中
次第に愉貴は、目がうつろになり始めていた。
そのため、陽咲から「眠った方がいい」と声をかけられる。彼は素直に従った。
愉貴を三人がけのソファーに眠らせるのに、リュウホを暑すぎる外で一人置いて行くのはなんだか可哀想な気がした陽咲は、リュウホにも声をかけた。
「中に入って、麦茶でも飲んでいきますか?」
彼は、「礼を言うよ」と言って、陽咲の隣を歩いた。
「リュウホさんはさ……本当は地球に何しに来たんですか? 観光とか?」
彼がよくわからない世界線からやって来たという事実のみで片付け、陽咲は彼がどんな目的で来たのかが気になってしまいつい聞いてしまったが、すぐに後悔しそうになった。もし悪い人だったら自分は殺されてしまうかもしれないとまで思い始めたからだ。だが、そんな心配は無用だったようで彼は少し間を置いて答えたのだ。
「侍を見にきたのは、真だ。だが、王になる前に一度地球には来たかった」
彼は、ハッとした表情になり、丁髷から散切り頭と言うべきか、短髪の髪型に変化した。手には丁髷のウィックを持っている。彼の赤髪は綺麗で、メッシュを入れているかのように蛍光系の赤い髪色も混ざっている。
驚いた陽咲は思わず後退りしてしまいそうになるが、何とか足に力を込めて踏ん張る。あまりの非現実に目を背けたくなることもあったが陽咲とて、仮にも女性であるからして関心のほうが強くなってしまうのだ。
「その髪色、染めたんですか?」
「いや、生まれつきだよ。丁髷は作り物のだったが、必要なさそうだ。いつもの髪の方が今の時代には溶け込まられそうだしね」
陽咲は外見のことはさておき、彼がここに来たことによって神秘的というかドリームが叶えられる現実なのか疑問が残るところだった。
「しかし、小さなお侍ちゃんがいたものですね。侍は滅んでなどいませんでした」
陽咲のことを見て、ニコニコと微笑みながら話すリュウホ。陽咲は、そんな彼を見て、つい“人たらし”を連想してしまった。容姿やらなのもあるだろうが、話しやすい雰囲気が余計にそう感じさせられる。
「この短時間でそういう考えに至ったのかはわかりませんが、ちゃん付けはやめてほしいです」
ツッコミを入れてみるも、彼女の目には寂しさを隠せなかったかのように不自然な顔をしていたので、余計気になってしまうことはいたしかたないことだったのかもしれない。
だが、寂しそうな顔を見てしまったリュウホは、ちゃんと咳ばらいをして警告を示してから「気をつけます」ともう一度小さく咳払いをした。
陽咲は口元に手をやるリュウホの仕草にくすっと微笑んだ後、こうやってコミュニケーションをとることにより、だんだん心の中で自分の中で作られた“不審者”のレッテルを剥がすことができるのではと思っていた。また、心の緊張を解くことができ始めていたので頭一つ分でもハードルを飛び越えられたことが素直に嬉しかったのだ。
愉貴が完全に寝息をたてて眠りについた頃、リュウホは麦茶を飲みながら陽咲に話しかけた。
「もてなしていただいたというのに、自分の事を話さないのは無礼かと思いますので、なんでも質問に答えます。何個でも構いません」
テーブルの上に置いてある二つのコップの中に入った氷が少し溶け、音をたてた。
陽咲は床に座布団をひき、「楽にしてください」と返事をしてから質問のことを考え始めた。
リュウホは座布団に興味があったのか何度か触ってから腰を下ろす。
「では、リュウホさん。あなたはどこから来たのですか」
「私は……遠い星から来ました。地球人ではない、とだけわかっていただければ。地球を侵略するわけではありませんので、ご安心を」
陽咲はリュウホの言う“遠い”がどのレベルなのかわからなかったのでとりあえず頷いておくことにしたのだ。
そして、次の質問を考えた。「本当は、地球に何をしに来たのですか?」と聞くだけで良かったはずなのに、なぜか質問はどんどんエスカレートしていき、ついぞや彼のことを宇宙人だと認識するに至ったのである。だがしかしそれはまだ序章に過ぎなかったのだった。
「家族の話に変わってしまいますが、この前置きがないと中身がない話になってしまいますので、そこから話してもいいでしょうか?」
陽咲は小さく頷き、話を聞く。
「僕の祖父は王の座を継ぐ前からわんぱくであり、変わった人で有名。冒険家の素質があるような人でした。祖父は外交関係に興味を示し、他の星のことを知りたがるようになり、その中で興味を示した星の一が地球だったというわけです」
陽咲は、それで? と思った。何が言いたいのかよくわからないといったような表情を浮かべていたのを見ていたため、リュウホは簡潔に目的を述べた。
「ここまで来た本当の理由は、異文化交流です。扇子にでもご挨拶を書いて持ってくるべきだったでしょうかねえ……」
と付け加えてだ。
最後に付け加えるように言った、扇子にメッセージという風潮は、現代ではあまり日常的ではないやり取りのように感じるが、陽咲は頭を使ってそのようなコミュニケーションを昔の人はとっていたのか考えてみる。
しかし、そんなただえさえ不思議な言語だが輪をかけて意味のわからない行動に、陽咲はぽかんとした表情のまま、彼はさらに続けるように話したのだった。
「僕はいずれは王を継承します。そこで、『王になる前に他の星を見て来たらどうだろうか』と祖父から提案され、病弱のためもうそろそろ命が尽きてしまうであろう父上も大好きな星、地球を見たいと思っていたのです」
陽咲は彼の言っていることの意味がよくわからず、とりあえず頷いてみた。
「たくさんの人と話してみたいというのもあります。外交を考えるだけの君主としてではなく、今後の国交に繋がる良いコミュニケーションを取った上でよりお互いの文化を理解しあうべきではないかと思ったんです」
そしてさらに、彼は付け足した。
「武士という素敵に正義感を持って話す人たちがいることに興味を持ちました」
陽咲を見つめ合って微笑むのだった。
陽咲はなぜそんな愛おしそうに見つめてくるのかと疑問に思ったがそれでも確かに悪い人ではないなと思う。
「で、先程言っていた侍は滅んでなどいなかった、というのはどういう意味ですか?」
「仁愛の精神、忠心、義侠心を持ち合わせた侍は滅んでなどいなかったということです。私はこの目で見ることができました」
陽咲は彼が嘘を言っているのではと疑ったが、そんな様子もないため信じることにしたのだ。
「私は、そんな立派な人間じゃないですよ」
「いえ、陽咲さんは立派です」
「じゃあ、私のどこが立派だと、すぐに言えますか?」
なんとなくだった。陽咲は、敵に回らないよう、異星人がどんな奴なのかという部分を聞いてみたくなりこんなことを聞いてみた。
だがしかし、彼は即答したのだった。
「愉貴くんを、大事に想っていらっしゃるところでしょうか。僕は、日本の古本屋という店で手に入れた品々や、星のものが言っていた軍記物や歴史小説とやらの書物で侍の存在を知りました。正義があるのは、守りたいものがいるから。そのベクトルは、自分であれ、他人であれ、兄妹であれ全て守るべきものです。家族であり続けようとするのも、そんなものなんじゃないかと」
彼の言った言葉に過剰に反応した陽咲は、否定するのかと思いきや違ったのだった。
その言葉でスッキリする節があるのは自分も同じなんだと気がついたのである。
「武士道精神のことを言っているのですか?」
「まあ、人の上に立つものとはいえ、自分のことばかり考えていたら、皆僕から離れていってしまうでしょう。武士道精神を貫こうとして命をたった先祖が多いわけなのだろうし。敬う精神は支配に繋がるといっても、まずは等しく同じレベルのもの同士でなければ仲間にすらなり得ませんので」
説得力がある異星人だと、陽咲は呆気に取られた。
陽咲は、困ったような微笑みを浮かべ、彼を見て次の質問をした。
「リュウホさんって、お姉さんとか、お姉さんみたいな存在っていましたか?」
「いないな。実の姉も、お姉さん的存在もいない。まとめたがる奴は幼少の頃からうじゃうじゃ見てきたが、その類まれな能力で従えているだけで、尊敬に値しない」
吐き捨てるように言うのだった。
「弟の愉貴、私ともう一人姉がいるんです。私の三つ上で、去年現役で東京の難関美大に合格した、そういう人です」
陽咲は、麦茶が入ったコップの面を人差し指でちょんと触れる。
「私、才能って平等に与えられないものなんだな、越えられないって辛いなって最近悩んでいて」
室内にいるというのに、大きな音で鳴く蝉の鳴き声が耳に入り、夏の暑さを増すのだった。
陽咲はコップについた水滴を指で拭いた。今リュウホがどんな表情をして、それを聞くのか考えてみることすら、陽咲のことを怯えさせるほどのものとなっていたのだ。
「
もう、関わることがないであろう異星人なら、濃い話がしやすいのかもしれない。
陽咲も明菜も共働きの両親に代わって、弟である愉貴のお世話をした。大人から、しつこく頼まれていたわけではない。
明菜はいじめから。陽咲は明菜みたいになりたくても自分との能力差が激しいことに対して。
逃げるために、愉貴のお世話や遊び相手になっていた。
逃げ、というのはリュウホならわかるだろう。侍の恥的な行動である。
仕えている人の下で、敗北が決まったのであれば共に切腹をして共に息絶える。そういうことだろう。
愉貴は、自分を良く思ってくれている姉が、輝ける存在になるのを夢見てバレエにのめり込むのを見ることが当たり前だった。明菜のことを応援し続けていたのだった。賞を取る明菜は、何にでもなれるんじゃないかとまで言っていた。
「私は、素直じゃなくてですね。姉みたいになりたくて、絵画教室に入って必死に努力はしたと思う。けど、お姉ちゃんみたいな世界観や視点の見方をできなかった。自分の中で勝手に葛藤し、そんな思いを言ったこともないので当然知らない同級生に、絵を褒められて続けた。嬉しくなくて、ウザくなって、私から同級生とか褒めてくれる人たちから距離をとった。昔は仲が良かったお姉ちゃんとも、東京に行っちゃって会えないことを理由に連絡もとっていない。お姉ちゃんの誘いも、全部無視してる」
陽咲の人差し指についた水滴が皮膚に滲んでいく。
「私、逃げてるんです。リュウホさん、憧れるのはいいことなんです。でも、憧れ過ぎたあまり、自分が苦しくてたまらなくなる時があるんです。リュウホさんが言っている侍が理想像であって、憧れでも、そればかりにこだわらない方が楽なのかもしれません。私は、お姉ちゃんみたいにもなりたいと思うけど理想は私自身が積み上げた世界で見ないと気が済まない、それだけなんです」
そして陽咲は、氷が完全に溶けきっている麦茶の入ったコップを見て「もうぬるくなっちゃいましたね」と言ったのだった。
「陽咲さんは立派です。素直に、自分のことを説明できているじゃないですか」
リュウホは幼い若君のように、自分の位をわかったようでそうではない、幼稚な口調で話す。
陽咲は彼の正体を知ることはできずとも本当に彼が見た目より遥かずっと歳上であるのを感じ取ることができたのだ。
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