第四話 不可侵 一
槐の異変から五日後の事。その男は唐突に現れた。
斎郎に呼ばれたと言って里へとズカズカと入り込んだかと思えば、斎郎の家宅へとあっさりと上がり込む。丁度、斎郎は手が放せないところで、代わりに史郎が僧侶の相手をする事になったわけだが――今一つ、里の外の人間とあって史郎は信用が出来なかった。僧侶の格好をしている者が、必ずしも善行を積んだ善人とは限らない。形だけの僧侶が野盗だったなんて話もある程だ。勝手知ったる家のように入り込んだ男が、父の薄弱な部分に漬け込んでいるのではないかと勘繰っていた。
だが、史郎の怪訝な様子など気にもせず、雲水僧は史郎の顔をまじまじと覗き込んだかと思えば、何気ない様子で話しかけた。
「坊主……斎郎の息子だよな?」
知己のように話かける雲水僧に、史郎の眉根はますます寄った。
「あんた誰だよ」
「俺は
芳雀と名乗った男は、はははと笑っていたが、史郎は反対にしゅんと縮こまってしまった。芳雀の言う狸爺とやらが、どうしても自分の祖父も含まれているような――四ツ家の事を言っているような気がしてならなかったのだ。
「……その、すんません」
史郎は縮こまったまま謝る。史郎は蔵人の血を受け継いでもいるが、半分は四ツ家の血だ。芳雀は史郎を責めた訳ではないが、四ツ家の事になると自分も責められているような気がしてならなかった。四ツ家は石清水の里を取り纏め長役を担う。利益ばかりを追求して、身内である斎郎にすらその姿は卑しく見える程だった。
「なに、お前さんが気にする事じゃない。それに、俺や俺の親父がしくじったと言うのもある」
史郎は縮こまりながらも細々と「何を」と返した。陽気そうに見えた芳雀が、顔を歪ませて苦悶を見せたのが気になったのだ――が、続きを阻むように斎郎が客間へと入ってきて、それも叶わなかった。
「芳雀、待たせて悪かったな」
「かまわねぇ、坊ちゃんが相手してくれたからな」
「ああ、史郎。仕事に戻れ。畑の方で人手が欲しいらしい」
史郎は「わかった」と返すも、話が気になるのか思うように足は進まない。それを読まれたのか。それとも、芳雀という男の性分なのか。まだ状況を完全に把握できていない芳雀は、史郎が部屋を出る間も与えず「何があった」と問い質した。
「槐が弱っている。俺が知る限りは初めての事だ」
「
史郎はもう、あと一歩で部屋を出る所だった。しかし後ろ髪を引かれるように振り返り、やはり仕事に行けそうにはない。
「史郎」
「良いじゃねぇの。後継なんだし、お前の時みたいに何も教えてもらえないんじゃ、坊ちゃんだってしんどいぞ?」
斎郎は苦い顔をして、それでも迷っているのか頭を押さえて口を
「それで、前兆は?」
「首筋のとこに歯形が現れた。獣じゃねぇ。人間に似た何かとしか言いようが無い。恐らく中に何か入り込んだと考えているが……それをお前に祓ってほしい」
「簡単に言ってくれるねぇ。お前さん、中覗けんだろ」
芳雀は斎郎に向かって疑った眼差しを向けるが、口元は吊り上がって面白がっているようにも見える。
「俺は槐が引き入れてくれないと無理だ。それに、祓う術が無い」
「まあ、そうか。それなら一回見てみますかね」
「頼む」
話はあっという間にひと段落して、二人の会話に区切りがついた。それを狙って、史郎はふつと思った事を口にする。
「親父、先代って……」
「ああ、槐の母親だ。同じように弱って……知らぬ間に消えてしまったと聞いている。その時の杜氏は親父――お前の爺様だった」
史郎は、祖父の顔は覚えてはいなかった。というよりも、史郎が生まれる前にはすでに故人。顔どころか、斎郎からは人柄すらも聞いた事はない。だが、史郎は祖父がどんな人だったかを尋ねるよりも、優先されるのは現在の事象である。
「それで、爺様は何か記録は?」
「何もだよ」
答えたのは、芳雀だった。
「俺の親父も当時関わっていたんだがな。誰も消えた所を見てねぇのさ。弱りかけてたってのは記録してたんだがな」
ゆるゆるとした口調で話す芳雀は事の深刻さを感じさせない。しかし反対に、斎郎は思うところがあるようで、一人膝の上で拳を作って握りしめている。史郎は父の姿を横目で捉えながらも、気になる事が一つ口から溢れた。
「当代の――娘は見てないのかよ」
「覚えてないとさ」
史郎の言葉に被せるようにして斎郎は言い放ったが、目線は今も膝に落としたままだ。史郎は目線を上げない斎郎へ胡乱な目を向けながらも、ただ一言「そうか」と返すに留まった。何かあったのだろう。そう感じながらも尋ねたいとは思わなかった。
「さてと」
また一つの区切りと思ったのか、芳雀が膝に手をついて立ち上がっていた。
「そろそろ、患者の様子でも見ますかね」
つられて、顔を上げた斎郎も立ち上がると、「医者みたいな口ぶりしやがって」と嫌味な口調で返した。
「似たようなもんだ」
二人の会話は過去の友人関係があったと容易に理解ができて、見慣れぬ父親の姿で漸く、史郎は芳雀を信用できた気がした。
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