亜光速じゃんけん
デストロ
亜光速じゃんけん
【亜光速じゃんけん】
西暦二〇六八年六月一日、わたし埼玉県川口市出身の高校三年生
「お嬢ちゃん、借りたカネは返す。これ宇宙の常識や思わへんか?」
薄暗い部屋、テーブルの向こうから、銀髪をオールバックにした男が青筋を立てています。
男の顔にかかった黒い
「えっと……、借りたっていうか、輸送船の乗船代を後払いにしてもらっただけなんですけど」
「アホ抜かせ。『乗船費を立て替える場合は一地球時間あたり二十パーセント複利の契約となり、下船時に返済の必要がある』って契約書にちゃーんと書いてあんねん!」
「そんな小さい字……」
「何言おうとサインしたんはおどれやろ!!
どないすんねん? 合わせて五千六百三十四万マルク、耳揃えて払えない言うんなら、この船の行き先を銀河管理局にせなあかんのやけどなぁ……」
『まあまあ、お待ちくださいよ』
銀髪の背後に立っていた、ピンク色の触手?の塊が通訳機ごしに声を発します。斬新なオブジェかと思っていました。
ピンク色の触手の先端の小さな眼が、じっと私を見つめます。
『リョウジくん、流石にそれは酷というものです。彼女も地球を出て銀河に来たばかりのようですし……。
どうです、ここは「奉仕人民」になっていただいて、わが社の奉仕活動を少しお手伝いいただくことでチャラ、としては』
「えぇ~社長、そら温情すぎまへんか?」
『若者は宝です。
とくに、彼女のような地球人には優しくしなくては。需要も高いですし』
「……てことや。
良かったなー自分、こんな優しい方百四十億光年探してもおらへんでぇ」
と言いながらリョウジ?がうってかわった笑顔で肩を叩いてきます。
「奉仕人民」とは何かわかりませんが、悪い予感しかしません。
「あの、これって本当に合法なんですか……?
銀河管理局に問い合わせても……」
そう言った瞬間、リョウジが目を剝き、
「あぁ……? お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、もしかして社長の慈悲をシカトする、言うとんか……?
なんちゅうアホやこいつ。もうワシ許せませんわ、銀河管理局に通報させてもらいます。
こんな大金を不払い言うたらサイアク終身刑も……」
ああ、どうしてこんな事に。ただ両親と喧嘩して、家出していただけなのに……。
その瞬間、部屋全体が震えはじめました。
宇宙船に、別の船がドッキングしたのです。
まさか、もう銀河管理局のパトロール船が到着したのでしょうか。結局わたしは「奉仕人民」から「囚人」になるだけか……と思いましたが、目の前のふたりも狼狽の表情を浮かべています。
そのとき、わたしの背後のハッチが開く音がしました。
「地球人が二体に、これは……宙域外の管形群体生物?が一体……珍しいねえ」
わたしの横をするりと抜けて歩み出たのは、二メートルはあろうかという人型生物。
紺色の制服に身を包み、肩から生えた八本の長い腕がわさわさと手袋を装着しています。その顔は無骨な呼吸用マスクに覆われ表情は見えません。
「あぁっ!? てめぇ誰だっ、この船がケンタウリ金融のもっ」
声を荒げた銀髪が一瞬でピンクの触手に首を絞められます。
かわって触手が、うやうやしく揉み触手をしながら頭を下げました。
『これはこれはっ、こんな銀河の辺境までどうして』
「
そうそう、本官は銀河管理局・N8支局の執行官です。これ手帳ね」
執行官?は、手の一本に握られた端末から投影したホログラフ映像を触手の先端に突きつけます。
その光景を目にしていたリョウジの顔が一瞬で蒼白になりました。
『……これは執行官閣下、お仕事ご苦労様でございます。
我々はケンタウリ金融でして……当艦は目下、この地球人に脅迫され至急本店に帰還するところ。そのため、未登録の航路を銀河法違反とは知りながらやむなく運航していたところで……』
「いやいや、すごい嘘つくじゃないですか!?
しっこうかん?さん、わたし輸送船に乗っただけなんです。そしたらこの人たちが法外な――」
「あー、なるほど」裁判官は腕の一本でわたしの叫びを遮ります。
「つまり、君たちは今互いを告発しようとしているということですか」
「告発……? まあ、それはそうですけど。
とにかく、この人たちを逮捕して――」
「うん。じゃあ、やることは一つ――
早速、〈裁判〉の準備をさせていただきますね」
さいばん……? 今、ここで、わたし達が……?
触手たちを見ると、しぶしぶといった様子で従おうとしています。どういうこと……?
呆気に取られているわたしをよそに裁判官が指を鳴らすと、部屋のハッチから裁判官の部下と思しき制服たちがなだれ込んで来ました。
「時刻、N08星系時間十七月一日六穴。 座標、N08の三百二宙域。 争点、民間輸送船不法運航。
ここに、〈
**
〈
地球暦二〇三二年、太陽系開星騒動の反省から銀河議会が発足するにあたり、様々な問題が噴出した。銀河における法の統一もそのひとつである。
たとえば複数個体で群体でネットワークを構築し、ひとつの意識を共有する生命体に、「個人の人権」を説いても理解のしようがない。断絶の果てにある無数の道徳をむりやりに摺り合わせていった結果残ったのは、きわめて単純なルール――「勝者が正義」というものであった。
銀河法は、いわば地球の戦時法のように、「戦いを文明的に管理するルール」として生まれるしかなかったのである。
一時間後、一行は船の底部区域に集められていた。
通路の左右にはシャッターが並び、そこの中央に水無月たちが立つ。
彼女らを取り囲む制服の一団から、すらりとした体躯が歩み出た。
「
ケンタウリ金融・社長側の要求は、地球人側の接収、『奉仕人民』化。地球人側の要求は社長側の告発……以上、詳細は法廷記録を参照」
「そんなんでいいんですか……?」
「まあ。決闘に必要なのは互いの遵法精神だけですから」
「決闘……って、戦うんですか? わたし。
体育の柔道経験しかないんですけど」
執行官が八本の腕を振る。
「いやいや、そのための
ということでね、お二人にはちょっとした〈ゲーム〉で勝敗を決めてもらいます。敗者は勝者の条件に従う、と……文明的な仕組みでしょう」
執行官が三本の腕を突き出す。その手は、それぞれ違う形に指を開いていた。
「これは、僕の故郷で有名なゲームでね。
指ゼロ本、これを宇宙船。指二本、これをブラックホール、指五本、これをガンマ線バーストとする。
宇宙船はブラックホールに勝ち、ガンマ線バーストは宇宙船に勝ち、ブラックホールはガンマ線バーストに勝つ。
プレイヤーは三つより選択した手を同時に出し、勝敗を決する。つまりだね、これは宇宙の深遠な均衡を表現した――」
「いやただの〈じゃんけん〉やないか」リョウジが突っ込む。
『執行官閣下、いくら何でもこのようなランダムな児戯で事を決されては堪りません。
あるいは、これはN27星系人への侮蔑ととってよいのか。もしそうなら、我々は管理局に閣下を告発することになるが――』
「まあ聞いてよ。僕はね、つねづねこの〈じゃんけん〉が好きじゃなかったんだ。運否天賦のゲームを装って、結局は相手の表情を読み取れる目がいい人に有利なのがどうもね。どうにか、完全な運否天賦のじゃんけんが出来ないものか……?
そこで今回は、この〈じゃんけん〉をちょっとばかし特殊な環境で行ってもらおうと――そういえば君たち、呼吸は酸素呼吸です? 食事は必要? 水中は苦手じゃない?」
二人が頷くと、執行官が肩をすくめる。
「あーよかった、念のため〈量子ポーカー〉と〈多世界チェス〉も用意してたんだけど要らないみたいだね。
さてこの輸送船。僕らが責任をもって調査したところ、イオンエンジン搭載の脱出艇を複数搭載しているみたいなのね。七・五地球日で光速の二十%まで加速できる結構な
もっとも、ワープ航法時代に生まれた君たちにはこの数字の凄さが伝わらないだろうけど……」
執行官はそこまで言って、手を叩いた。
「ということでね、お二方には、それぞれ違う脱出艇に乗ってもらってじゃんけんをしてもらいます。
手を出す合図は、まあ普通は二人で声を掛けると思うんだけど、この場合じゃそうもいかないだろうから、それぞれの船にタイマーを付けておきました。
タイマーが時間になったら、プレイヤーは船内のカメラの前に手を出してもらいます。互いの映像は相手の船とこの船に配信しますから、それをこの船で僕が見て勝敗を決める、と。
もちろん、時間をオーバーしたら後出しで負けね。
以上、質問あります?」
水無月は首をかしげた。
これは結局、ただのじゃんけん、なのでは……?
『手を出す制限時間は?』
「そこは、迅速な結果が求められる勝負ということで、短めに三十地球日とさせてもらいます。
あ、食糧と酸素も、問題ない量を積んでおきますから」
「三十地球日……ってつまり一か月!? 暇なの!?」
水無月が驚く。だが、一方の触手は納得したように触手を組むばかりだ。
リョウジも、意味ありげな含み笑いで水無月を見つめる。
ひとり水無月が、不可解な表情で全員を見回していた。
『しかし……こんなゲーム、この地球人たちに脱出艇で逃げられたらお終いでは。
もっとも、そんな知能すら無いかもしれないが』
体面を繕わなくなった触手が不快そうに言う。
「いや、そこはご安心ください。逃げるのは勝手ですが、われわれN8支局のモットーは『事象の地平線の向こう側でも取り立てに行く』ですから」
執行官が笑う。それは借金取り側の台詞なのでは、と水無月は思ったが黙っていることにした。
「あ、それじゃわたしからも一つ……、じゃんけんって、さっき言った指の形でするんですよね?
それだと、その……」
そう言いながら水無月は気まずそうに触手を窺う。
『地球人は知能が足りないのか? それとも我々をなめた浅はかな挑発なのか?
要するに、カメラに向かって指が必要な立てられればいいのだろう?』
触手が、触手の表面から細長い突起を出す。索敵用の感覚器官である。
執行官がほっとしたように息を漏らす。
「うん、わかりました。そちら側の『指』はそれなんですね。
それじゃあ手の判断は、映像に映った互いの指の本数ということにしましょう」
ふいに轟音が響く。通路のシャッターのうち二つが開かれたのだ。
その奥には、小型バスほどのサイズをした銀色のボールが鎮座していた。脱出艇だ。
「おお、船のチェックが終わったみたいです。
それではご搭乗ください。アナウンスが終わったらゲーム開始です。
さ、時間もないですから」
「そういえば、わたし宇宙船を操縦するのなんて初めてなんですけど……」
「問題ありません、脱出艇というのは誰でも操縦できるよう作られてますから。
それに、リョウジ君もついてるから安心でしょう」
執行官の言葉に、リョウジが凍り付く。
「え……いや、俺? えっいや、俺は社長のチームなんやけど……」
『チーム?』触手が全身をざわめかせる。
『何言ってるんだ、お前……お前が船を軽率に走らせて執行官に見つかったのが発端だろう?
そんな無能はわが社には要らないでしょう。
当然お前も「奉仕人民」行きに決まっているじゃないか』
「へっ? いやっ……俺はただ社長の指示通りに…………」
「まあ、なっちゃったものはしょうがないから。ほら、地球人同士で仲良くしましょうよ。
ほら乗って乗って」
「へぇぇ……???」
情けない声を漏らすリョウジと水無月が、執行官の八本の腕で押し込まれる。
「それでは、ゲーム【亜光速じゃんけん】。
…………
**
脱出艇が加速を開始すると、母艦の輸送船は見る間に小さな点となって星に紛れた。正反対の方向へ向かった触手の脱出艇は既に見えない。
耐圧液に満たされた球体コックピットの前面いっぱいには船外カメラの映像が映し出され、その中央のウィンドウには敵船の位置を示すレーダー、そして敵船からの映像が配信されている。もっとも、触手のほうは微動だにしていないので静止画と見紛うようだ。
そして画面の上部には、球体の小型カメラ。その横には、デジタル表示の時計が備え付けられている。時計は、"00:00:07:51"の数字を表示していた。地球と同じ表示法のようだ。その下には、おそらく触手側のためと思しき謎の表記の字が光っている。
コックピットの背面には、食糧の収納された簡易的な引出し、耐圧液を供給するダクトの穴、耐圧液に酸素を飽和させるバルブチューブなどが所狭しと並んでいた。
「……いつまでも放心してないでください」
「うるせぇ! お前にわかっかいな、組織に見捨てられた地球人の末路なんざ……」
「今はとにかくこのゲームに勝つ事を考えましょうよ!
……って言っても、わたし全然このゲームのことわかってないんですけど」
「お嬢ちゃん、さては物理苦手やったやろ」
「そういえば、リョウジさんはなんか分かってる風な顔してましたよね。
あれって結局ハッタリだったんですか?」
「初手でこんなナメられてることあるんや。
あのなお嬢ちゃん、お嬢ちゃんはラッキーやで。こんな都合ええゲームを選ばせてもろてんから」
「都合いいゲーム?」
リョウジは、ぴんと指を立てる。
「このゲーム、実は超絶カンタンや。
なにしろ、〈必勝法〉があんねんから」
水無月がじとっとした視線を向ける。
「適当言って交渉しようとしても無駄ですよ」
「信用ゼロかいな、まあ聞かんかい……まず、想像してみ。五Gで加速を続けるこの船は、今から七.五日後に最高速度、光速の二十%に到達する……」
水無月は、宇宙空間をまっすぐに飛び続ける小さな脱出艇の姿を想像した。映像を早回ししたように脱出艇は加速する。
「秒速六万キロメートルの世界……ただ速いだけの船と思ったら大間違いや。動きが光速に近付くだけで、世界の常識は一変する」
水無月は、いま想像の船に乗っている。既に加速は停止しているため耐圧液は排出済みだ。
コックピットの画面に映る星々は青方遷移によってサファイアを散りばめたように青く煌めいている。パネルを触ってカメラを後方へ回していくと、星々は虹のように青から緑、黄色、赤へと変わり――そして船体の後ろ側は、ぽっかり穴が開いたような闇に覆われている。
「それは、そう見えるだけやない。実際に、この船以外の宇宙が進行方向に縮んどるんや」
「縮んで……?」
光速の二十%に達した水無月たちは、一メートルが九百八十センチメートルへと圧し潰された世界を生きている。もしこの船が光速の九十九%まで加速できたなら、一メートルはわずか十四センチとなり、世界はアスペクト比を間違えたような滑稽な姿に変わるだろう。
「あえて不正確な言い方をするけど、俺らのいる時空が、もとの時空に対して傾いとる、みたいな感じなんや。俺らの宇宙は進行方向に行くにつれて、もとの宇宙の未来へと傾いとる。
たとえば今、前の方できらきら光ってる星は、出発時に見てた星よりずっと未来の星ってことになるんや。遠ければ遠いほど、ずっと未来の……、
世界が短く縮まるのも、その影響や」
「……訊きたいことが大量に出てきましたけど、一旦置いておきます」
想像の世界を泳ぐ水無月は、画面中央の敵船映像に目を転じる。相変わらず触手はエネルギー温存のためかほとんど動かず、映像は代り映えしない――
「そうでもあらへんのや……こっちの時計の一秒と、敵の時計の一秒をよーく比べてみや」
「……あっ、よく見ると微妙にズレてます。相手の方が、ちょっとだけ……遅い」
「せや。ドップラー効果は無視して考えると、こっちの時計が一秒を刻むあいだ、相手の時計は〇.九八秒しか進んでへん。
相手の船は、オレたちから見て光速の二十%で離れてってるわけやろ? 速い物体ほど、流れる時間は遅くなる。
いわゆる、
「詳しいですね」
「一応これでも理学部出やからな……」
「……それじゃあどうしてこんな木っ端ヤクザのチンピラに?」
「うるさいわ、色々あんねん。
とにかく、これで仮に三十日が経ったとすると……」
「あーっ、わかりました!」水無月が得心の表情を浮かべる。
「このゲーム、光速に近付くほど時間が遅くなって、その分船の時計が刻む『三十日』も遅くなる。相手が三十日経ったとき、こちらはまだ二十九日半しか経過してない。
じゃんけんの手を出す期限は、それぞれの船の時計ですよね? つまり、速いほど後出しが可能になるわけです」
水無月が手を打つ。
「だからこの〈亜光速じゃんけん〉の必勝法は、一刻も早く最高速度に到達すること。
そうすれば、相手の手を見てから半日も後に手を出すことが……」
ふいに、水無月の表情が曇る。
「……あれ? でも、今時間が遅くなっているのはわたし達じゃなくて、触手さん側ですよね」
「せや。オレ達から見て高速で動いて見えるのはあっちやからな」
「…………? でも、それはそう見えてるだけなんですよね。
実際に高速で動いているのは、わたし達……」
リョウジは意味ありげに笑う。
「試しに、敵の船を想像してみ」
たちまち船内の様子が様変わりする。コックピットにいるのは、水無月ではなく触手。そして画面の中央には、ぷかぷかと耐圧液に浮かぶ水無月とリョウジの姿が映し出されている。
その映像の中の一秒は――、
「……遅い」
「触手から見て、高速で動いているのはオレ達の船。ここでは、さっきと逆が成り立つわけやな」
「それは、つまり……どっちが、本当に遅くなっているんですか?」
「残念やけど、その問いはそもそもが間違った問いや。
答えは、互いが相手より遅い。オレ達が三十日経ったとき相手は二十九日半しか経ってへんし、敵が三十日経ったときにも俺達は二十九日半しか経ってへん。
ふたつの宇宙の時空はずれてしもてる。ずれた時空どうしを、速い遅いと比べることはできひん。この宇宙に絶対の時間は無いんや」
水無月はその答えにしばらく目を見開いた。それから瞑目したのち、
「なるほど、分かりました」
「いや吞み込むの早いな?」
「わたしには分からないことが分かったってことです。
でも、分からなくても『そういうもの』と割り切って覚えればいいだけですから」
そう笑う水無月の表情に、リョウジは目を
「……まあ、それがわかったんならええ。
これでわかったやろ。このゲームが『運否天賦』と言うてた意味が……。
せやけど、このゲームには一つだけ勝ち筋があんねん。
これも難しい話にはなってまうねんけどな、一般相対性理論にもとづけば――」
「分かりました!」
「早っ! いや分かるわけあらへんやろ!」
「え、そうですか? さっきの話を聞けばだいたい分かる気がするんですけど……。
要するに〈必勝法〉っていうのは、……」
水無月の囁きに、リョウジの口が開いたままになる。
「……え、何やお前、やっぱり物理知っとったんか」
「分かんないですって。
でも、さっきの話を前提にして、もし自分のほうが時間を進められる方法があるとしたら、それっぽいのってこれしかないかな、って……」
リョウジがしばらく考え込んでから、腕を組む。
「いや、自分めっちゃきしょいな」
「酷い言いようですね……」
「とにかく」リョウジは顎をさすった。「このゲームはこれが全てや。これでオレもお前も無事解放! いや良かったな、感謝せいよ」
「あなたがいなければそもそもこんな事には……」
圧縮されゆく宇宙を眺めながら、水無月は溜め息をついた。
水無月は沈思する。彼女の心に引っかかっているある事について。
このゲーム、そううまい展開になるだろうか。
もし、敵の出した手が〈チョキ〉なら――わたし達は、〈グー〉で敗けることになる。
**
二十九日後。
水無月の脱出艇は、光速の二十%で航行していた。
コックピットの時計は、"29:17:01:55"を表示する。残り時間、一日と七時間。
水無月らの船は、既に〈必勝法〉を完了していた。
それは、「最高速でなるべく遠くに行ってからUターンし、敵船に合流すること」。
加速した世界では、前方ほど未来の状態をとる。つまり、十分に距離を引き離した上で進行方向を百八十度転じて敵船の方向を向けば、敵船は水無月らの時空においていきなり遥か未来の状態に更新される――つまり、敵の時計を一方的に進めることができる。三十日をすべて使って行ける限り遠くに行った場合、およそ一・三日ほど敵の時間を進められる計算だった――つまり、敵の手を一方的に見てから一・三日後に後出しするという、普通のじゃんけんではありえない行為が可能なのだ。これがリョウジの考えた、【亜光速じゃんけん】の〈必勝法〉であった。
今、すぐ近くを航行する触手は画面上で〈チョキ〉を出している。そして、触手の傍らの時計は今ゼロを表示した。
すなわち、水無月らはこれから一日と七時間後に〈グー〉を出せば、勝利が確定しているのだ。
――そのはず、だった。
「……いや、ほんまにお前の言う通りとはな……」
リョウジがほっと息をつく。
水無月が、満面の笑みで腕を伸ばした。
「最初から、変だとは思ってたんです。あの触手、最初は触手の先端に目があるなんて気づきません。
あの執行官さん、初めて見た生物というフリをしながら、執行官手帳を触手の先端に突き出して見せた。
もしかして、この二人はグルなんじゃ? そう考えると、リョウジさんの始末も納得がいく……なら、この【亜光速じゃんけん】にも、相手に有利な要素がないか?
そこまで疑えば、あとは簡単でした」
水無月が伸ばした腕の先、そこにはピンク色のナマコのような物体が握られていた。物体はびくびくと震えている。
「『管形の群体生物』という執行官さんの言い方が気にはなっていたんです。それでよく聞いてれば、触手さんの一人称が、いつも『我々』……」
「俺も知らへんかった。まさか、触手生物が寄せ集まって意識を共有するタイプの生物種だったとはなあ」
「それでピンと来て、試しにじゃんけんの手の形のことを聞いてみたんです。そしたら案の定……触手さんと執行官さんが、露骨に安堵して。どう切り出そうか迷ってたことを、まんまとカモの方から突っ込んでくれた、と言わんばかりの」
「じゃんけんの手は、『映像に映った互いの指の本数』……全然気づかへんかったわ。
こっちの船に触手を一匹忍ばせといて、俺らの後ろで指を三本出させれば、指は本体の〈チョキ〉と合わせて計五本で〈パー〉扱いにできる。確かに、どっちの画面に映ってようと触手の指には違いあらへんわな」
水無月がぺしぺしと触手を壁に叩き付けると、先端の目が怯え切ったように瞬きを繰り返した。
触手は、時間が来るまで耐圧液のダクトに潜んでいたのだった。二人で打ち合わせて〈グー〉を出す素振りを見せ、触手がそろりそろりと這い出たところをリョウジがなんとか捕まえたのだった。
「でも、なんとか上手くいってよかったです。もうドキドキしっぱなしでした……」
「うそつかんかい。お前、ほんまに高校生よな……? ギャンブル狂とかやない……?」
「女子高生に失礼ですね」
脱出艇は、虹色に輝く星の中をなめらかに滑っていく。
その後、二人は何だかんだで支局の腐敗を中央にたれ込み、それをきっかけに銀河管理局局長の座を巡る勝負へと巻き込まれていくのだが、それはまた別のお話。
亜光速じゃんけん デストロ @death_troll_don
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