狂人とかき氷
久々原仁介
狂人とかき氷
小さい頃、アンタは狂ったように「かき氷」を食べてたよ。
今年の盆休み、実家へ帰省すると母は僕にそんなことを言ってきた。
実の息子を「狂ったように」と表現するのはいかがなものだろうかと、思っていたのだけれど。同時に「ああ、確かにそんな時期もあったな」と懐かしい気分でもあった。
確かに、僕はかき氷が好きだった。
特に、冷房をかけたまま食べるかき氷が好きだった。
かき氷のどこが好きかと言われると、たくさんあって逆に返答に困る。それも魅力の一つなのかもしれない。
あの透明なガラス皿の上に、雪のように積もる美しい見た目もさることながら、口に含んだときに広がるひんやりとした感触。何よりどんな味のシロップをかけても美味しいところも良い。主役なのに、一歩引いている。慎ましやかでありながら、そこにはしっかりとした純白の存在感がある。
かき氷を食べるとき、最も重要な要素はシチュエーションなのではないかと気付いたのは10歳の誕生日を迎えたばかりの7月だった。かき氷を食べる場所。例えばそこが屋内で、六畳くらいの畳部屋がいい。簾がかかっており、ときおり涼しげな風鈴の音など聴こえたら最強である。ちなみに実家は洋室しかなかったため、セルフイメージにより補完していた。僕の豊かな妄想力はそうして培われた節がある。
一方で、これだけ好きなかき氷でも、受け入れられないこともあった。
最近、流行っている「ふわふわ系」のかき氷だ。
あれはどうも好きになれなかった。あんなのは邪道だ、軟弱である。確かに美味しくはあるのだけれど、後には何も残らない、噛むこともなく、勝手に溶けてしまう。あの虚しさが好きになれない。削り切れなかったときに出てくる大きな氷の粒を噛み砕く、あの感動を知らない人とは友達にはなれない気がする。だから友達がいないのか。
つまり僕が好きなのは、祭りの屋台なんかで出されるじゃりじゃりとした粒のかき氷だった。
僕はそういうちょっと変な拘りを捨てきれない子どもだった。
しかしながら、僕の認識では「好き」という認識ではあるのだけれど、母親から見ると狂人のレッテルを貼られているという不思議である。
確かに小学校のころは毎日のように食べていた。
季節なんて関係なかった。春夏秋冬いつだってかき氷だった。
お年玉で買ったかき氷機を、自分の部屋にあるテーブルに置いていた。勉強の合間を縫っては年中かき氷を作っていた。
かき氷の食べ過ぎで、当時はよくお腹を下した。だからかき氷が僕のことを好きかは分からないけれど、少なくとも僕はかき氷のことが好きだった。それは甘く冷たい、初恋のような感情であった。
かき氷が好きだった。しかしそれは「冷たいものが食べたい」という曖昧な気持ちではなく、「かき氷が食べたい」という確固たる意志だった。
ビタミンⅭが足りないと口の端が切れてしまうことがあるように、かき氷を食べないと手が震える。当時の僕は重篤な「かき氷欠乏症」を患っていたように思う。
腹を壊してもかき氷食べるのを止めない僕を見かねた母が、かき氷機を没収したのは小学校五年生の頃だった。
ギャン泣きである。人生、後にも先にもあれほど泣くことはもうないだろうと思う。
僕の泣き落としが効いたのか、それとも単純にうるさかったのかは分からない。けれど、それからかき氷機は夏にだけ返却される方式に変更となった。
付随してかき氷は、僕にとっての夏の風物詩となった。そもそも、僕以外の人たちにとって、かき氷はもともと夏のものであったのかもしれないけれど。
今更だけど一つ、訂正しなければならない。
母親は「小さい頃」と言っていたけれど、実は僕のかき氷好きは大学生くらいまでは続いていた。
けっこう大きくなるまで狂っていたことになる。
かき氷を食べにふらりと立ち寄っては、グルメサイトにレビューを投稿していた。大学生当時は、ちょっとした評論家気取りだった。
実際に書いたレビューを探してみると、サイトにはまだ残っていた。
『お店は建物の奥にあって少し見えにくい。玄関を開けたときに鳴る風鈴の音が奇麗で、すぐにこのお店の魅力が分かった。少し待ちましたが店員さんは親切で、メニュー表を先に渡してくれました。
僕はつぶつぶかき氷をオーダー。
1800円です。
これを高いか、安いかの判断は個々人によるかもしれませんが僕は安いと思いました。それも破格の安さです。かき氷はすごいボリュームで溢れちゃうくらいで、削りイチゴの甘酸っぱさと練乳かき氷がベストマッチでした。
うまい、うますぎる。熱した鉄を、冷やしているような。あるいはサウナの後の水風呂のような、麻薬的なおいしさが包み込んでくれます。
かき氷があまりに多すぎて、こぼれてしまいそうになるのは嬉しい誤算です。
ごちそうさまでした』
見事な黒歴史である。当時、僕がハマっていた「孤独のグルメ」という作品に若干毒されている感じもいたたまれない。
そんな感じで悪い意味で評論家気取りだった僕は、取り立ての自動車免許とレンタカーで、よく一人でかき氷を探す旅に出ていた。
かき氷を食べにいくためだけの「かき氷旅行」だ。
そんな折、一つのお店と出会う。
大分県別府。商店街のメインストリートからは少し外れたところにある古民家。店先には青色ののれんがかかっており、「こおり屋」と書かれている。
僕はそのお店を偶然見つけた。その静かな佇まいに惹かれてお店に入ると、鉢巻を巻いた色黒のおじさんが包丁でスイカくらいの大きさの氷を切っていた
「やってますか」と尋ねると「座って」とぶっきらぼうに言われる。
まあ、こういうお店もあるよなと思いながら席に座るもメニュー表が見当たらない。辺りをキョロキョロ見回すと店主はまたもやぶっきらぼうに言い放つ。
「うちにメニューはないよ」
それに僕の無言が気に入らなかったのかさらに付け加える。
「出されたもんを食いな」
店主の態度にも驚きだが、僕は出されたものにも驚いた。
店主が氷の器に出してきたかき氷には、なんとシロップがかかってないのだ。それではただの冷たい氷の粒である。
しかし僕はそれがただのかき氷ではないことに気が付いた。粒のきめ細かさ、美しさに惹かれた。
一口、食べる。
するとほろりととけて甘くなる。
ただの氷が、甘いのだ。
「うめぇだろ」
僕は無言で頷く。
「山を買ったんだよ。そこのな、洞窟の近くの湖の水で製氷してんだ。冬はだからずっと山にこもって氷を切り出してんだ。だからシロップとかそんなもんはかけてほしくねえんだ」
僕はすぐにこのお店の虜になった。夏になると必ずあのお店に訪れるようになった。行くたびに「やってますか」と訊いて「座りな」というのが、店主と僕の短いコミュニケーションになっていた。
僕にとってかき氷とは「こおり屋」のかき氷だった
それから新型コロナの影響で数年いけない夏が続き、いつの間にか「こおり屋」は潰れていた。
夏になると、のれんの青さを思い出す。
母曰く、僕は狂人だった。
今はもう、狂っていない。
狂人とかき氷 久々原仁介 @nekutai
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