キスまでの距離
槙野 光
キスまでの距離
子供の頃から、春が好きだ。
本当は泣き虫で臆病なくせに強がって、自分の気持ちを内に閉じ込めてしまう弱虫な春。本当は優しいのに、恥ずかしがり屋でいじっぱりで気難しいとか怖いとか言われてしまう可哀想な春。
不器用な、僕の幼馴染。
僕の好きな人は、目に入れても痛くないくらい可愛い。
「はーる」
「……なんだよ」
「なんだよ、じゃなくてさ。なんでそんな端っこにいるわけ? それじゃあ、勉強しづらくない? 参考書とノート、机からはみ出してるよ?」
「い、いいんだよ。狭い方が集中できるんだよ」
そう言って、向かいに座る春は机上に向かって頭を下げ、ペンを持つ手を動かした。
さっきから、参考書もノートも同じページのままなんだけど……。
夕陽に照らされたように淡く染まった春の耳を見て思わず吐息を漏らすと、春が小さく顔を上げた。春は、口を引き結んで不安気に瞳を揺らしている。
「なに、春。僕のことが気になる? 僕の隣に来たい?」
柔く微笑んで僕が訊くと、春は慌てて顔を逸らし目を泳がせる。
「い、いや。ここがいい。こっちの方が、あーえっと、そう。本棚。後ろにある本棚に近いし、辞書とか参考書とか、あ、あと漫画とか借りやすいし。だからほら、何でもないから。別に、凪のため息なんて聞いてないし、気になってないから。だからほら、凪も早く手を動かせよ」
耳の熱が首筋まで伝ったのか、制服の白シャツに映えるように春の首筋が淡く染まる。
「いじっぱり」
ぽつりと言うと、熱は春の身体を徐々に侵食していった。喉元から鎖骨あたりまで、ぼかしたような茜色に染まっていく。
聞こえてるくせに、聞こえてないふりなんかしちゃって。言葉にしなくても、ダダ漏れなんだけどな。
あーあ。春に優しくしたいのに、春といると軽い嗜虐心が湧いてきて困る。
これってなんだろう。好きな子を虐めたいってやつ? 少し、いや、だいぶ違うかな。だって僕は、春の気をただ引きたいだけじゃない。僕が春のことをどれだけ好きなのか自覚させて、てろてろになるまで甘やかして、僕がいないと生きられないようにしたい。
僕の想いは、春が思っているよりもきっとずっと重い。
だから春が覚悟を決めるまで、僕の気持ちを春にはっきりと伝えるつもりはなかった。でも、春が想像以上に僕を避けるから、限界が来た。
予定変更。
春が僕の愛に沈んでしまわないよう、僕から一生離れたくないって春に思わせる。そのために、僕は春に想いを伝え続けるよ。
「春、好きだよ」
「な、なに言って」
「何って、好きだから好きって言ったらいけない?」
「い、いけなくわ、ないけど……」
「だよね。春、好き。春も僕のこと好きだよね?」
春は口ごもり、そして、「んっ」と軽く頷いた。
ああ、可愛い。
何で春って、こんなに可愛いんだろう。
心の中でにやついて、俯いた春の口元を見遣る。そこには、真っ赤に熟れた唇があった。
形の良い稜線がふたつ。柔らかそうなそれに喉が鳴りそうになるのを必死に堪え、代わりに下手くそな咳をすると、春が心配そうに眉尻を下げてこっちを見る。
「……風邪か?」
「ううん、大丈夫。もう治ったから」
「……なら、いいけど」
また机上に向かって春が俯く。それでも僕のことが気になるのか、ちらちらと心配そうに春が見てきて、にやけそうになるのを必死に堪えた。
春といると情緒がおかしくなって、すぐに乱暴な気持ちになる。でも、春が好きだから今はぐっと堪えるよ。
それでも春が自分から「好き」って言ったその時は、僕はもう、我慢しないから。
覚悟してね、春。
愛を呟いたその唇に触れて、お砂糖みたいに甘い甘い愛をあげる。
「春、好きだよ」
想いを告げると、春の頬が赤らんでいく。僕は暴れそうになる気持ちをまた必死に押さえつけた。
ねえ、春。
お願いだから、早く僕に「好き」って言って?
キスまでの距離 槙野 光 @makino_hikari
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