視覚ドラッグ

立談百景

Amiga1000

「ねえショコ、視覚ドラッグやってみない?」

 彫り師のウルカがそう提案してきたのは、わたしの背中にあるインドの三大神のうちの最後、ブラフマーのタトゥーの線を半分くらい彫り終えた頃だった。

 わたしは背中にはこれまでシヴァ、ビシュヌと彫っていて、ブラフマーが一番最後の図案だった。痛みには慣れたつもりだけど、慣れてるだけで痛いものは痛い。そんなわたしを見かねて、ウルカが提案してきたのが視覚ドラッグだ。

「視覚ドラッグって……なんかちゃんとイメージないんだけど。痛みがなくなるの?」

「神経を直接わけじゃなくいから痛いことは痛いままだけど、脳を騙すみたいなことらしいから、痛いのが良くなるらしいよ」

「ふうん。催眠術みたいなもんなんだ」

「そういうこと。依存性は……まああるっぽいけど、身体へのダメージも少ないし、どう?」

 で、まあ新しいもの好きだったわたしはそれを試すことにした。

 ウルカはセフレだし、わたしのタトゥーの彫り師だし、元々は高校からの同級生だし、ドラッグの仕入れ先でもあるので、わたしたちは旅行トリップ友達でもある。だからこうして新しいドラッグの誘いがあると、わたしはその誘いにほいほい乗ってしまうのだ。

 翌週に再びウルカのスタジオを訪れると、いつものタトゥー用の作業椅子の横にはブラウン管モニターらしき四角い箱と、古いコンピュータらしき箱がある。それに何か短眼鏡みたいなものがコードケーブルで繋がれていて、どうやらそれが視覚ドラッグの装置なのだという。

「視覚ドラッグって映像で見るドラッグじゃないの?」

「もちろんその通り、この装置で見る」

「目がありゃ何でも見られる時代にこんな古いコンピューターで……これ本当にコンピューター?」

「うん、Amiga1000を改造したもの。ウォーホルとか平沢が使ってたPCだね」

「知らない」

「まあ七十年以上も前の話だし……」

「なんでそんな古いコンピューターを使うの?」

「Amiga1000に限らず色んなビンテージコンピューターが視覚ドラッグのデイスペンサーに使われるんだけど、理由は色々で確実にネットから足が付かないとか、末端の売人がコピーしにくいとか、エミュレーターや互換機では使えない改造ができるからとか、並べればたくさんあるんだけど、まあロマンみたいなもんなんだろうね。知らんけど」

「ふうん。おばあちゃんたちがみんな時々カメラで自分のこと撮ってるみたいなやつね」

「そういうこと。この辺のビンテージコンピューターを使った視覚ドラッグは『ノスタルジー』って呼ばれてるんだって。使い方は簡単だし早速やってみる?」

「……そういや金額、聞いてなかった」

「ショコはタダでいいよ」

「は? ダメでしょ」

「あ、違う違う。これうちのお客さんにはサービス料金で提供しようと思ってんの。いまんとこ違法性もないし、ドラッグというには軽いしね。ショコはお得意様だから、今回の料金に含んだげる。セフレ割りってやつ」

「ほーん、ヤっとくもんね。じゃあお願いしよ」

「ふふ、よろこんで」

 わたしは服を脱ぎ、タトゥーの施術椅子の背もたれを抱えるように逆座りする。ヘッドレストはエステのベッドみたいに穴が空いていて、そこから呼吸のために顔を出せるようになっている。視覚ドラッグがうまくキメられれば、このまま施術に進もうという腹づもりだ。

 穴の奥から、ウルカが顔を出す。

「お、ショコの無防備な顔」

「そっから見られると顔ハメパネルみたいで恥ずかしいんだけど」

「…………」

「おい、今メモリー残したでしょ」

 携帯電話、スマートフォン、スマートウォッチ、ヘッドマウントディスプレイ、ボディプロジェクションなどと様々な小型化を見た人類の携帯端末は、現在コンタクトレンズ型のディスプレイとウェアラブルなコンピューターをリンクさせて使うというのが主流になっている。コンタクトレンズ型のディスプレイはカメラ機能も備えており、映像をメモリーすることもできる。かつてはプライバシーの問題がどうだと言われていたが、最終的には「目に見えたものをそのまま残せる」便利さを享受する方を世間は選んだ。

「はいこれ」とウルカが先ほどの視覚ドラッグ端末についていた単眼鏡を寄越す。

 消毒済みのアイカップがついていて、それを瞼で挟んで瞬きをしないようにするためのものらしい。単眼鏡を覗くと、ヘッドマウントディスプレイのように奥で映像が流れる仕組みのようだ。

 わたしは単眼鏡をつけ、再び顔を穴に戻す。

「映像が流れてる間は、片目は瞑っておいて。余計な視覚情報は入れない方がいいみたい。映像は5分間、気分が悪くなったら左手か、顔を上げて教えて。映像を流す前に耳栓つけるから、私の声も聞こえなくなると思う。耳栓つけて、私がショコの右肩を叩いたら始めるね。映像が終わったら真っ暗になるから、そしたら外して大丈夫。――準備はいい?」

「……少し怖いかも」

「大丈夫、傍に居るからね、絶対」

「うーん」

「そこはときめけよ。……じゃ、いい?」

「いいよ。ありがと」

 そしてウルカはわたしの手を一度だけ握る。それからすぐに耳栓をつけて、右肩を一度、叩く。

 ――すると、光が見えた。

 丸い光。全球のディスプレイは余す所なく、光が見える。

 始まった映像は、正直どうということもない。激しい光の明滅に、昔のコンピューターから吐き出される画像特有の、色数の少ない眩しい彩り。幾何学な図形の繰り返し、フラクタルの没入に錯視図。何かを訴えかけるような映像でもなく、ただただ単調な、図形と色彩の繰り返し。繰り返し繰り返し――

 しかしその繰り返しが少しずつ加速していることに、わたしは気付かなかった。僅か数フレームずつの加速である。

 加速に気付かず、加速に気付かず、わたしはその映像を何度も何度も繰り返し見て、すでに何時間も経ったように思った。まだ終わらないのか? しかし単純で単調で、その映像から、何故か目が離せなくなる。もう見たくないノイローゼのような心地と、何故かもっと見たくなる飢餓感が湧いてくる。

 四角が、丸が、平行四辺形が、二等辺三角形が、歪む、歪む、歪む、歪む――

 そして映像の加速が終わっていくが、それすらわたしは気付かない。遅くなる映像は少しずつ離れて行く。わたしの目から離れて行く。私の目から離れて――離れて――行かないで――行かないで――。

 白。

 これは光だ。

 光の明滅が開いた眼孔をなぞり、痛む痛むが――

 そして、その痛みを、もっと欲しいと思った。

 思ったのだ。

 ――    !

 そこで映像は終わった。目の前に暗闇が広がり、今まで見ていた光の映像を幻視する。闇が歪み、闇が光、闇が笑う。わたしは目を開けるのが怖かった。たった五分の体験のはずが、半日はこうしていたような虚脱感がある。

 わたしは椅子から顔を上げたが、目を開けなかった。単眼鏡は外したが、そのまま目を瞑った。

 無意識に手が何かを探す。何も聞こえない、何も見えない。

「――ショコ!」

 不意に、温かい音が耳に入り込んだ。

 そして手を握り返す誰かがいる。

 ……ウルカだ。ウルカがわたしの耳栓を抜いて、手を握ってくれたのだ。わたしが手を握り返すと、ウルカは安堵したような声を出した。

「良かった、良かったよ……なんか混乱してたみたいだから、焦った」

 わたしは未だに目を開けられずにいたが、なんとか椅子の上で体勢を変え、逆座りから正しい位置に座り直す。目を瞑った瞼に、施術用の照明の熱気が届いたような気がした。

 いまさら、自分の息が荒かったことに気付く。何度か深呼吸をしてそれを整えている間も、ウルカはわたしの手を握ってくれている。

「――本当に五分だった?」と、わたしは喋れるようになって、ようやくそう質問した。

「間違いなく五分だったよ」

「……そう」

 そしてわたしはようやく、薄目を開ける。

 眩しい照明を背にして、逆光のウルカの顔が見える。

 その顔があまりにも申し訳なさそうに見えたので、私は思わず笑ってしまった。

「ふっ。高校の時にわたしのカントリーマアム勝手に食べちゃってた時とおんなじ顔してんじゃん」

 不意にそんな懐かしい思い出がフラッシュバックする。

 脳が妙に鮮明というか――開いているような感覚がある。

 そして視界が晴れ、わたしは少しずつ、少しずつ、落ち着きを取り戻した。

 で、そのまますぐにタトゥーの施術をお願いした。ウルカはわたしがバッドトリップしたんじゃないかと心配していたが、神経系に作用するわけでなし、催眠ならどうとでもなるでしょと彼女を言いくるめた。

「じゃ、こないだの続きからやってくから」

 肌の表面処置を終えて、タトゥーマシンが動き始める。

 そしてニードルの先が肌に触れ、線を引いたその瞬間――

「――え、ショコもしかして甘イキしてない?」

 しましたよ。穴から覗くな、わたしの顔を。

 どうやら視覚ドラッグはマジらしい。

 感覚が増している。正直針の痛みはいつもの何倍もあり、かなり身体が敏感になっているのが分かる。そしてその上で、その痛みがあまりにも気持ちいい。それはマッサージのツボ押しや凝った肩をほぐすような快感ではない。明確に、痛覚と粘膜が一体となったような、ストレートな性的快感なのだ。

 ウルカはそれが分かると、なんの遠慮もなくいつも通りにタトゥーを彫り始める。束ねられた針が肌に刺さるたびに、わたしの快感は蓄積していく。身体が小刻みに震え、その度に施術の手が止まり、もどかしくなる。呼吸が荒くなり、顔ハメ穴から汗が滴る。よだれまで垂れそうになるが、なんとかすすってそれを飲み込む。施術椅子には衛生面を考え取り替えられる防菌シーツが装備してあるが、すでにそこにわたしの汗が溜まっているだろう、普段は感じないじゅくじゅくとした気持ち悪さがある。

「すっげえいけないことしてる気持ちになってきた」とウルカもなんか知らないけど興奮してるが、さすがに入れ墨の失敗は洒落にならないので、その日の施術はそれで切り上げたわたしたちはわたしのアパートに行ってめちゃくちゃセックスをする。

 が、わたしはなんだか物足りない、物足りない、物足りない。これはヤバいぞ。痛くないと物足りなくなってる! もっと乱暴にしてとウルカにお願いしてみるがウルカはあれで結構ヘタレてるのでがんばって尻を叩いてくれるがそうじゃないんだよ!

 ……ということで、視覚ドラッグはちょっとわたしたちには相性が悪いっぽいね、という結論に至ったのが明け方のことだ。

 ヤり疲れてわたしたちは部屋の電気を消して眠ることする。ウルカの寝息を聞きながら、わたしは目を瞑る。ウルカの店でキメた視覚ドラッグの感覚が、まだ瞼の裏に焼き付いているように思う。

 ふと、視覚メモリーに見慣れないものがあるのに気付いた。わたしは眼球の動きと指の動きでそれを開いてみる。……その映像は、どうやらわたしが見ていた視覚ドラッグの映像を収めた物らしかった。映像の尺は五分ほどで、わたしの体感よりやはり短い。

 どうせ映像なら終わるからと、念のために立体視と視線の連動は切っているものの、わたしは不用意にその映像を再生してみる。……まあ、特殊ではあるものの、やはり特別な映像ではない。五分の映像は五分の通りに見終わることになった。やはり、Amiga1000やあの単眼鏡で見るように何かチューニングが入っているのだろう。クスリでもないのに、よくできたものだと思う。

 ――あの時みた光が、脳にこびりつく。いまだに何かの感覚が鋭敏になっているような気がする。幻覚系のドラッグをやってると背中のタトゥーが飛び出て話しかけてきたりもするけど、そういうのとはまた違う、強烈に感覚だ。

 わたしは残っていた視覚ドラッグの映像を消去した。

 それから寝返りをうって、隣のウルカの寝顔を見る。……薄暗闇に、ウルカの無防備な表情が写り、わたしは消去したメモリーを埋めるように、それを保存した。

 それでもなお、瞼の裏には光が焼き付く。

 わたしは彼女の手を握って、眠りについた。


/おわり

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視覚ドラッグ 立談百景 @Tachibanashi_100

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