第三話
赤、紫、白。淡い色の表面をさらりと撫でた
「これはなに?」
四角いそれをまじまじと見つめる少女。見知らぬものを目にした顔はポカンんとする。
「折り紙だよ」
「これで何をするの?」
少女は薄い髪を撫でて触って、熱心に和紙の表面を覗き込む。
「折って遊ぶんだけど、俺、折り方は知らないんだ……槐は女の子だから気にいるかなって」
「えんじゅ?」
「そう、えんじゅ。お前の名前、槐だってさ。俺の父ちゃんが言ってた」
「そうなんだ」
名前を伝えた少女――槐の反応は薄かった。
「母ちゃんには何て呼ばれてたんだ?」
槐はキョトンとした顔で答える。
「えっとねぇ、『私の可愛い子』とか?」
斎郎は思わず顔を赤らめる。恥ずかしげもなく槐は言うが、そのような言葉は斎郎にとって未知数でしかない。
「え……槐の母ちゃん……変わった人だったんだな」
「そうなの?」
「そうだよ、俺は言われた事ないよ」
斎郎は自身の両親を思い出す。小さな里だが、古い仕来りを今も守る家の為、厳格――堅苦しいというのもあるのかも知れない。母からの愛情は感じるが、はっきりと言葉で告げられた数は限られているのだ。しかし、槐は母の愛などあって当然というように、斎郎の言葉の意味を聞き流してしまい、もう頭には無い様子。折り紙のきめを覗きこむように、一心不乱に目を落としていた。
「これ、とてもきれい」
槐の目は一点、淡い紫色の折り紙をじっと見ていた。斎郎と再開した時同様に瞳を輝かせる。折り紙同様の淡い紫に染まってしまいそうなまでに折り紙を顔に近づけていた。
「藤の色が一番好きだな」
紡ぐ言葉はうっとりと。頭の中で別の何かを思い浮かべながら笑んでいる。そんな槐の顔を見れば、軋んでいた斎郎の胸が僅かに軽くなった気がした。
「こっちの赤と白も好きに使って良いからな」
「うん、ありがとう」
槐はふわりと笑う。格子の向こう側にいるのにも関わらず、斎郎を信頼しきった笑顔。侘しい格子の中にいても尚、真っ直ぐに斎郎へ向けられたそれは空間を華やかせ、斎郎の心を高鳴らせた。
それから、斎郎は槐の元へと通い続けた。新しい土産を手に、少しづつ、少しづつ槐の心の隙間を埋めようとした。時には花を、時に木細工を。斎郎が大切にしている図譜を持っていった時もあった。互いに格子越しに向き合って、一つの何かを共有する。
時はすぎる。格子越しに会話を重ね、互いに顔を見合わせ、ほんの小手先程度の触れ合いを、一年、二年、三年――数年の年月を重ねても、二人の日々が変わる事もなく続いた。
斎郎は杜氏の跡取りとして学ぶこともあり、日々何かと苦しかったのだろう。余った時間の殆どを槐の為に使い続けた。しかしそれは、槐の為だけではなかったのかもしれない。斎郎は無垢な瞳を向ける槐に、ほんの些細な安らぎを求めたのだ。
槐はいつでも斎郎を笑顔で出迎えて、ほんの些細な贈り物で喜んで、斎郎がする話を静かに聞いた。槐が放つ雰囲気は他の里の子供とは違い、斎郎の手に遠慮なく触れる。無垢だから、なのかもしれない。それでも、斎郎の心を槐が埋め尽くしていくのは、必然とも言えただろうか。
だからこそ、段々と斎郎に欲が湧いた。
いつも会えるのは格子越し。格子には出入り口はあるが、これにも鍵がかかって、格子の間から手を差し込むので精一杯。手を伸ばせば槐は応えて斎郎の手に触れる。しかし、何か共有したくとも、いつも格子が邪魔で仕方がない。何よりも、そんな些細な触れあいだけでは物足らなくなっていた。
鍵があるという事は開ける事はできる。だが、槐を閉じ込める格子には
槐と出会って、もう六年の日々が過ぎていた夏の頃。
蝉が五月蝿く鳴き散らし汗を拭う暑さの中、斎郎は父の仕事を手伝いつつ、学ぶ日々。しかし、幼い時ほど、父に恐れを抱く事は無くなっていた。十三歳になった斎郎自身の身の丈が、五尺三寸(※百六十
焦りが目に見えるように顔に浮き出ては、そうして一人で抱えて疲れた顔を晒す。特に、古老達の所へと顔を出した時ほど酷くやつれた顔をして、年相応とは言い難い顔付きへと衰えてしまったのかと勘違いする程だった。
そんな父親に、斎郎は仕事終わりに話があると引き留めた。もう今日は部屋で休むと今にも口から溢れてしまいそうな顔した父親は、ふつと何か思いついたかのように間を置いて。かと思えば、気を持ち直した顔は仕事に集中した時の威厳ある面持ちへと変わっていた。
「話は家で聞く」
斎郎と父の背の高さには、もう殆ど差は無いと言って良い。だからか、父親がどれだけ威厳を取り繕っても、背中はしゅんと小さく感じてしまった。
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