第42話

 何を見ても、何を食べても、感情は凪いでいた。

 長く生きていれば、大きな変わりなど生まれない。ただただ時間が過ぎていく。消耗。浪費。虚無感。

 これが退屈というものかと、どこか他人事のように思う。

 ふと隣を見ると、幼子が一生懸命何かを頬張っていた。

 黒くて、四角い――。

 それは何かと目で問うと、子供は笑った。


「よーかん!」


 声変わり前の、高い声。

 羊羹。それなら知っている。餡を寒天で固めた和菓子。甘い。口にしたことはあるが、ただその程度の感想だ。


「じいちゃんが、いいことあった時とかにくれんの」


 縁側に足を投げ出して、ぷらぷらさせていた子供は、聞いてもいない話をしてきた。


「だから、あげる」


 なぜ。わからなくて首を傾げる。

 同じ方向に首を傾げた子供は、やはり笑った。


「君に会えたから」


 セミが、うるさい。なぜかふいに畳のにおいを意識する。皮膚が暑さを知覚し、汗がにじんだ。


「ん」


 差し出された羊羹を、一口、頬張る。

 もぐり。

 噛んだ瞬間、餡の上品な甘さが口の中に広がった。しみわたる。

 美味しい、のかもしれない。

 満足そうに笑う子供。

 いたたまれなくて、目を背けた。

 その視線の先、畳の部屋に、四角い箱があった。箱といっても容器ではない。機械だ。畳や縁側、木造の日本家屋といったココには、何だか不釣り合いな。

 あれは何かと、目をこらす。

 気づいた子供が、自慢げに胸を張った。


「あれは――」




***



 戸を開けると、外の眩しい光が目に痛かった。

 孝徳はぐっと身体を伸ばす。冷房で冷え切った身体には、暑すぎるほどの外気温もちょうど良く感じてくる。それも初めの内だけだろうけど。

 孝徳は戸の掛札を確認した。「閉店中」。

 よし、と一人頷き、中へ戻る。

 部屋では、秀が食卓に突っ伏していた。


「秀殿」

「……んぁ」


 軽く揺すると、ぼんやりした声が返ってくる。もぞもぞと彼は上半身を起こした。


「あれ、朝? 寝てた……?」

「ああ。かなり遅くまでがんばっていたが、限界だったようだな」

「ナルは……?」

「昌明殿は……変わらないな。あのままだ」

「……顔洗ってくる」


 立ち上がった彼は、のた、と洗面所の方へ姿を消した。それを見送り、孝徳はパソコンへ手を伸ばす。

 秀は、フットワークが軽い。その分、じっと座ったままの作業は苦手だろう。見るからに疲れている。

 ぶぶぶ、と震える音が鳴った。見れば、秀のワイフォンが点滅している。すぐに途切れたのでメールだろう。

 もう一度鳴る。

 だが、今度は孝徳のワイフォンだった。こちらもメールだ。

 メールを開く。送ってきたのは金平糖喰いだった。珍しい。お互いゲームにログインしている時間は長い方なので、わざわざメールを送る機会などあまりない。


「……! 秀殿!」

「おっしゃー! 目ぇ覚めた! ってどうしたテンさん?」

「猫太マル殿もやられた!」


 秀が目を丸くする。彼は即座にパソコンの前に戻った。スリープモードだったパソコンを立ち上げる。ゲームを起動。ログイン。

 孝徳は別の画面で作業をしていたが、ログインしたままだった。画面を切り替える。


 そこは――爽やかな夏模様の本丸ではなかった。


 庭から見える景色のあちこちに黒い煙が上っている。部屋に残る凄惨な血しぶき。鯉は水面に浮かび、BGMの代わりに聞こえてくるのは幾多もの怒号。


「何すか、これ……」

「運営がアップデートした……というわけではなさそうだな」


 公式ページや運営のツブヤイッターを確認する。しかし、特に変わったことはアナウンスされていない。


【何これ】

【こわっwww】

【夏だしホラー?】

【運営に問い合わせてるけど全然反応ないぞ】

【お知らせ忘れてるだけだろ】

【雰囲気あるな……】

【スクショ撮っとこ】


 誰も現状を把握できている者はいないのだろう。この状況に対するチャットが飛び交っている。


「秀殿。組織部屋に行こう」





 組織部屋もまた、荒れていた。ところどころの畳は黒くくすぶり、掛け軸は破けている。伝言機能も使えない。

 部屋には金平糖喰いと花梨、それから他に六名。

 輪になって話していた彼らは、すぐ孝徳たちに気づいた。金平糖喰いと花梨が寄ってくる。


【金平糖喰い:テン。それからシュウも。よく来たな】

【テン:猫太マル殿はどうした?】

【花梨:シキさんに会ったというチャットが飛んできたの……でもそれから連絡がつかなくて……】

【金平糖喰い:シュウはインしてねーし、テンにチャット送っても返事来ねーし、お前らにも何かあったかと思ったんだぞ】

【テン:すまない。別画面で作業をしていたのだ】

【花梨:猫太ちゃんまで連絡つかなくなるなんて……やっぱり、シキさんが何か関係してるのかな……】

【金平糖喰い:あいつ、この中じゃ一番シキにやられても気にしなさそうだったけどな】

【テン:それなんだが】

【花梨:?】

【テン:まさまさ殿もやられた】

【金平糖喰い:何だって!?】

【花梨:まさまさちゃんが? そんな……どうして……】

【テン:シキ殿を打ち負かせば、彼らは戻ってくるはずだ。私とシュウ殿はそのために動く。だが二人じゃ心もとない。みんなも力を貸してはくれないか】


 沈黙があった。

 チャットが見えているであろう、他の者たちもこちらを見ている。だが、誰も返事を返さない。

 沈黙に耐えきれなくなった秀が会話に加わってくる。


【シュウ:ムリにとは言わないです。でもみんなで戦った方が勝機は増えると思います】

【花梨:でも……あのね、言い損ねてたけど、実はリーダーが……】

【テン:どうされた】

【金平糖喰い:リーダーも恐らくやられたっぽい。連絡がつかねぇ】

【金平糖喰い:あのガチガチに最強装備で固めたリーダーさえやられちまうんだ。俺らにはとてもじゃないけど無理だと思う】

【テン:そうか】


「……そうか……」


 孝徳は低く呟いた。リーダーもやられていたとは。これはいよいよ、このゲームも追いつめられているのかもしれない。

 組織のメンバーに別れを告げ、孝徳と秀は本丸へ戻った。

 気落ちは隠せない。組織のみんなは、これまで共に戦ってきた仲間だ。だからこの事態でも、共に戦ってくれると思っていた。それなのに。


「テンさん。とりあえず桜餅ちょーだい」

「ああ……そうだな。装備も整えよう」

「うぃうぃ」


 全く落ち着かない荒んだ景色を眺めつつ、孝徳はキーを叩いた。アイテム欄を開き、秀へ大量の桜餅を送りつける。秀からもいくつかのアイテムが送られてきた。主に彼では使いこなせないものたちだ。

 秀のアバターが桜餅を頬張る。


 テレレン!

 テレレン!

 テレレン!


「うははめっちゃレベル上がる」

「だんだん必要になる経験値が増えてくるからな。できるだけ食べてくれ」

「了解」


 テレレン!

 テレレン!


「テンさんはさあ」


 ふいに。画面を見ながら、秀が呟いた。キーを連打し続けながら。


「何だ?」

「シキさんって、何でゲームやってんだと思う?」

「……何?」

「いんや、素朴な疑問。倒されて朦朧としてたからうろ覚えだケド、ナルと話してるときとか、なんか憎んでるっぽかったじゃん。でもさ、そんなにゲームがイヤならやめりゃいいのに」


 孝徳は、困惑した。

 秀はひたすらキーを押している。こちらを見ない。どういう意図の質問なのか、どこか、つかめない。


「テンさんは、何でゲームしてんの?」

「……」

「例えばだぜ。このゲームにこだわらなくても、別のゲームすりゃいいのに。そうすりゃシキに遭遇する危険もとりあえずは減るじゃんな。よくわかんない妖怪に襲われてまで、続けたい?」

「……私は……」


 答えにあぐね、孝徳は視線を落とした。ファンの音が響く。


「だが、私はそれでもこのゲームを……、秀殿?」


 いつの間にだろう。秀がノートパソコンの上に突っ伏していた。すぅ、と寝息が聞こえる。


「秀殿? ……遅くまで作業していたからな……眠くなっても……」


 仕方ないのかもしれない。そう思い、ゲーム画面に向き直った孝徳は目を見開いた。

 いない。

 いない?

 つい先ほどまで桜餅を食べていた秀のアバターが消えている。

 嫌な予感がして、孝徳は秀に駆け寄った。触れた身体は大分冷えている。


「秀殿!」


 反応がない。揺さぶっても、くったりとしたまま、目を開かない。

 まさか。

 彼が使っていたパソコンへ視線を向ける。

 無機質な砂嵐。

 ――取り込まれた?

 どうして。本丸にいたのに。黒の領域に行くことはおろか、クエストを受注もしていなかったのに。

 一旦秀を床に寝かせ、孝徳はゲーム画面に戻った。乱暴にキーを叩く。


【テン:シュウ殿!】

【テン:どこだ!】

【テン:見えていたら反応してくれ!】


 通常チャットで大々的に呼びかけてみるが――やはり、反応はない。

 ならば、と思考を切り替える。


【テン:シキ殿はいるのか! 見ているのか!】

【テン:いるなら出てこい!】


 ――反応は、ない。

 歯噛みした孝徳は、ハッとした。フレンドリストを開く。秀がインした状態のままなら、現在地が載っているかもしれない。

 シュウの名前は載っていた。灰色ではなく白色で、イン状態になっている。

 現在地は、黒の領域。

 シュウの名前をクリック。

 そこから、孝徳は彼の元へ飛んだ。

 読み込み画面に切り替わり――孝徳の意識は、そこで途絶えた。



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