3. 眼下に広がる満天の星
それから、私たちは黙り込んだ。私の緊張をほぐそうと、設楽さんは揉んだり撫でたりを続けてくれたが、舞台裏でおしゃべりするのは観客に聞こえかねないので、あんまり良くないのだ。
ふと、会場に流れている曲が、曲の途中で音量を下げていった。これまでのBGMは、曲が途中で切られることはなく、最後まで流れては次の曲、という風に移っていた。つまり、次が。
練習中に、何度となく聞いた曲が流れ始めた。本番前『ラストの曲』で、通称『ラス曲』。緊張と高揚を否応なしに引き起こす、この半月で、出演者みんなの、おなじみになった曲。
私は、手元に置いていた小道具のロープを二つ取る。自分の手足をスピーディに「縛って」見せられるよう、クリップの位置を確認した。そして、深呼吸。
設楽さんに目を合わせる。満面の笑みと、ビシッ!という音が聞こえてきそうなサムズアップが返ってきた。
私もサムズアップを返す。うまく笑えてるといいけど。
観客席から見切れないよう、ベニヤに張り付きながら、反対側の舞台袖を見た。
同じく板付きとなる、草加先輩が見える。表情ははっきり見えないが、やはりビシッと親指を立ててきた。この劇団の習慣? 私も返しておく。
ラス曲のボリュームが、不自然なレベルまで高まる。観客も本番開始の気配を感じたのか、雑談が途切れた。そして、観客席の照明も落ちていく。
私がどちらを向いても、設楽さんの姿も、草加先輩の姿も、見えなくなった。
真っ暗だ。
気にするのは三つ。手元の小道具。第一声となるセリフ。そして、謎の「おほしさま」。
小道具は、持っている。私を縛れる、ダミーのロープが二つ。
セリフは、出てくる。『もう一回言ってもらえますか?』。
そこまで考えて、私は舞台袖から、舞台に踏み出した。
私の下に、『星空』があった。
確かに、何度も目にしていたものだ。
暗がりで振る舞う役者を助けるために、舞台上の至るところに貼られた、小さな小さな蓄光テープ。自らが浴びた光を蓄え、暗がりで道を指し示してくれる、役者の盟友。
練習では、お目当ての一か所しか見ていなかったから、それは「蓄光テープ」でしかなった。
その光景は、広く眺めれば確かに、美しい『星空』でもあり。
これを「おほしさま」は、ちょっと詩人が過ぎるんじゃないか。
謎が解けた嬉しさと、内心のツッコミで、口角が上がる。喜びや呆れの声を上げなかっただけでも、ちょっと褒めてもらいたい。
余分な緊張が抜けていくのを感じる。
さてさて、楽しいお芝居の始まりだ。
舞台袖から歩いて三歩。パイプ椅子の背もたれに貼られた蓄光テープを目印に、私は椅子に座り込んだ。そして、足をしばる「ロープ」を装着。後ろに回した手首にも、一応「ロープ」を装着。準備完了。
ほんの五秒間の最大ボリューム時間を過ぎたラス曲が、フェードアウトしていく。
無音。
暗闇。
照明。
灯体が「光り始めたな」と見えた一秒後に、私と草加先輩、そして舞台全体が煌々と照らされた。
その照り返しで、観客の姿が見える。待機中とは、逆の光源。
≪元始、舞台上は月であった。しかし今、照明のおこぼれにあずかるだけの月は
と、どこかで聞いた声明を、ヘタクソにもじったような言葉が脳内に流れていく。
怒られそうだから、私の脳内の妄言だから、誰も聞かないで。平塚ナントカさん、ごめんなさい。
客席を一瞥する。少し、緊張がぶり返す。
草加先輩を見る。私のことをニヤニヤしながら眺めている。練習で何度も見た表情だ。この誘拐犯め。
照らされた舞台の中で、私は戸惑った顔を作る。
そして、大きな声で、第一声を放った。
(了)
眼下に広がる満天の星 今井士郎 @shiroimai
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