第39話
白さにくらんだ目を瞬かせる。
まず視界が捉えたのは、鮮やかな紅葉だった。たくさんの赤。黄色。ほんのり混じる緑。それらが一面に広がる。日は落ちかけ、薄暗い。青空ならばよく映えただろうに。
自分たちがいるのは、木造の建築物のようだった。
――寺、だろう。それも、随分と古びた。ところどころが崩れ落ち、風化しているのがよく分かる。
孝徳はこの光景を知っていた。
黒の領域。
――だが、しかし、どうして自分は、この光景を直接目の当たりにしているのだろう。液晶を通してではなく。肉眼で。
孝徳は自身を見下ろした。黒を基調とした、着物と羽織り。それから袴。腰には刀がぶら下がっている。孝徳が作ったキャラそのものだ。
「……VR?」
昌明が呟いた。彼もまたくノ一の姿だ。
だが……。
「テンさん。黒の領域に入ったらこんなドキドキ体験する……とかじゃないよな」
秀が視線を寄越してきた。いつものヘラヘラ笑いは潜められている。口調もどこか軽くなりきれていない。
孝徳は頷く。無意識に刀に手をかけながら。
「残念ながら、そんな高度な技術は知らんな。今までにも何度か黒の領域には辿り着いているが、こんなことは初めてだ」
「とりあえず、胸は柔らけぇぞ」
「あはー。ジャンプ力もスゲーや」
自身の――姿はキャラクターだが――胸を揉む昌明。彼にいつもの笑みを向けた秀は、言った通りに跳んでみせた。一メートルは跳んだのではないだろうか。相変わらず服がバサバサと激しい。とりあえず、驚異のジャンプ力といい、ゲームの効果はかなり及んでいるらしい。
すなわち。
「考えたくはないが……ゲームの中、ということか……?」
「まさか」
あっさりと否定したのは昌明だ。
だが、秀は答えなかった。
「おいシュウ。それより胸触ってみろよ。マジ無駄に力入ってっから」
「やめろよ! ナルのあんぽんたん! 逆セクハラで訴えんぞ!」
「はー? この俺のナイスバディにときめかないとか不能じゃねぇの」
「言っとくケド結構バランス悪いっすよそれ。胸ばっかデケーじゃん」
「ロマンが詰まってんだよ」
「言いながら触らせようとすんな! キャー!」
「女みたいな悲鳴上げんな、笑うだろ」
「笑わせようとしてんだよ」
――この状況で、この緊張感のなさは、恐れ入る。
昌明はゲームに詳しくない分、実感に乏しいのかもしれない。どうもアトラクションの一つくらいにしか捉えていないようだ。
一見、秀も同じようにヘラヘラしているが――。
「バランスの悪いパーティーだね」
ふわりと上空からやってきたのは、白と黒を基調とした山伏姿の少年。
欄干に器用に降り、黒い翼をはためかせる。もみじより毒々しい赤い仮面が、圧倒的な存在感を示している。
「天狗……?」
「あれがシキ殿だ」
「あん? あれどう見ても天狗だろ。妖怪も職業にあんのかよ」
「レベルが限界に達すると、そういう進化もあるシステムなのだ。だからそれ自体はあり得る」
「ははぁ。君は二度目ましてだね、お侍さん。こないだ一緒だった子はいないのかい」
くすくすとシキが笑う。孝徳は歯噛みした。
「……この現象はシキ殿の仕業か?」
「あはは。そんなことを知ってどうするのさ?」
「最近、シキ殿に出会った者はゲームをやめていると噂されている。その真偽を問いたい。そもそもシキ殿は何者なのか? それから、どうすれば我々は戻れるのか――」
「ボクに勝てたら教えてあげるよ」
シキが口元を歪ませる。
途端に強い風が舞い起こった。
反射だった。孝徳は跳んでその場から離れる。
しかし、間に合わなかった秀と昌明が風に巻き込まれた。秀はその場に留まったが、昌明は離れた柱に叩きつけられる。
「ぐ、くそ! 何だよ!?」
「いって……ナル! 大丈夫か!」
「おいシュウ後ろ!」
「!? ――ふぎゃっ」
背後に迫ったシキが、秀へ扇を振りかぶった。秀も札を出そうとするも間に合わず、扇が背中に叩きつけられる。瞬間、火花が散った。火花が消えると同時、秀が床に倒れる。起き上がってくる気配はない。
「秀殿!」
「まず回復役は潰しておかないとね」
あの扇は、天狗が用いる中でも威力が強い。本来は風や炎を操る武器だ。しかし殴るだけでも結構なダメージが出るため、「殴り天狗」などとプレイヤーの間では揶揄されることもあるほどだ。
「くっそ、何だてめぇ! さっきから生意気で訳わかんねーことばっか言いやがって……!」
「待て、昌明殿のレベルでは……!」
クナイを取り出した昌明がシキに突っ込む。職業によるステイタスの影響も大きいだろう、速い。もしかすると、孝徳よりも。
だが。
シキはひらりと跳んだ。昌明の頭上を越え、背後に立つ。扇を振るう。炎が舞い上がり、それは龍の形を取った。
仮面の下、口角が上がる。
炎の龍が、昌明に食らいつく。
「は!? ……あああ!?」
「君のレベルなら、放っておいても大したことないんだけどね。これ以上やられたくなきゃ、そのままじっとしてなよ。まあ、火傷効果ですぐやられちゃうだろうけど」
「昌明殿……!」
二人がやられてしまった。孝徳が何もできないでいる内に。いくら二人のレベルが低かったとはいえ。
実のところ、孝徳は一人で戦うつもりだった。二人が戦力外なことは分かっていたことだ。二人にはシキと遭遇する確率を上げてもらう、それだけで良かったのだ。
そもそもこんな得体の知れない状況に陥ること自体が想定外で――。
シキが素早く距離を詰めてくる。孝徳は刀を構えた。ガードで炎を弾く。
刀を翻し、斬撃を繰り出す。風圧で相手を切り刻む技。シキが扇を振るい、風の塊が向かってくる。相殺。
孝徳はもう一撃繰り出そうと刀を構え――その隙に、蹴りが飛んできた。
よろめくが、ダメージはさほど大きくない。しかし怯んだのだろう。動きが遅れる。刀を握る手に力が入らない。
つい、とシキが扇を向けてきた。孝徳の顔を、ペチンと軽く叩く。特に攻撃の意図はないのか、ダメージは伝わってこない。
ふう、とシキが溜息をついた。
「分からないな。君はそれなりにレベルが高そうだ。それなのに何でこんな低いレベルの奴らとパーティーを組んでいるんだ?」
「……私こそ分からない。貴殿は何をどうしたい。我々を害する理由は何だ」
「ボクに勝てたら教えるって言ったはずだけど。……でもそうだな。一つだけ言うなら、気にくわないから……かな」
「何だと……?」
「ハッ……くそが、ほざいてやがる」
低い声。昌明が、立ち上がった。
しかし、孝徳から見ても分かる。もうギリギリだ。火傷が彼を追い詰め、じりじりと体力がなくなっている。
「何様のつもりだよてめぇ。たかがゲームで強いからっていい気になりやがって。ただのクソガキじゃねぇか。反吐が出るわ」
「レベルの低い初心者がボクに何を言っても、負け犬の遠吠えだね」
「そのレベルの低い初心者とやらを倒した程度で天狗になってんのが恥ずかしいって言ってんだよ。大体こういうゲームは金をかけりゃそれなりにすぐ強くなるんだろうが。どうせ親の金だろ。それのどこがすごいんだよガキ。イキってんじゃねぇぞ。クソして寝ろやボケ」
昌明の暴言が続く。腹に据えかねているのだろう。止まらない。
シキが、昌明を見た。口が歪んでいる。
以前、孝徳に向けたような、勝ち誇った笑みではない。
仮面の下からにじみ出るもの。それはもっとシンプルな。
怒り、だった。
「……負けたからってすぐ暴言を吐く……たかがゲームと侮る……そんな、お前みたいな奴がいるから……」
「! 昌明殿!」
孝徳は再び斬撃を繰り出す。
しかし、シキは羽ばたいて攻撃を避けてしまう。孝徳が繰り出す飛距離では、シキの行動範囲に届かない。
「みんな、いなくなっちゃえばいいのに」
シキの炎が、視界を埋め尽くす。
揺らめく炎が、三人を飲み込んだ。
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