第二話

「斎郎、もう毒酒は十年造っていない」


 惑う斎郎を尻目に、父はポツリと零す。


「今までは俺が四ツ家を抑えてきたが、あちらももう手をこまねいているばかりではないはずだ」

「……あいつら、金儲けしか考えてないだろ」

「ああ、そうだ。毒酒は金になる」

「え?」

「ここらは、大岩の影響もある神聖な土地だ。けれども、山を降りた町や村……果ては都なんぞは鬼や妖で溢れていると聞く。そう言った手合いを相手取っている奴らには高く売れるんだ」

「じゃあ、親父は……」


 斎郎は、今までの修行に酒造り以外の作法も多く含まれていた事を知っている。何に使うかもわからない、封手に使う器への呪いや、神に与えられた遺物の使い方。いつ、何に使うともしれない術を学び続けた事を疑問に思わない事は無かった。だが、それだけだ。いつか何かの役に立つとだけ言われて納得して、それ以上を考えない。如何に自分がのうのうと生きてきたかを思い知らされた途端に、父が萎んだ、弱くなったと心の片隅で蔑んでいた事が恥ずかしくなって、斎郎はまたも俯いてしまった。そんな斎郎を見兼ねても、父は淡々と続けた。

 

「俺は良い。お前に役目を押し付けた。それに、お前が、に好意を向けているのも知っていた。だからこのまま、毒手の造り方も忘れるのも良いかもしれないと考えていたんだ」

 

 斎郎は見透かされていた胸中。恥じらいばかりが大きくなって、更に頭は沈んでいく。しかし、「だが」と続く父の言葉に斎郎は目線をそろりと上げる。


「四ツ家は酒造だけでは金は出さんと言ってきた。十年待ったと」


 その瞬間、父の目がギョロリと斎郎を射抜いた。斎郎は思わず肩が跳ねるほどに驚くも、父はかまわず続けた。


「斎郎、四ツ家が交易の全ても、金も握っている。この意味は解るな? 封を解いて槐を人のように扱いたいなら、里を捨てる覚悟でやれ。あれと二人で里から出ていく覚悟を持ってやれ。里を見捨てて、里のみんなを見捨ててひもじい思いさせて生きる覚悟がねぇなら、四ツ家に従って生きるしかない」


 斎郎は愕然と肩を落とす。返す言葉なぞ、どこにも見つから無かった。

 そんな斎郎をはなから見透かしていたのだろう。父は斎郎を親子として見据えながらも、次代の杜氏の役目へと更に追い込んだ。


「斎郎、お前は俺と同じで気が弱い。お前が責務を重く感じても、見捨てるなんて事も出来ないのは判ってる。だが、に情が向いちまったのを今更責める気は無い。それに、への恋慕なら格子の中で続けりゃ良い。そうすりゃ、誰かを見捨てた事にはならねぇ。そう考えろ」


 ちくちくと突き刺すだけだった父の言葉が、針から包丁にでも変わった気分だった。思い切り心の臓でも突き刺されたようにぎりりと胸が痛み出して、斎郎の額には冷や汗が滲む。痛みで気がおかしくなりそうで――たった一言。父を否定する一言が、斎郎の喉からは出て来なかった。


 ――違う、俺は槐と、普通に……


 そう反論したくとも、それが出来ないと思い知る。


「逃げる覚悟がないなら、里の為に血を採れ。毒手を造れ。四ツ家の金儲けを手伝ってやれ。そうすれば、里は平和なままだ。お前との関係も変わらない」


 父の声はいつの間にか弱々しさは消えている。いや、斎郎の耳にはそう聞こえるだけかもしれない。斎郎に圧をかけて逃げられないようにしているような。そんな追い詰めるような口振に聞こえてならなかった。


「お前の言葉であれば、も素直に言う事をきくのではないのか」


 斎郎は速くなる鼓動と気が触れるかと思うほどに騒つく心を抑えて、やっとこ動いた頭で考える。いや、考える間でも無い。


 ――槐は何も知らない。里で生きるという事が、どういう事かを

 ――槐はきっと、素直に従ってくれる

 ――あの笑顔のままでいてくれる……


 里を見捨てられない。故郷を捨てられない。父の言う通り、逃げ出す度量も、恨みを受け止める精神も、斎郎は持ち合わせてはいなかった。十年という歳月をかけて培った信頼と愛情よりも、斎郎は己の生活と心の安定を選んだ瞬間でもあった。

 その瞬間と同時。父がふつと思いついたように、一つ告げた。


「そういやお前、真名まなは知っているのか?」

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