第19話

 日曜は新品のバッシュに足を通したものの、どうにも気分は晴れなかった。友香に「明日学校で会えるといいな」とだけメッセージを送り、ダラダラと過ごし――翌日。


「おはよっすー」


 じわじわと滲む汗が不快な朝、秀に声を掛けられ、昌明は思い切り眉を寄せた。爽やかという暴力を叩きつけられた気持ちだった。他のクラスメイトは口々に「おはよ」「はよー」と返している。ただでさえうるさい教室が一層ざわめきを増していく。


「ナルおはようさーん。眉間にシワ寄ってっケド」

「別に」

「メール送ったのに返事よこさねーしさぁ」

「俺の彼女がどうしようがお前に関係ないだろ」

「うはは、ひっでぇ」


 いつもの軽口だ。

 この男はいつも何かと調子が軽い。いつでも、誰にでも。何に対しても大体笑い飛ばしてくる、そういう奴だ。彼の言葉に深い意味などないに等しい。だから自分も、何も気にせずやり過ごせばいい。

 ――そう、分かっているが。


「つーか今日こそ部活出んだろ? もうすぐ試合もあんじゃん? 一年でも出れるチャンスあるっつーんだからオレらも気合い入れなきゃ――」

「関係ねぇだろ!」


 適当に近くの壁を殴りつけると、しん、と教室が静まりかえった。

 秀がぽかんと見上げてくる。

 視線が、集まる。


「……何でもねえ」


 苛々と舌を打ち、昌明は背を向けた。窓際、自分の席まで向かう。

 クラスメイトがこわごわと様子を窺ってくるのが無性に気に入らなかった。


「見てんじゃねーよ」


 毒づき、乱暴に椅子に座る。

 ――自分らしくない。適当にやり過ごせば良かったのに。今までそうやってきたのに。分かっているのに、止められない。


「有馬君、大丈夫?」

「あーうん、ヘーキヘーキ」


 秀に話しかけにいったのは、クラスの中でも地味の最高峰に位置する男だった。石井裕樹。最近よく秀と話しているのを見かける。おどおどしていて、昌明が余計にイライラするタイプだ。秀は誰とでも話すが、裕樹には他に話す相手などいないのだろう。


「殴られるかと思ったよ……」

「まっさかぁ。祐樹君てば心配性じゃん?」

「だって」


 カラカラ笑う秀に、裕樹が昌明へ視線を向けてくる。不安げで、遠慮がちな、鬱陶しい視線。


「鬼みたいな顔してた……」


 ――ああ、本当に苛々する。




「違うと言ってるだろう!」


 鋭い声が体育館に響いた。その声は体育館の端から端まで届くほどで、誰もが何事かと視線を向けてくる。

 その声に刺された昌明は、流れてきた汗を拭った。眉を寄せ、相手――部長を見上げる。センターを務める彼は、身長の高い昌明よりさらに高い。二メートル近くあったはずだ。


「何すか」

「勝手なことをするな! スクリーンの練習なのにお前は……!」

「俺が点取りゃいいじゃないっすか」


 しれっと言い返してやる。点を取ったのに文句を言われるとは。


「ああ、俺が点取ったから僻んでるんすか?」

「何だと……!?」


 部長の顔に血管が浮かぶ。よほど血が上っているらしい。


「おいおい、どうしたんだよ鳴瀬の奴……」

「いつも部長の機嫌は取ってたのにな……」

「さっき俺も睨まれたわ」

「先輩にまで? あいつ猫被るのは上手かったはずなのに?」

「本性見たり~ってか?」


 一年と二年が固まってヒソヒソと話している。ギロリと睨んでやると、一斉に黙られた。

 鳴瀬、と低く呼んだ部長がまなじりを鋭く釣り上げる。

「頭を冷やせ。外周して来い」

「……うぃっす」


 ――ブレーキが効かないという自覚はあった。いつもは心の中だけで毒づいていたことも、堪えようがなく言葉になって外へ滑り落ちていく。感情が簡単に揺さぶられてしまう。

 話していた数人をジロリと睨みながら、昌明は体育館の出入り口へ向かった。いつも練習を見に来ていた女子たちが心配そうにこちらを見ている。相変わらず似たり寄ったりの格好や化粧で見分けはつけにくい。


「あ、あの、昌明君。もしかして具合悪いとか」

「部長もひどいよね! 何もあんな言い方しなくてもさ」

「そうだよ、昌明頑張ってるじゃんね」

「気にしなくていいよあんなの!」

「邪魔」


 口々に言われた言葉に、淡々と一言。

 途端にその場にいた女子たちが固まった。


「……え」

「練習中もギャーギャーうるせえ。邪魔」


 言うなり、出入り口をふさいでいた女子を押し退け、外へ出る。


「ひどい……」


 顔を覆って泣き出す女子がいたが、どの子が泣いたのか、興味も湧かなかった。

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