第四話
槐の腕――生白い肌に小刀の刃を当てる斎郎は苦々しい面持ちのまま固まっていた。覚えた手順通りに線を引くだけ――なのだが、それが出来ない。青褪め怯える槐の姿を目前にして、どうやっても斎郎の手は動かなかった。それを見兼ねたのだろう。斎郎の父と同程度の年齢の
――一体、何を……
「槐……」
斎郎は自然と槐に腕へと手が伸びていた。
「斎郎!」
「何やってる‼︎」
激昂した声が座敷牢に響き渡り、斎郎は目が覚めたように
「手を見せてみろ‼︎」
槐から引き剥がした斎郎の掌を広げて、狼狽える
「痛みは⁉︎」
「何も無いけど……」
斎郎は、
そのまま、斎郎はいつもの調子で槐に手を伸ばそうとした。――が、
「斎郎‼︎」
◇
「斎郎、お前本当になんとも無いんだな?」
「血に触っただけだし」
清水で洗い流した斎郎の掌は、擦り傷の一つも無い綺麗なものだった。それを何度と目にしても、
「
「お前、自分が何したか判ってないだろ」
先ほどの怒号の響きではなくなったが、
「斎郎。お前、
「それは親父からも聞いたけど……触っただけだろ?」
斎郎の言い分を耳にした二人は、ともに額に手を当てて項垂れる。
「槐の毒ってのは手では触れられん。だから器を用意するんだ」
「けど、俺……」
斎郎は説明を聞いても尚、戸惑いは消えなかった。現に斎郎には毒は意味をなしていない。
「……偶に、いるんだよ。俺も実際に見たのは初めてだったが」
そう溢したのは、
「いるって?」
「
「俺が槐に気に入られているから、俺には薬になる」
斎郎は、何かを得心したように――それこそ独り言のように呟いた。
「斎郎、あれは人じゃない。あまり距離を詰めすぎるな。何をするか判らんぞ」
十年前、先代の槐を相手取っていたからこその言葉だろうか。代師は辛酸を味わったとでも言わんばかりの目を向けて、これからを担う斎郎を嗜めているようでもある。
「先代は、気に食わん奴がいるとわざと毒を浴びせるような真似もした。それで、腕を失った奴もいるんだ。気に入られていると言っても一時的やもしれん。気をつけろ」
槐を憂う斎郎とは違い、
◇
斎郎が槐のもとを訪れたのは、日も沈んで開かずの間が暗闇に染まった頃だった。
斎郎の腕の中、大人しく擦り寄るだけの槐。斎郎は何も語らずに背を撫でる。謝罪も、慰めも、意味はない。結局どれだけ言葉を口にしたところで、斎郎が蔵人として生きる事は変わらないのだ。
斎郎は胸の内で呟き続ける。『弱くて、ごめん』と。
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