冗談だと思って僕が来なかったらどうするつもりだったんだよ」

「祐樹君は超絶まじめだから大丈夫だと思ってたんすよ」

「褒めてないよね?」


 二人が和やかに話す一方で、目を覚ました昌明が、非常に苦々しい顔をしていた。苦虫を噛み潰したような、とはまさにこのような顔なのかもしれない。


「石井に助けられるとか……くそが……」

「鳴瀬君は鳴瀬君で、とても失礼だよね……」

「あ?」

「い、いえ、何でも」

「――で」


 孝徳の言葉に、三人が口を閉じる。自然と視線は一つに集中した。

 正座させられている少女。ものすごく、とてつもなく、不機嫌そうな表情をしている。


「貴殿が、シキ殿だな」

「……だったら何だい」


 ムスッとしたまま顔を背けるシキ。

 ひょいと秀が前に出た。彼女の目の前で屈み込む。


「えーと。シキさん? シキちゃん?」

「……シキでいい」

「じゃあ、シキ。君は――座敷わらしかな?」


 シキが目を見開いた。口もぽかりと開いている。

 怪訝そうな声を出したのは、裕樹たちだ。


「座敷わらし?」

「そのチビが?」

「そ。ゲームに取り込むのは最初からできてたワケじゃないし、それは妖力が歪んで強くなった副次的な効果っすね。本質はそっちじゃない。彼女の本質は、プレイしたゲームが流行り繁盛し、プレイしなくなれば廃れていくこと」


 座敷わらし。

 座敷や蔵に住む神で、そこの者へ幸運や、富をもたらすという精霊的存在だ。一方で、座敷わらしの去った家は衰退するとも言われている。


「……家に憑く妖怪なのだから、ある意味、引きこもりでゲームし放題なわけだな……」

「最近は漫画喫茶に出入りしてたんじゃねーかなぁ。なんかそっちでも店の流行り廃りが激しかったみたいだし」

「……そうだよ」


 諦めたのだろうか。シキはぞんざいに頷いた。

 孝徳は眉をひそめる。

 このような幼子を責めるのは、幾ばくか心が痛む。

 だが、放置はできない。また同じことを繰り返されても困る。

 コホン、と孝徳は咳払いをした。声を低める。


「なぜ、ゲームをいたずらに終わらせるようなことを?」

「なぜ? なぜだって? それを言うのかい? プレイヤーの君たちが!」


 キッ、とシキは睨み上げてきた。勢い余って立ち上がる。しかし姿は少女なものだから、やはり、孝徳とは相当な差だ。


「ボクはゲームが好きさ。大好きさ! どんなゲームだって楽しんできた。愛してきたよ」

「シキ殿……?」

「だけど、どうだ? プレイヤー同士でのいがみ合いはどこでも絶えない。初心者を口汚く罵る古参、課金してレアな装備ってだけで鼻高々に自慢する勘違い野郎、クエスト中だってのに別のことをして蔑ろにしている奴だっていた……うんざりだ」


 彼女はかぶりを振る。背中まである黒い髪が、パサパサと一緒に揺れる。首に掛けられたヘッドホンもカタカタと音を立てた。


「ボクはそういう奴らが嫌いで、見限って違うゲームに移っていただけだ。ボクの力なんかじゃない。そういう奴らが、ゲームを食い潰していくんだよ」


 彼女に浮かぶのは、自嘲的な笑み。


「あげくにはボクを追いかけてプレイし始めたなんていう輩まで現れだした。ゲームを見ずにボクを見てどうするってんだ? 反吐が出るね。どこにいたってこれじゃ変わらない。だからボクは、ボクが楽しめる環境を整えようと思ったんだ」


 ――ああ。

 孝徳は、目を細める。きっと、何を言っているのだろうと思う者が大半だ。彼女の主張は、理にかなっているとは言い難い。

 だが、ゲームが好きなのだろうということは、孝徳には分かる。

 純粋に楽しみたくて、それを邪魔する奴らに腹を立てて――

 要するに、子供なのだ。

 見た目のままに。


「……顔こそ見えぬものの、共に遊ぶ相手あってのMORPG。最低限の配慮が必要なのは確かだ」

「そうだろ!?」

「だが、ゲームの楽しみ方は人それぞれだろう。シキ殿のように、ゲームそのものを楽しみたい者もいる。我々のリーダーのように効率を狙い、より高みを目指したい者もいる。秀殿のように、人とのやり取りを楽しみたい者もいる。そこに正解などない。だが。いや、だからこそ」


 孝徳も、肝に銘じなければと思っていること。


「それを他人に押しつけてはいけない」

「……っ!」

「そしてもう一つ。運営を愚弄するな」


 孝徳は腕を組んだ。不遜に見えるかもしれないが、構わない。このことについては、孝徳は随分と腹に据えかねていたのだ。


「運営なくして我らはプレイができぬのだぞ。神として崇めよとは言わん。だが、敬意は払わねばならん」

「そんなの、言われなくたって……!」

「勝手にプログラムを改竄するなど論外だ。PvP然り。本丸の荒れよう然り。開発に関わった多くの方々の努力を無碍にするような行為、ゲーマーの風上にも置けぬ」


 息を飲んだシキが、後退る。


「う……うるさい! うるさいっ! そんなの! そんなの、だって、仕方ないじゃないか! ボクはただ! ただ……!」


 シキが癇癪を起こした。耳を塞ぎ、大きくかぶりを振る。そのまま駆け出し――


「うわ!」


 勢い余って、裕樹にぶつかった。二人揃って倒れ込む。

 倒れ込んだ裕樹の手が机上のノートパソコンに当たった。昌明が使っていたものだ。元々無造作に置かれ、バランスが悪かった。薙ぎ倒され――


「私のデータが!」


 叫ぶなり、孝徳は懐から扇を取り出した。

 一振り。

 風が吹き上がり、ノートパソコンを押し上げる。

 もう一振り。

 重力の勢いを殺す。静かにノートパソコンを着地させる。


「……ふう……っ」


 事なきを得た。寿命が縮むかと思った。


「……え、あの、今の」

「祐樹君、だいじょぶ? シキも」

「え、僕は大丈夫だけど、あの、今の」


 よいしょ、と秀がシキと裕樹を引っ張り上げた。シキは泣きそうに表情を歪めている。裕樹はひたすら目を丸くしている。ついでに、昌明も。

 シキの服を軽く整えてやった秀が、笑いかけた。


「シキはさ、ゲームが好きなんだよな」

「……そうだよ」

「楽しかったか? プレイヤー狩りしてる間」

「え……?」

「みんなとクエストしてたときと、どっちが楽しかった?」

「……ボクは、別に……」

「テンさんが言ってたように、楽しみ方を押し付けちゃいけねーのかなって思う。だから聞きてーんだケド、シキはどっちが楽しかった? 何してんのが楽しかった?」


 シキの瞳が揺れる。

 彼女は答えない。答えられない、のかもしれない。


「オレはさ、人が楽しんでんの見るとオレも楽しくなっちゃったりして。んで、オレがフレンド登録した人、みんな楽しそうにしてた人ばっかなのよ。だからきっと、オレがシキをフレンド登録したとき、シキは楽しそうだったと思うんだケド……ちがう?」


 穏やかな声だった。まるで幼子に話しかけるように、彼はゆったりとした口調で続ける。


「やっぱさ、ゲームなんて楽しんでナンボっしょ。イヤなことあっても、楽しく遊べりゃそれも帳消しっつーか。プラマイゼロっつーか。むしろ自分たちでプラスを増やしてこーぜ」

「そんなの、どうやって……」

「一緒に遊ぼうぜ」


 にへ、と相変わらず軽く笑う秀。目を丸くするシキ。

 わしゃりと秀はシキの頭を撫でた。


「オレやナルじゃレベル足んねーかもしんねーケド。知ってるだろうケド、テンさんは強いぞ。いいライバルになるんじゃね?」


 シキがうつむく。声が震える。


「そんなこと……ボクが許されるわけ……」

「そんで余裕あったら、オレらに色々教えてよ」

「え……」

「オレも式紙出せるようになって、テンション上がったし! スキルとかももっと知りてーな! それにオレら以外にもさ、助けてほしい人、たくさんいると思うんすよ。みんなと遊ぼうぜ。なっ? あ、そーだ。お近づきの印に飴ちゃんどーぞ」


 ポケットから飴を取り出した――彼は細々としたお菓子をなぜああも持ち歩いているのだろう――秀は、それを、シキの口へ押し込んだ。

 もごり。小さな口の中で、シキが飴を転がす。

 じわりと溶け出す飴。はちみつキャンディ。

 シキが乱暴に目をこすった。

 彼女は目尻を赤くして、キッと気丈に睨み上げる。


「……ボクは、スパルタだからね……! 覚悟しなよ」

「うははがんばるー」

「……秀殿はすぐそうやって妖怪を口説き落とす……」


 はあ、と孝徳は肩を落とした。今に始まったことではないので、咎める気もないけれど。

 一件落着か。

 緩んだ空気に、首を鳴らす。長時間ゲームをやることが常な孝徳としても、今回の件はさすがに骨が折れた。妙に身体が強張ってしまった気がする。

 そうやってグルグル腕やら肩やらを回していると、裕樹がおずおずと見上げてきた。


「ていうか、その、普天間さんって、何者……?」

「天狗だが?」

「え!?」

「はあ!?」

「あり? 言ってなかったっけ?」

「言ってねぇよ!」

「あはー。てっきりてっきり。うっかりしてたわ。サーセン!」

「天狗とふつうに話してるとか有馬君こそ何者なの!?」


 場がとたんにやかましくなる。

 シキもまた怪訝そうに見上げてくるものだから、孝徳は笑った。


「まあ、伝説のゲーマーと比べれば、さしたる存在でもなかろうよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る