水槽育ちの転校生

弓葉あずさ

水槽育ちの転校生

 突然の転校生は、ぷかぷか浮いていた。

 夏の、天気がカラカラに良くて、セミがじんじん鳴いてやかましい日だった。

 プールの授業があって朝からどんよりしていたぼくの隣に、先生は大きな大きな水槽をどしんと置いた。

 その中に転校生がいた。


「今日からみんなのお友達よ。仲良くしてね」


 ぼくの席は一番後ろだ。だから、ぼくが一番転校生をしっかり見ることができた。

 肩より少し長い髪の毛が、水の中で遊んでいる。背はぼくと同じくらいだ。ぼくはクラスで真ん中だから、転校生も、まあ、ふつうくらいなんだろう。キラキラ水が眩しい。


「ねえ」


 授業の前、ぼくが話しかけると、転校生はゆっくりと目をぼくに向けてきた。まん丸で、ラムネの中に入っているビー玉みたいだ。


「何で水の中にいるの」


 転校生は、小さく口を開いた。ぱく、ぱく。魚みたい。だけど、声は聞こえない。分厚いガラスに邪魔されているのかもしれない。

 ぼくは、ぎゅぎゅっと顔をしかめた。ずっと水の中にいるなんて、考えただけで胃袋が雑巾みたいにしぼられそうだ。

 お父さんと海に行っておぼれたぼくは、何よりも水が苦手だった。

 しかもクラスのみんなは、それをバカにするんだ。それからぼくは、お金をもらったって水の中に入るもんかと心に決めている。


 だけど、変な顔をしたぼくを見て、転校生は笑った。

 それがあまりにもふつうで、当たり前で、だからぼくも、思わず笑い返した。


 それからしばらく、転校生はぼくたちと同じように授業を受けた。でも、見ているだけで大変そうだった。

 まず、教科書もノートもすぐにしわしわになっちゃう。えんぴつも上手く書けない。消しゴムだってすぐどこかに浮いてしまう。

 当たり前だ。教科書も、ノートも、他の文房具だって、水の中で使えるようにはできていない。

 それでも、転校生は楽しそうだった。


 はじめは興味津々だったみんなは、だんだん転校生に構うことが少なくなった。

 だって、話せない。サッカーもおにごっこもできない。転校生にできることといえば、水の中でぷかぷか浮くことくらいだ。


「何か言ってみろよ!」


 ふいに、クラスで一番背の高いやつが転校生に声をかけた。あだ名はボスだ。ボスは手下を引き連れてにやにやしている。

 ぼくはイヤな予感がした。そして、イヤな予感の通り、ボスはゴミ箱に入っていた牛乳パックを一つ、水槽の中に投げ込んだ。

 ぼくは思わずさけんだ。


「やめろよ!」

「イヤならイヤって言えばいいんだ。ほら、言ってみろよ」


 転校生は、やっぱり何も言わない。ビー玉みたいな目から涙がこぼれていたとしても、すぐに水に溶けてしまうからわからない。


「ほら、何も言わない。つまんねーの。大体、水の中にいるなんて変なんだ」

「それが何だ!」


 ぼくはまた叫んだ。

 確かに転校生は、水の中にいる。でも、それだけだ。それだけじゃないか!


「うるさいな。そんなに言うなら、お前が取ってみろよ、カナヅチ!」


 お腹と頭がぐらぐらする。ぼくはゴミを取り出そうと、イスを引っ張って水槽の中に身を乗り出した。腕を伸ばす。ぐいぐいと。

 もう少し。もう少しで……。

 そこで、ぼくは水槽の中にどぼんと落ちた。口も耳も目も水でいっぱいになったみたいだった。水槽は大きくて、手が届かない。


 ふいに、ぼくの顔に触れる手があった。小さな手。転校生が、ぼくを見ている。

 ぱく。ぱく。

 転校生は、小さく何度も口を動かして、そしてふんわりと笑った。


 先生が駆けつけて、ぼくを引っ張り出してくれたらしい。

 目が覚めると、ボスが先生にたくさん怒られていた。ボスは泣いてぼくたちに謝った。


 それから三日。転校生は、また、転校することになった。なんでも、転校生にぴったりの場所が見つかったんだとか。

 お別れ会の日、転校生はぼくを見た。ぱくぱく。楽しそうに口が動く。

 またね。そう、言ってるみたいだった。


「ねえ、お母さん。水泳、やろうかな」

「あら、どうして?」

「別に」


 ぼくはうそぶいた。だけど理由は簡単だ。

 だって、次会うときも泳げなかったら、カッコ悪いじゃないか。

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水槽育ちの転校生 弓葉あずさ @azusa522

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