第六話

 杜氏が住む家は大きい。ユキナは四ツ家の生まれだが、本家ではない。その為、里で一番大きな邸とされる四ツ家の本邸には挨拶程度にしか行った事がない。その四ツ家の本邸の次ぐらいには大きいだろうか。古いが、手入れはされていて不自由はしない。だが、大きな家だからだろうか。妙に静かで、不気味と感じる事が何度とあった。

 長年暮らしている義母ですら、『この家は不気味だがそのうち慣れる』などと言ったほどだ。何よりも、『奥座敷の向こうにある開かずの間が不気味さを助長させている』のだとか。だからなのか、ユキナは一人でいると嫌に心細かった。


 義母も長年暮らしているはずだが、未だ出来る限り一人の時間を作らないように心がけていると言った。一人でいると、寒々しいと感じる上に、気配を感じるのだとか。薄寒い空気は、じめじめとした夏でも変わりない。

 そんな家の中を当然のように闊歩するのは、斎郎ただ一人だ。蔵人達も、朝は奥の開かずの間へと足を運ぶが、それ以外はこの家を訪れない。というよりも、やはり仕事以外では過ごしたいとは思わないというのが本音のようだった。


 そうやって季節は過ぎ去って、冬がやってきた。もう臨月まであと二月ふたつきとなった頃になっても、斎郎はユキナにもお腹の子にも無関心のまま。だが反対に、ユキナと義母の仲が深まっていた。というのも、家の中はどうにも心細いと違いに身を寄せ合った結果でもある。


 義母は、里人の一人だった。ユキナと同じで、家が不気味だから帰りたいと申し出た事があったが、矢張り体裁が悪いと追い返された事があったそうだ。同病相憐れむ。互いに寒々しい家の中で、特にユキナが好んだのは日当たりの良い義母の部屋だった。義母が言うには、この部屋が一番寒くない――のだとか。そこで、二人は縫い物をしたり、下女と一緒におしゃべりをしたりと。まあ、そこ以外落ち着かないと言うのが本音でもあるのだが。


 そんな義母と肩を寄せ合う日々を過ごした、ある雪の日の事。もう冬の酒も造り終わって、里は静か。斎郎も家で過ごす日が多く、そうなると自然と開かずの間で過ごす時間が自然と増えていた。

 開かずの間に籠ると、斎郎は全くと言って良いほどに姿を現さなくなる。今日もそうだ。朝食を早々に済ませた斎郎は、何に目をくれる事もなく開かずの間へ。奥座敷の更に奥――開かずの間の方へと目を向けたユキナは、ふつと浮かんだ疑問が溢れた。


「――奥の開かずの間って、何があるの?」


 隣で、繕い物をしていた義母はユキナの言葉に手が止まった。だが、次の間には何事もなく、続きを縫い始める。


「気にしない方が良い。蔵人だけが知る秘密だから」

「……お義母さんは気にならないの?」


 ユキナの言葉に、義母は流し目に目を合わせるも、気まずそうに目を逸らす。しかしユキナの今の状況を慮ってか、酷く言い難い事を口にしているように、ぼそぼそと語り始めた。

 

「斎郎が幼い頃に一度だけ……あの子は内側からかんぬきのやり方が分からなかったみたいで、いつも扉は開いたままだった。毎日のように開かずの間に入って行くあの子が心配で……だから、一度だけ――」

「何があったんですか?」

「――――奥までは行けなかった。暗くて、とても前に進めなかった。でも、声だけは聞こえて……」

「声?」


 義母は、黙り込む。それ以上言って良いものか、押し黙って悩んでしまった。しかし、ユキナが「お義母さん?」と、近しくなった声で詰め寄るものだからか、気まずそうにしながらも義母の口はもごもごとしながらも続きを紡ぎ始めた。


「斎郎の声と女の子の声が……会話をしているような……そんな声だった気がする。けれど、いる筈ない。あちらに誰かがご飯を運んでいる様子もないし――多分、気の所為だったのよ」


 義母は、それ以上は語らなかった。しきりに、気の所為だった。気にするなと。ユキナを納得でもさせようとして、自身を納得させているよう。これが、斎郎を心底慕っている女であれば、義母の言葉を適当に聞き流していたかもしれない。

 けれどもユキナには、斎郎への信頼など微塵もなかった。斎郎の心は自身へと向いていない。その理由は、開かずの間にあるのではないのか。開かずの間にある何かに、心奪われているのではないのか。

 それまで、無碍にされ続けていた心に湧いては沈めていた怒りが、沸々と浮上を始めて――ユキナに、はっきりとした憎悪が宿った瞬間だった。


「ねえ、お義母さん。開かずの間には、どうやって入るの?」

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