第三話 衰弱
◆
――身体が……動かない
槐は身体をふらつかせながら、のそりのそりと歩く。牛歩の歩みにも満たない。足を一歩前に出す事すら億劫。藤花達の声も把握出来ぬほど、それこそ藤の香りも色味も認識できない。今自分が何処を歩いているのかすら把握できてはいなかった。
――どうして……?
思考は無意味な夢のようにぼんやりと。何を考える気力もなく、槐は力なく倒れこんだ。起き上がろうにも力が入らず、指の先すらもうまく動かせない。意識が混濁として、今にも更なる深い眠りの中へと落ちてしまいそうだった。
◇
藤花達が騒ついた。
さざめきなどといった可愛らしいものではなく。凪いだ世界に嵐でも吹き荒れたようにザアザア――と。警鐘を打ち鳴らすかのように、けたたましく。悲痛を全身で叫んでいた。
それが果たしてどれほどの騒音であったのか。全ての花弁が散ってしまうのではないかと思うような叫びを耳にして、叢雲は気怠げに鎌首をもたげた。
叢雲はいつもの場所――太い藤の蔓に腰掛けて、しかし、藤たちの警告が何を示唆しているのかが容易に想像ついたかのようで重い腰を上げる。だが、藤花のような焦りはない。
藤花の指示されるがまま歩き始めたようではあったが、何が起こっているかを知ったかのように冷静。歩調は依然として落ち着き払ったものだった。
されど、どれだけ叢雲が平静としていたところで早く、早くと急かして、藤花たちの騒めきは止まらない。恐らく、大丈夫だと声をかけても変わりはしないだろう。 そんな騒がしい藤花達が示した道の先、叢雲は藤紫にいつもの長い黒髪を見つけた。しかし、いつもと違って、地面に這いつくばり、叢雲が近づいた事にすら気がついていない。と言うよりも、ほとんど動いていないにも等しく、それは叢雲が傍へと歩み寄っても変わらなかった。
――ああ、やはり
叢雲は、終始冷静だった。成るべくしてなった、とでも言わんばかりの思考を浮かべては槐をまじまじと見下ろす。その
「槐、大丈夫か?」
叢雲の声は淡々として、しかし届いた声で槐は苦し気ながらも顔を持ち上げて視線を返していた。顔色はいつにも増して、死を連想させそうなまでに青白い。叢雲は冷静にうんと頷くと、当然のように槐を抱えた。そこで漸く藤花の叫びは消えて、藤花の夢路に安寧が訪れた。しかし、槐が心配なのかさざめきは続いたまま。
槐は瞼を押し開く力すらない様子だった。薄く開いた唇からは浅く吐いた息が続いて、やっとの事で呼吸を落ち着かせる。歩き始めた叢雲へと向けて、絶え絶えに言葉を紡いだ。
「叢雲……ごめん……なさい」
「何故謝る」
「迷惑をかけているもの……でも、どうしてか力が入らないの……」
「当然だ。俺がお前に血を求めたのは、お前の血に神気があるからだ」
叢雲は淡々と続けたが、また少し落ち着かせた呼吸で槐は何気なく返した。
「……しんき?」
叢雲は驚いて目を瞬かせたが、直様に気を取り直した。
「人で言えば、生命力を奪われているも同然の事。回復もしていないのにあちらとこちらを行き来するなど無謀だ」
「そうなんだ……」
力なく返事した槐の声は、どこか他人事だった。
「しばらく寝ていろ。そうすればまた元通り動けるようになるだろう」
「でも……叢雲は血が欲しいのでしょう?」
「今のお前から血を飲んだところで何の意味も無い。お前が枯れてしまえば、この世界は崩れて俺も共に死ぬだけだ。何より焦る必要は無いからな。寝ろ」
叢雲はいつもの藤の蔓へと辿りつくと槐を蔓に凭れるように地に下ろした。そして、己も隣へと腰かけると、そっと槐の頭を撫でる。ゆっくりと、それまで淡々としていた口調とは打って変わり労りが籠っていた。
「無理はしなくて良い」
叢雲は槐の頭を抱えるように引き寄せた。そのまま槐の身体は傾いて、叢雲の足を枕がわりに横にする。
ほんのりと赤く染まった槐の頬。しかし、叢雲が何度と繰り返し頭を撫でていると、すうっと赤味は消えて、静かな寝息が始まった。
叢雲は静かに頭を撫で続けた。すやすやと安心し切って眠る槐の姿は、無防備でどこか危うい。
「槐、何故諦めたように生きるんだ……」
叢雲はそっと呟く。しかし、槐の寝息は静かに続いて、叢雲の声は届いてはいないだろう。眠る姿は儚気で、今にも藤に埋もれて消えてしまいそう。それでも叢雲の手から労りは絶えず続いていた。
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