4章 座敷童

第35話

 紅が、風に乗って舞い上がる。葉の擦れる音が耳の奥を刺激する。

 普天間ふてんま孝徳たかのりは、汗ばむ手を服に擦りつけた。ゴクリと喉が鳴る。身体が震えるのは、緊張か、萎縮か――高揚か。


『嘘だろ……』


 ノイズ混じりの友人の声が、ヘッドホンから流れてくる。

 友人の気持ちは分からなくもなかった。孝徳だって信じられない。目の前に佇む存在に、脳が必死に疑いをかけてくる。本物か? 実在したのか? 本当に? 夢か? 幻覚か? それとも? それとも――。

 目の前の存在は、決して儚くなどない。むしろ異様なほど存在感を放っている。圧を感じるほどに。だというのに、いや、だからこそ、現実味が遠のいていく。


【シキ:ボクがそんなに珍しいかい】


 語りかけてきたモノは、仮面のせいで顔が見えない。赤を基調とした、顔の半分ほどを覆う仮面。仮面の伸びた鼻は、クチバシのようにも見える。

 スラリとした身体つきは華奢な少年を思わせる。一方で、背中から生えた両の黒い翼は艶やかで大きい。こちらを圧倒するほど。

 白と黒で構成された鈴懸すずかけ袈裟けさ。右手に構えられているのは大きな扇。

 翼に比べればくすんだ黒い髪が、風に吹かれなびいている。

 表情はよく見えないのに、笑った。少なくとも、孝徳にはそう見えた。


【シキ:まだボクと戦う気?】

『無理だ。テン、俺には無理だ』


 友人の震えた声に、テンと呼ばれた孝徳は眉を寄せた。


「馬鹿を言うな。逃げるわけにもいくまい」

『無理だって! 見ただろ! あいつの強さ! 圧倒的だ!』

「だが、これを逃したら次はいつ会えるかも分からないのだぞ」

『いいよそんなの! 俺はもともと興味なかった!』

「しかし……」

『俺はテキトーに楽しく遊べてりゃそれで良かったんだ!』


 嘘だ、と孝徳は思った。本当にそれで良かったなら、それこそ、今、こうして慌てていない。目の前の強さに心を折られてなどいない。

 しかし、孝徳が何か言うより早く、友人の姿が消えた。ヘッドホンからも一切の音が消える。通話が切られた。

 孝徳はとっさに右手をキーボードに伸ばした。エスケープキーを押しメニューを開く。フレンドリストの確認。友人の名前が灰色になっている。ログアウトしている状態だ。

 孝徳は顔をしかめた。その間にも画面にはチャットが流れてくる。


【シキ:あーあ。逃げちゃった】

【テン:……シキ殿。貴殿は】

【シキ:ボクも飽きちゃった】


 孝徳が打ち込むより早く、相手――シキが動いた。

 孝徳の視界から消えた。そう思ったときには頭上にいた。シキが、扇を振り上げる。

 チャット画面を開いていたせいで行動が遅れた。孝徳は舌打ちする。一歩下がり、刀を構える。ガードアクション。しかし――モーションが遅い。

 シキの扇が、打ち下ろされた。

 孝徳の操作していたキャラクター――侍の格好をした男が、倒れ伏す。体力を示すゲージが、自身の負けを表している。


「く……!」


 孝徳は乱暴にキーを叩いた。復活アイテムを使おうとするが、特殊なフィールドだからだろうか、使えなくなっている。

 このままでは、やがてこのフィールドからホームへ転送されるだろう。

 地に降り立ったシキは、背を向けた。


【シキ:バイバイ】


 大きな翼をはためかせ、シキが去っていく。死亡状態の今では、その姿を目で追うこともできない。

 ――どっと息をついて、孝徳は椅子の背もたれに背を預けた。重みでギシリとたわむ。力なくヘッドホンを取り外す。

 色鮮やかな紅葉と、打ち壊され、廃れた寺。そんな歪つなフィールドから転送画面へ変化するのを、無言で眺めていた。



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