第15話

 後ろの席の不規則な寝息。先生の要領を得ない間延びした声。にじんできた汗が鬱陶しい。ついでに、定期的に通知で震えるワイフォンも。

 募る不快感に耐えながら授業を終えると、昌明はすぐさま立ち上がった。他の生徒も我先にと廊下へ飛び出していく。

 普段なら昌明もこのまま購買へ向かう。

 しかし今日は足を反対へ向けた。廊下を歩きがてらワイフォンを覗けば――案の定ずっと震えていたのは彼女からの通知だった。


新菜:なんで読んでくれないの?

昌明:授業中だった。お前もだろ

新菜:ごめんね。

昌明:授業はちゃんと受けろよ

新菜:ごめん。

新菜:どうしても気になっちゃって。

新菜:今はお昼休みだよね?

新菜:通話だけでもできないかな。

昌明:悪い、部活のミーティングがあるから


 またすぐに通知が来たが、昌明はワイフォンを尻ポケットに突っ込んだ。顔を上げる。いつの間にやら一年D組だ。


「なあ」


 入り口近くにいた女子に声を掛けると、緊張した面持ちが返ってきた。優しく笑いかけてやれば、頬がほんのりと色づく。


「浅葱友香っている?」

「友香?」


 途端に顔色が戻った。器用なものだ。


「友香ー! 鳴瀬君が呼んでるー!」

「俺、君に名乗ったっけ」

「へ!? あ、ああ……私も何度かバスケ部覗いたことあるからね」

「応援?」

「そんな感じかなぁ」

「気づかなかったわ」

「まあ、こっそりだったから……」

「気づいてりゃもっと頑張れたのに。残念だわ。でもありがとな」


 にっこりと笑みを深めてやれば、先ほどよりずっと分かりやすく顔が赤くなった。


「イエ、ソンナ、ベツニ。……友香ー!」

「何だ」


 マイペースに歩いてきたのは――確かに今朝見た彼女だった。話していた女子が入れ替わるように離れていく。逃げると言ってもいい勢いだった。


 さて。

 昌明は改めて彼女――浅葱友香を見た。

 ピンと伸びた背筋は変わらない。昌明の肩より下にある頭を傾け、不思議そうにしている。気後れする様子はない。黒々とした瞳は、今朝見たよりも、少しとぼけた印象を与えてきた。


「? 君は誰だ?」

「鳴瀬昌明。一年A組」

「そうか。それで?」

「今日、バスケ部の練習見てたよな?」


 友香は頷く。その拍子に耳にかけていた髪がこぼれ落ちた。やけにサラサラしている。触ったら気持ち良さそうだ。


「バスケ、興味あんの?」

「いや。友人の頼まれごとがあっただけだが」


 口調は恐ろしいほど女らしくない。先ほどの女子と違い反応も非常に淡々としている。

 しかし。


(意外とおっぱいデケェ)


 彼女の些細な動きでたゆんと揺れる。暑さで少しだけ緩められた胸元がけしからん。谷間がY型ではなくI型だ。天然物だろう。良きかな。

 そこまで観察し、昌明は笑みを取り繕った。


「それでも応援、してくれたんだろ? 嬉しいぜ。良かったら――」

「応援していたわけではないが」

「そ、それでも見ててくれたわけで」

「視力がさほど良くないからあまり見えなかった」

「でもまあ多少の興味は」

「バスケのルールもろくに分からないのは失礼だったろうか」

「……お、おう」

「しかしこの暑い中、朝からああやって頑張っているのは確かに凄かったな」

「おう?」

「ぼんやりしか見えていないし、何をしているのかもよく分からなかったが。熱気は凄かったぞ。感心した。今度は眼鏡を用意して臨んでみようと思う」

「……………………ぶはっ」


 どこまでもとぼけた女だった。今まで見たことのないタイプだ。ついでに「臨んでみようと思う」で小さな握り拳を作ってくれた彼女だが、その動作で胸も可愛らしく揺れた。良きかな。

 震えたワイフォンの通知を一旦切り、昌明はニィと笑った。


「なあ。連絡先、教えてくれね?」

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