風雲児、扇子を携えて

千桐加蓮

 彼女は、渋谷駅周辺でインタビューを受けている子たちが映っているテレビ映像を見ながら、テーブルに顎をつけた。羨ましく思っていることが、表情から察することができる。

「いいよね、東京は。移動も物も揃ってるから便利だしさ」

 片頬をテーブルの面につけ、静かにため息を吐いている彼女の元に、素足でこちらに走ってくる音が近付いてきた。

陽咲ひさきお姉ちゃーん、オレ朝顔にお水あげてくる!」

 玄関から持ってきた自分の運動靴を片手に、リビングからつながる広々とした庭に出るため、陽咲の弟は掃き出し窓を開けた。

「あと、朝顔の観察絵日記もやらないといけないんだよね」

 小学生になったばかりの少年は、初めて課された夏休みの宿題に張り切って取り組もうとしている。一方、高校生一年生の陽咲は、夏休みが始まって一週間も経過していないが、陽咲の中で宿題に取りかかろうとする気持ちは少しもなさそうだ。

愉貴ゆたかさ、ビッグになりたい?」

 陽咲は、気怠そうに立ち上がり、問う。

 愉貴はなんのことだかよくわからないといった顔で姉の顔を見る。

「何? ビッグって?」

 掃く出し窓を開けっぱなししているせいだからなのか、蝉の鳴く音が大きく響いている。

「そう、ビッグ。世の中にはさ、悪いやつとかいるかもしれないでしょ。そういうやつらを上手く交わしながらさ、憧れの生活を手に入れるの」

 愉貴は姉の言葉に自身の小さな脳みそをフル回転させるが、やはり意味がわからない。

「そんなのいないよ」

 姉が自分に何を答えてほしいのか、それを考えることにした愉貴は、とりあえず思ったままのことを口にして陽咲の反応を待つ。

「わかんないじゃん。世の中って広いんだし」

 陽咲は、弟と目線を合わせるためにしゃがみこんだ。陽咲が着ている中学生の時に着ていた体操服のズボンのサイズはピッタリで、そこから伸びる細く白い脚は、彼女の足の小ささを物語っている。

 陽咲は弟から視線を逸らす。

「愉貴は、ずっと一緒にいたい友達は作っておいた方がいいよ」

 姉がなぜそんなことを言うのか、愉貴にはわからなかった。

 

 陽咲も気分転換にと、庭に出た。

 愉貴は、朝顔に水をあげながら、散水機から目を逸らし、陽咲の顔を見る。

「お姉ちゃん、友達とかと遊びに行ったりしないの?」

 少し離れた場所にある安っぽいガーデンチェアに座っている陽咲は、夏の空を見上げている。

「おねーちゃん友達いないんだよね」

 陽咲は軽く笑っている。愉貴には強がっているようには見えず、仕方ないんだと諦めているように感じた。

「でも、高校で新しい友達できたってお母さんに言ってたじゃん」

 愉貴は、「その子たちと遊んだらいいと思う」と遠回しに言ったつもりだった。

「いるよ。けど、合わせてるだけで、本当の私で話してたら友達じゃなくなっちゃうから、多分友達じゃないよ」

 愉貴にはその言葉が、彼女の本心の全てであるように感じる。

「そんなのわかんないじゃん」

 陽咲は、弟の言葉に反応を示すことなく、ただ空を見上げている。

「オレは友達いるけど、お姉ちゃんも友達作った方がいいよ」

 決めつけるように言った瞬間、家の目隠しフェンスの外から軽い驚き声と尻もちをついたであろう音が響いた。

 愉貴は、自分の散水機の先端を見て、やってしまったという気持ちに駆られる。

 散水機の水の出る強さはマックスに設定されている。朝顔にあげていたはずの水が、フェンスの隙間やフェンスを超えて外構に出てしまったのだ。驚きの声の主は、通行人で間違いないだろう。

「オレ、謝ってくる!」

 運悪く、水をかけてしまった奴がヤクザ的な格好でもしていたら、愉貴には刺激が強すぎるだろうと考え、陽咲もついて行くことにした。

 後から追いかける形で陽咲が現場まで行くと、目を疑った。

 陽咲よりも少し年上であろう若い男、祭りの開催日ではないというのに和装姿なのはギリ許容範囲。だが、髪型は丁髷。陽咲は「その格好はコスプレですか?」と聞いてしまいそうになっていた。陽咲は、ぐっと堪えて愉貴と同じように頭を下げる。

「ごめんなさいっ、まさかこんなことになるなんて思わなくて」

 愉貴は、濡れている和服を着ている男の目の前でペコペコしている。

 男の背は見た感じ男性平均よりも十センチくらいは大きく、迫力がある。

「お姉ちゃん、この人ビッグだよ」

 愉貴は小さい声で陽咲に近寄る。

「ビックな背丈にも、びっくりしてるけど……」

 陽咲は引き気味で男を見るが、愉貴は好奇心旺盛のようで、すっかりビクついていたいた表情が和らいでしまっている。

「お侍さんですか?」

 悪気はないとはいえ、そんなドストレートに聞けるのは、愉貴くらいの年齢だから通用する特権かもしれない。陽咲は目を点にしたまま侍の格好をしている男と弟のやり取りを呆然と見ていた。考えたくはないが、侍の格好をしている男が自分の目の前にいる状況に、色んな理由を想定してみる。

 彼は愉貴の質問にたどたどしく答えている。

「なんで、お侍さんの格好をしているんですか? 刀は本物?」

「まあ、こいつで人を殺めることも可能だか……というか、みんなこういう格好をしているんじゃないのか?」

 あまりにも当たり前だと言わんばかりの返答に、陽咲は考えたくもないが、この男はタイムスリップをして現代にやってきてしまった、という現象が頭に浮かんでいた。有り得ないことだと心の中で何度も唱えてみるが、タイムスリップものの小説や漫画なんかは最近流行なのだろう。書店でよく見かけるようになったし、転生ものを扱った作品なんかは、書店でなくても、教室でクラスメイトが喋っているだけで聞こえてくるような話題である。有り得る話に、いつの間にか変わってしまっていたのかもしれない。

 表情を変えずに頭の中で渦を巻いている陽咲は、この男性は時代劇ものの撮影で侍の格好をしているだけなかもしれない、と先程より大分現実的な考えを浮かべてみた。「そうだ、彼は役になり切って私たちを驚かせようとしている役者なんだ」とそっと胸を撫でおろし、自己解決させ、家の中へ入ろうと愉貴に提案するために声をかけようとする。されば、侍の格好をした彼が驚きを隠しきれないといった様子で、大袈裟無に驚いていた。

「何!? 侍の時代は終わった……だと、真か?」

「真ですね。『今は多様性を呼びかける令和時代』って学校の先生が言っていました」

 愉貴は、なぜ冷静でいれるのだろうと陽咲の方が呆気にとられてしまう。陽咲は心の中で、侍の格好をした彼のことを”江戸時代あたりから来た不審者”という、へんてこなあだ名をつけてみる。けれど、やっぱり長いあだ名からと省略し、“不審者”と心の中では呼ぶことにした。


 陽咲は、愉貴がどうしてもおもてなしをしたいというので、ちょっとだけならと庭の中にいれた。陽咲は、自分もうつけ者だと軽く頭を抱えた。

 夏の暑さですでに三人とも額に汗を掻いてしまっている。かといって、不審者を室内に入れることはやめた。本当に彼が不審者でお金や誘拐が目的だとしたら外よりも危険だと高校生なりに考えたためである。


 愉貴の遊び相手になってくれるであろう人だとはいえ、誘拐されそうにでもなれば大声で近所の人たちに助けを求めようと、陽咲は自分に言い聞かせる。

 愉貴の質問に不審者はちゃんと答えている。「お侍さんは何を食べているんですか」という質問にたして「甘いものが好き」という返答に、陽咲は思わずほっこりしてしまった。緊張感を持たなくてはと思いつつも、二人のやり取りが微笑ましくてつい気が緩んでしまっている。

「僕の名前、お侍さんじゃないんだ。侍に憧れて、この星に日帰りで来たのだ」

 陽咲は、再び状況理解に苦しむ。

「僕、リュウホっていうんだ。別の星が出身で、地球での礼儀とかいまいちなんだよね。つまり、愉貴くんは、もうこの時代には侍はいなくて、こういう格好をしている人間はいないということを言っているのですね」

「い、いないというよりは、そういう格好をしている人は限りなく少人数って感じですかね。演じる人はセッチングされた衣装でそういう格好になりますので。それに、侍っていうのは仕える人がいてこその存在するってわけですから。あと、刀は隠して行動した方がいいですよ」

 陽咲は、自然と話に割り込み、なるべく角が立たないように伝えた。それから、彼の言っている別の星について詳しくかを決めようと、言葉を選んで話しかけた。

「で、なんで地球にいらしたんですか?」

と質問を投げかけながら、陽咲は不審者騒動になりかねないと考えた矢先の人物の素性が気になってしまう。だが、彼はその質問に少し困った顔をし、言いづらそうにしている。

 陽咲はそんな表情を見て「あ、やば」と自分の軽率な発言を悔いた。「実は……」と彼は視線を泳がせる。

「王になる前に、侍を見たいなと思っていたのです。現在、王の座を務めている我が父上が地球の歴史小説やら、軍記物やらの資料を持っていたので、読んでいくうちに憧れを抱いてしまいまして」

 なんだか、彼の話を信じてしまいそうだ。あまりにも説得力がある表情、そして喋り口調にこれは芝居ではないのだろうかという錯覚を覚える。

 陽咲が何の根拠もなしに「ストーカーで私たちを狙っている輩かも知れない」という考えを消し去り、この世界に無関係な者が入り込んだのではなく、彼のいう世界から地球に来たことに少し傾いたくらいだ。それに、純粋に話してみて悪い人に思えずにいるのもそう考える一因なのかもしれないし、彼もこちらがちゃんと言葉を理解してくれているからか遠慮なく情報を話してくれるからかもしれない。

「じゃあ、リュウホさんは侍が好きなのですか?」

 リュウホは嬉々とした表情で、陽咲を見る。

「面白いほどに美しいな……故郷の星では叶わない夢だ」

 陽咲もそんな純粋にそれぞれの役になり切れる姿は格好いいと思ってしまうし、別に監視してくるわけでなければ楽しさを感じるくらいでいいだろう。話をしてみたいという気分になっていた。

「私、宮川陽咲って言うの。リュウホさんに水をかけちゃったのは弟の愉貴。まだ、六歳で歴史に詳しいわけじゃないけど、外遊びは好きで体力はあるから、たくさん遊んであげて」

 リュウホはきちんとかしこまった挨拶を交わし、頭を下げた。


 陽咲は、しばらく異星人と弟が走り回ったり、話したりしているのをただ眺めていた。自分はいない子のように影を薄くして、時々愉貴と目が合えば、顔を緩ませる。「好きなだけ喋っていいよ」と言わんばかりに。

 陽咲は思う。彼は悪い人に思えないし、何か悪さをするような素振りもない。ただ庭で走り回っているだけだというのに、どこか家族の一員に思えてしまうのだ。

 「お姉ちゃんもおいでよ」と手招きをされてしまい、陽咲はリュウホの隣に立った。

 すると、愉貴がまた質問攻めをする。

「リュウホさんは何歳なの?」という質問に対して彼は「二十歳」と答えた。その年齢に、愉貴は「あー」とリアクションをしていた。陽咲も同じように「無難だな」と頷いた。

 けれど、年齢の割に大人びているし、容姿も端麗で、どこか気品があるように感じられる。

「リュウホさんはさ、その……何歳なの? 見た目は二十歳だけど」

 愉貴は「嘘をついているのでは」と思ったのか恐る恐る質問した。彼は少し考え込んだ後「地球年で言うところの二百と三歳くらいになるかなあ。あまりよくわからない」

 愉貴も陽咲も「あ、これ以上聞いては行けないのかもしれない」と思ったのもつかの間、リュウホが羨ましそうに言う。

「しかし、侍の島国の子たちは仁や忠といった温かい心があっていいね」

「温かいですかね……?」

 陽咲がつい出てきた疑問詞に、彼は答える。

「侍になりたいと思わせるものはなにかってことよ。ここでは古くからその人たちを大事にしているのだねえ」

 壮大なスケールの話になったので陽咲はついて行くのに必死だったし、そもそもこの話はフィクションなのか現実なのかわからない話なので真偽も確かめようがない。

 愉貴はというと、リュウホから質問攻めにあっていて、答えられるものを一生懸命に答えていた。

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