第20話

 噂というのはどうしてこうも。

 翌日には昌明の周りは一変していた。昌明が教室に入っただけで誰もが口を閉ざす。昌明が席に座ると、これみよがしにヒソヒソ声と視線が降り注ぐ。


「鳴瀬の奴、女子を襲ったらしいぜ」

「やると思ってたんだよ……」

「怖い顔してたもんね……」

「子供もできたとか……」


 ――少し冷たくしただけで、このザマだ。

 日頃悪ふざけをしていた友人も、自分に黄色い声を上げていた女子も、みんな遠巻きだ。それでいて自分に悪感情を持っていた輩は一層その感情を加熱させている。

 それでも授業には出た。苛々とシャープペンシルの芯を出しながら退屈な時間を耐え抜いた。そうやって過ごし、放課後――。


「ナル」


 声を掛けてきたのは秀だった。昌明は笑みを取り繕う。昨日は悪かったな、ムシャクシャしてて、それだけなんだ――そう軽く謝れば、きっとお調子者の彼もあっけらかんと笑い飛ばすに違いない。そうだ。今までもそうやって上手いように流してきた。


「何だよ」


 ――だというのに、やはり出たのは硬い声だった。表面は冷たいのに、根っこがドロドロと煮立つような、嫌な声だった。そんな声が出たことに自分でヒヤリとする。クラスメイトがまた不穏な空気に息を詰めているのを感じる。

 しかし秀はあまり気にしていないようだった。ケロリとした表情で彼は言う。


「部長が話あるって」




 体育館脇、力の限りにバッシュを叩きつける。プラスチック製のゴミ箱は簡単に反動で倒れた。腹立ち紛れに蹴りつける。中のものがぶちまけられる。


「ふざけんなよ!」


 ――部長の話は、自分の態度、そして噂についてだった。女子を襲っただの子供ができただの、頭から信じたわけではないにせよ――このままではバスケ部全体の信用に関わるという。実力は惜しいが、改善されなければ試合に出すことはできないと部長は厳かに告げた。

 昌明はゴミをそのままに歩き出した。苛々と踏みならすように足を進めていく。体育館脇からグランドを抜け、玄関へ向かおうと――。


「う、わ」

「どこ見てやがんだっ……友香?」

「鳴瀬か。丁度良かった」


 突然出てきた人影にぶつかりかける。怒鳴りつけようとした昌明は瞬いた。

 彼女は眼鏡を掛けていた。黒縁の彼女にしては無骨さがにじみ出る眼鏡だ。それだけでも雰囲気が変わり、一瞬分からなかった。


「せっかくだから今日は見学してみようと思ったんだ。鳴瀬も部活だろう」

「……」

「……どうした?」

「……」

「……怖い顔しているぞ。鳴瀬。こっちだ」


 友香は昌明の手を引くなり歩き出した。校舎の脇、人通りの少ないところに連れてくる。


「ここなら話せるか?」


 気遣う視線が、なぜか惨めだった。手を乱暴に振り払う。


「は、何だ。こんなとこに連れ込んで? 襲われてぇの?」

「鳴瀬。何をヤケになっている?」

「はあ?」

「部活で嫌なことがあったか? 練習なり人間関係なり大変だろうからな。苦労は察するぞ。だがヤケは良くない。自分のことも傷つける」

「何訳わかんないことを……俺はもう部活なんてどうでもいいんだよ」

「嘘は良くない」

「嘘じゃねぇ」

「鳴瀬はバスケが好きだろう」


 バカだな、と思った。真面目な彼女は、自分が部活をサボってデートをしていたとは夢にも思わないのだろう。その程度の情熱なのに。試合に出せないと言われただけで投げ出す程度の思い入れなのに。それなのに――。


「休日にわざわざバスケの店に行くほどだろう?」

「……それは」

「私にルールブックもくれたな。この本、本当に分かりやすかった。昨日読んでみて、俄然興味が湧いた」

「……」

「こういう本を薦められるのも鳴瀬がバスケを好きだからじゃないかと――」

「うるせえ!」


 友香の手から小冊子を奪い取る。思い切り地面に叩きつけた。友香の目が見開かれる。


「……鳴瀬、その、顔……」


 違う。

 本当は、そんなことをするために手を伸ばしたのではなかった。気遣って励まそうとしてくれた彼女に礼を言い、あわよくば頭を撫でようとしたのだ。それなのに現実の昌明は彼女を傷つけることをしでかした。

 気持ちに反した動きは止まらず、彼女に拳を振り上げ――。


「ハァイそこまで!」


 突如割って入ってきた、能天気で明朗な声。

 同時にばしゃんと冷たいものが頭上から被せられた。

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