第18話
街中、ぽつんと立つその姿はいやに目立って見えた。
「悪い、待ったか?」
「いや」
昌明が声を掛けると、キリリと立っていた友香は緩やかに首を振った。
「まだ約束の十分前だ」
「女の子は待たせない趣味だったんだけどな。もしかして友香も楽しみにしてくれてたり?」
「取り寄せてほしかった本があったんだ。先にそちらを済ませたかった」
「あ、そ」
だから気にしなくていい、という彼女なりの配慮なのだろう。昌明は肩をすくめた。さり気ない名前呼びもスルーだなんて。気づいているのかも怪しい。
昌明は改めて友香を見下ろした。
淡い水色が夏らしい、シンプルなワンピース。背中半ばまであるストンとした髪も、なぜか彼女ならば涼し気に見えてくる。取り立てて飾り気はないのに目立って見えるのは、顔がいいからか。彼女の持つ独特の空気のせいか。
「それで、どこに行くんだ?」
「あっち」
「ふむ。バスケットボール専門店か」
新品の匂いが鼻につく。昌明はすいすいと棚の間を進んでいった。もちろん友香がはぐれないように一定の距離を保ちながら。友香は興味深そうに周囲を見回している。
「バッシュ欲しいんだよなぁ」
「バッシュ?」
「靴のこと。バスケットボールシューズ」
「ああ。……色々あるな」
「今俺が使ってんのはコレだわ。サイズも同じ」
「大きいな」
「友香と比べりゃなー」
「それはそうだが。バスケ部はみんな背が高かったと記憶しているぞ」
「デケー方が有利なんだよ」
大きいとは言えないチームメイトを思い返しながら、昌明はケラケラと笑ってみせた。そういうものか、と友香も感心したように頷きを返してくる。
他の棚も見て回ったが、細々と「これは何だ」「色合いがいいな」「そんなに違いがあるのか?」などと質問が飛んでくる。興味を持っているのは確かのようだ。それでいて他の女子とは違いキャアキャアと騒がない。驚くほど心地の良い空間だった。
ふと昌明は立ち止まった。振り返れば、きょとんとした面持ちの友香が見上げてくる。
「どうした?」
「トイレ。行ってきていいか?」
「当たり前だろう。漏らされても困る」
「漏らさねぇよ」
普段そんなことを言われたら腹が立っていたかもしれない。しかし彼女の心底本気で困ったような顔を見ると、それすら面白く思えて仕方がなかった。
トイレに向かった昌明は早々に用を足し、手を洗い――。
「やべぇな。楽しいわ」
手洗い場に手をつき、真顔で呟く。思いがけず楽しい。何だこれ。
――デートといっても、実際は半ば強引にお願いしただけだ。友香にはその意識もない可能性が高かった。むしろ彼女の中では、人助けくらいの認識なのかもしれない。休日の暇を持て余した知人の、人助け。
それでも良かった。ひとまずコンタクトを取り、自分を知ってもらわないことには話にならない。今までだって時には強引に機会を取り付け、そして上手くやってきた。
「……ん?」
ふいにワイフォンが震え、昌明はポケットから取り出した。メールのようだ。アプリを立ち上げれば、相手は秀だった。今頃はまだ部活だろうが、休憩中だろうか。文面は、普段賑やかな彼にしては簡素な一文。
シュウ:ナルのカノジョさんが来てた
「はあ?」
思わず怪訝な声を上げてしまったが――考えようとして、やめた。今はデートだ。目の前のことに集中するのだ。
軽く髪を整えようと、顔を上げ――。
「は……!?」
【ソコ】にいたのは、鬼、だった。
どす黒い皮膚は硬く強張っている。ぎょろりとむき出しになった、大きくつり上がった目。鋭い牙に滴る赤い血。昨日見た時より、小指の長さほど伸びた無機質なツノ――。
昌明は目をこする。鬼も同じ仕種をする。訳も分からず、昌明は恐る恐る自分の顔に手を伸ばした。鬼もまた、恐ろしい表情で手を伸ばす。
当たり前だ。――【ソコ】は、鏡なのだから。
昌明は混乱する。これでは、まるで【ソコ】に映る自分の顔が鬼みたいではないか。
そんなはずが。そんな馬鹿なことが――。
震える手で顔に触れると、いつもと変わりない感触だった。そのことに知らず息をつく。もう一度顔を上げると、何てことはない、自分の姿がそこに在る。いつもの、黙っていると不機嫌そうに見える表情だ。
「どうした」
「……え?」
「眉間にしわが寄っているぞ」
「あー……はは。この後、友香とどこに寄ろうかなと思ってな」
トイレから出た後、諸々の会計を済ませ、昌明たちは街をぶらついていた。
「それなんだが、私はそろそろ時間だ」
「マジか。早いな」
「家の用事があってな……。今日は私の勉強にもなったぞ。ありがとう」
何の勉強だというのか。律儀な反応に思わず笑ってしまう。
「勉強っていうなら、これ」
「何だ?」
「バスケのルールブック。初心者向けのかなり簡単なやつ」
言いながら、一冊の小冊子を取り出し友香に手渡す。友香は不思議そうに表紙や裏表紙を眺め、パラパラと中を覗いた。
「やるよ」
「え? 鳴瀬、いいのか?」
「今日のお礼」
「しかし……」
「もしこれでバスケにも興味持ってくれたら、俺も嬉しいから」
そもそも大した金額ではない。複数の女の子たちにクレープを奢るのと比べれば安いものだ。
友香は、そうかと頷いた。
「ありがとう」
淡々とした表情の多い彼女が、小さくはにかむ。声もどこか弾んでいた。その感情の差異は他の女子と比べれば微々たるものだが、それでも、彼女なりの喜びのようだった。
小冊子をしまおうと動いた彼女の胸が、上下に弾む。
「ヤリてぇ」
「ん?」
「――!?」
昌明は自分の耳を疑った。――今、話したのは自分の口か?
嘘ではない。正直な本音ではある。どうしたって下心は存在する。しかし、それをこの段階で口にするほど馬鹿ではなかった。そのはずだった。しかも友香のような生真面目そうな相手に対してだ。警戒されるような真似などできるものか。
「鳴瀬? 何か言ったか?」
「いや? 何でもねえよ。じゃあ、またな」
慌ただしく別れを告げ、昌明はその場を去った。
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