026
待っていた。
待ちわびていた。
今日だけで何日に感じるくらい待っただろう。
とりあえず衝動に任せてリングインしてヒップホップジャンプで空中六回半捻りを加えた上で頭から着地してみせたら罵倒されたんだけど何事?
「世の中いろいろ間違ってる」
「オマエが自分を常人だと思ってることにオレは今驚いてる」
「やかましい」
実況のトーキンはこれで結構名前が売れており、色んな地下都市に現れては、ここと同様のコロシアムで美声を震わせたり、テレビ局で放送される番組に出演していたりする。
なお、テレビ局の放送ができるのはさすがにその都市だけだ。ゆえにテレビ局というのは各都市につき一局しかない。ここでいえばカルタゴ局である。
ちなみにコロシアムでの戦いの放送とかはないです。お金払って観に来いということ。
トーキンはサングラスに金髪オールバックといった髪型を何年も前から維持しているのだが、毎回ドライヤーでいちいちセットしているのか、後頭部の辺りですーっと上にジャンプ台よろしく立っている。
どうにも、笑う。
そこそこ長い付き合いだけど、笑う。
「なんでオマエ、オレが実況やってると湧くんだよ」
「今回については俺のせいじゃない」
「それは聞いてるけどよ……」
俺がトーキンと地味ながら長い付き合いなのは、単に彼がコロシアムでよく実況しているからだ。そりゃ俺も現れるってなものである。
そしてトーキンに嫌がられているのは、だいたい俺が対戦相手を粉砕していくからなのだが、これに関して俺は悪くないと思う。
というのも、だいたいの相手が俺を舐めてかかってくるのである。
これは俺の筋肉の成長が質を重視するタイプだからのようで、新人類の基準でいくとものすっごいヒョロガリだからだ。
身長も平均より低く、180センチにギリ届かないくらいしかないしな!
たしか今の平均身長って、成人男性で186センチとかだった気がする。女性で174センチだったかな。
まあそういうわけで、だいたい舐められる。
最初の頃はともかく、それなりに名の知られた今であっても、初見のコロシアムや都市だと「戦闘狂」のミナトだと伝えた上でも舐めてくる。
一度は
俺を舐めてかかってくるので、床ペロさせてやるのだ。床の味はどうだ? うまいか? そんな風に煽ることの楽しいこと楽しいこと。
……まあ、今回は、もっと楽しい。
俺を舐めてくることはなく、そういった連中よりも遥かに強く、その上で数も多い。
ああ、堪らないな。
「おい、ミナト?」
意識が研ぎ澄まされていく。
集中力の高まりに合わせて耳の奥で低いのか高いのかわからない弦の音。
加速する心臓の鼓動に反比例し、ゆったりと深く変化する呼吸。
空気が粘ついていく。
時間が遅延していく。
いまこの一時を、一分一秒でも長く味わいたいと願う本能がそうさせるのか。
自然と目は細くなる。
口角が緩く弧を描く。
「さあーー」
視線の先には片手に鉄扇を携えたリンリンが。
そしてその斜め左右に後方でゴアハンマーを担いだアシラと、ディルギルスピアを担いだクーン。
素敵だ。
みんながみんな、全力で俺を殺そうとしているじゃないか。
ただ、アシラとクーンの担いでる武器が対プレデター兵装なのは何故だ。おまえら対人用のやつも持っているだろうと言いたくなる。
まあいいが。
全力だということだけは十分に伝わった。
それならば、一切合切構わない。
「――戦ろうか」
視線は一か所に佇むこともなく、細かく宙に。
既に精神も身体も、気力のすべてが戦闘準備を終えている。
血が血を欲し、ぐつぐつと湧き上がる情動のままに、脳を茹で上がらせていく。
早く、早く、早く。
「ミナト?」
「早く」
「おい?」
トーキン。
もう、我慢、ならない。
最後に戦ったのはいつだ? 昨日? 一昨日?
相手は取るに足らない動物だった。アレは戦いではなく、狩りだった。
そうではないのだ。
戦いを、死闘を、俺は欲している。
そういう意味での最後の戦いといえるのは、シードがまだ大剣として敵だったあの日だ。
重量級プレデター二体を相手取った素敵なあの日だ。
よく考えると、直前に四体のワンコも相手していた。なんて素敵な日だったんだ。
アレは何日前のことなんだ。
アレが濃密な死闘だったからこそ、耐えられたのか。
「早く……始めろ」
「――っ! リ、リンリン・ローウェンさん⁉ 準備はどうですか⁉」
「覚悟は決めてきましたから。いつでもどうぞ」
トーキンがこちらに確認をしてくるので、肯きで答える。
さらに視線をアシラとクーンにも向けた。二人も肯く。
「は、はじめ!」
開始を告げるやいなや、トーキンは急いで下がっていった。
それでいい。
彼も新人類であるとはいえ、戦闘能力のない素人はこの場にいるべきではない。
リンリンと向かい合う。今すぐにでも飛び込みたいが、アシラとクーンがどう動くか読めない。
最初はリンリンと一対一で戦わせてもらえるようだが、どこまで信用していいのかわからない。あの二人なら隙を見て急に殴り掛かってくることも十分あり得る。
しかし、二人に気を取られてばかりでもいられない。リンリンだって相当な猛者。前回はあちらの方が俺を多少舐めていた部分が多分にあったのだ。
あのとき俺にそれが通じなかっただけであり、普通であればリンリンにはその傲慢が許されるだけの実力がある。
さあ、どうするべきか。俺の方から攻めに行くべきかと考えて――
「は?」
「愚か者」
――何故、俺の側面にリンリンがいる?
『リンリン、いつの間に⁉ 至近距離からのハイキック! これには「戦闘狂」ミナトも……おおお! ガードしているぞ!』
「……っち」
思考ではなく反射だった。
側面にいたリンリンの腕の動きから、また彼女の保有するアビリティから考えても蹴りが来ると察したのだと、後から理解する。
反射での防御だった。そんな思考の入る余地はない。
両腕を上げ、その内側、筋肉の部分でリンリンのハイキックを受ける。
骨の髄まで響く衝撃は肘から肩にまで伝わって、思わず歯を食い縛る。
「っふ!」
「っぐぶ‼」
反撃をしようと思ったが、衝撃で両腕がびりびり痺れていて動けない。
リンリンの判断も見事。足を引いた瞬間に俺の腕が死んでいるのに気付くやいなや、すかさず足を畳んでつま先を俺の鳩尾に突き入れる。
対人戦特有の強烈な痛み。
プレデターが相手であれば、向こうの攻撃力が高過ぎて、やられた箇所が吹き飛んだりしてしまう。今回であればどてっ腹に大穴を穿たれていたところだろう。
けれど、人間同士の戦いであれば、そこまでぶっ飛ぶことはまずない。
よって、この内臓をシェイクされているような、脂汗の滲む嘔吐感すら伴う痛みは対人戦特有の痛みであり、プレデター戦では味わえないものであり、俺が望んでいたものである――そんなわけがあるか。
普通に痛いのとか嫌だわ。
ああ、ああ。
ちくしょう。しくじったなあ。
「舐めるな――『
全身から青白いアビリティ励起の輝きを纏わせ、リンリンが補助具である鉄扇を振るう。
涼やかな風の音。滞留、渦巻く光帯は三本。
光帯が鉄扇の舞に合わせて引き千切られた瞬間、爆発的な放射光と共に冷気が押し寄せる。
その都度、三度。
光帯に秘められていた力が周囲の空気を冷やし、凍らせ、望む形で炸裂する。
「っか、ぁ、ぁあ――!」
全身の力を振り絞って防ごうとするが、先の二手で既に死に体。気力はあれど、一時的に肉体が運用不可能な状態だ。
辛くも両腕を上げて、身体の前でクロスガードをするのが精一杯。
一度目の風圧で腕を持ち上げられた。
二度目の涼撃で身動きが取れなくされる。
三度目の氷撃は押し寄せる津波のように、この身体を圧し潰す。
あまりにも無様に、「戦闘狂」ミナトは「玲瓏の魔女」の十八番とも呼べる攻撃の直撃を喰らうのだった。
◇◆◇◆
「……おいおい。これ殺ったんじゃねんか?」
重量級のゴアハンマーを肩に担いだアシラがリンリンに向かって言ってくる。
そう言いたくなる気持ちはきっと誰にもあった。
観客たちはリンリンの十八番に喜色の歓声を上げている。
誰もがその名を、握りしめた拳を高く振り上げながら声高に叫んでいた。
「玲瓏の魔女」リンリン・ローウェン。
ギルド間では有名な、かの傭兵「
一方で祖父仕込みの戦闘能力もあり、補助具によっては特殊アビリティに分類される「魔法」すら操る恐ろしいほどの才覚。
どこのギルドからも引く手数多の人材であり、彼女がギルドに所属するとなったときは界隈が文字通り揺れた。結局は彼女自身の意思でトレジャーハンターギルドに所属し、ギルド長は喝采を上げた。
実際に彼女がトレジャーハンターとして働くことは然程多くはないものの、「彼女と同じギルドに所属している」というだけでも繋がりが欲しいのか、トレジャーハンターギルドの門戸を叩く者は爆発的に増えた。
そんな彼女がいつ頃からか、とある人物の話が挙がった時だけ顔を顰めるようになった。自然とその話に注目は集まり、人々の口に広まっていく。
こうして、「玲瓏の魔女」と「戦闘狂」の確執は世に広まっていった。
だからこそ、現状のこの会場が壊れんばかりの喝采だ。
「自分でわかってて言ってるよね? あの程度で殺せるなら、困らないんだよね」
クーンもディルギルスピアを油断なく構えつつ、寄る。
周囲にはリンリンの魔法の余波によって生じた石畳の破片だったり、氷の欠片だったりが無数に転がっており、光を受けて断面をぎらつかせている。この辺りを裸足で歩くことはとてもじゃないができないだろう。
そのひとつをクーンが踏み潰し、砕いた音が切っ掛けとなったのか。
「――ハ、ハハ、アハハハハハハッ!」
ステージにランダムに生成され、配置されている高さ三メートルを超える大岩。
それが突如砕け、土煙が上がった。
その濁った煙の中から響く、哄笑は生理的嫌悪を滲ませるもので。
「ああ、ああ、ああ! 目が覚めた! 良い目覚めだ!」
煙に浮かぶ、青白い二つの燐光。
当人だけが意識していない、「戦闘狂」がフルスロットルに入ったときだけ漏れ出す眼光。
ソレは生者を呑み込む深海の紺碧の鬼火か漁火か。
ソレを目にするだけで、リンリンの肌が粟立つ。
彼女だけではない。アシラも、クーンも、いつの間にか口を閉じて武器を構えていた。
リンリンの脳裏に前回の敗北が過る。
致命的な決着の瞬間こそ変に笑い話にできるものの、それ以前の戦いとなるとまったく話が変わる。
最初こそリンリンが魔法と武術で押していたが、ミナトがこのモードに入ってからは一方的にやられていたと言っていい。
今から戦うのは、そのモードのミナトなのだ。
意識して震えを笑い、怯懦を呑み込み、前へ、前へ。
悠然とした笑みで。モデルをしているときのように、より強く美しい、誇りある自分を。
貫き通せば、それは己の身を纏い、守るための鎧となる。
「……随分と失礼な真似をされたので、お仕置きさせてもらいました」
「ああ、その通りだ! これは俺がいけない。ぶっ飛ばされても文句は言えないな……」
瓦礫が落ちる音。喜色を多分に孕んだ声。愉快そうなそれに痛苦の色は見られない。
コレが怖い。異色過ぎる存在は理解の埒外だ。ソレがそばにあるというだけで言い知れない不安と恐怖が胸の内に湧き上がる。
やがて土煙が晴れた先に現れたのは――鮮血の修羅。
身体のあちこちに穿たれていたはずの大小様々な穴は不快な粘着音を立てて、現在進行形で塞がれようとしていた。
「こんな極上の相手が目の前にいるっていうのに、よそに目を向けた俺が悪かった。今のはそのうち返すから、ツケておいてくれ」
「構いませんよ。私の勝利という形で取り立たせていただきます」
「ああ、俺に勝てるようなら是非ともそうしてくれ。ということは――」
口端から顎へ伝っていた血を親指で拭い、「戦闘狂」のミナトが訊ねる。
「――俺ともう一度踊ってくれるってことかな、レディ?」
「……受けて立ちましょう、ピュアボーイ」
ミナトの朱色に染まった額に新しく青筋が立ったのを見て、リンリンは笑った。
ムーンハンター ~滅んだ世界とうるさいハンターと戦闘狂の珍道中、時々ハラペコ魔剣~ どんぐり男爵 @maoh07
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