第四話
斎郎は父の私室で向かい合った父親の姿が酷く小さく見えた。幼い頃にも、こうして正面切って互いの顔を見合わせた筈。過去を思い浮かべて比べてみても、矢張り小さい。
それは背中を曲げて座るようになったから、だけではないだろう。斎郎自身も気にしている、自身の気弱な性質が父の中にも見えるようになった、というのもあるだろうか。過去の父は胡座をかいて構えた姿をしていただけ、厳しい顔だけでどれだけでも恐ろしく感じたのに、今はその覇気が感じられない。いや、今も昔も何も変わっていないのかもしれない。幼心が、勝手に雰囲気を読み取って、恐れていただけなのかも。そうだと思うと、更に斎郎の目の前で父は小さく萎んでいくようにも感じていた。
そうして、その父が覇気のない声で言った。
「それで、話とは」
「槐の格子を開けて、少しでも良いので外に出してやりたいんです。もちろん、開かずの扉の向こうからは出しません」
斎郎は、ハキハキと。父親の下で師事されている時と同じように応えた。しかし何処か、若々しいが故にまだ見識の狭さを思い知らされているような。斎郎はまだ未熟な姿を隠しきれないまま、僅かに前のめりに父からの回答を待った。
しかし、最初にこぼれたのは言葉ではなく溜め息だった。わざと斎郎に聞かせるように響いたその音は、斎郎の心をざわつかせる。そうして嫌味たらしく息を吐き出し切って、ようやく父親は口を動かした。
「斎郎、お前……あれが何だと思ってる」
あれ、という口ぶりは、初めて槐の話を聞いた時にも言っていたな、と思い出す。槐の事を物のように扱う父の姿が嫌で、あまり良い思い出ではない。けれども印象は強く残って、その時の口振そのまま頭の中で記憶がこびりついていた。
「槐が人でない事ぐらいは察しております」
斎郎は頭に浮かんだ嫌な記憶を遠のけて、キリリと背をまっすぐに伸ばした。槐が人でない事ぐらいは斎郎とて気付いている。槐は出会ってから、一度として食事を口にした事がないのだ。誰かがこっそり開かずの間へと行っている様子も無い。斎郎が何かこっそりと食べ物を持って行ったところで、槐は食事というもの自体を知らなかったのだ。
「ですが俺と共に成長して、殆ど人と相違ありません。言葉を交わせば、しっかりとした受け答えも出来ますし、せめて格子ぐらいからは出してやりたいのです」
「出す事は不可能だ。格子は
斎郎の父は酷く気だるそうに膝に手をついて立ち上がる。その様子が酷く年寄りくさく見えて、また父親が萎んだような気がした。
そうやって眺めていた父親は、重だるい足取りで部屋の隅にある箪笥へと歩み寄った。その引き出しの一つから手のひらに隠れる程度の何かを取り出すと、それを手に元の位置に戻る。やたらと面倒な素振りを見せていた父親だったが、渋る様子はなかった。あっさりと掌の上に乗せたそれ――鍵を斎郎へと指し出した。
「もう一度言うが、あれは外に出られん。出す必要もない。良いな」
まるで、槐との関係に線引きをしろとでも言っているようで、それがまた斎郎の腹に据えた。
「槐は寂しがっているだけです」
斎郎は父の手の上から鍵を荒々しく奪い取った。儀礼も忘れ、そのままの勢いで立ち上がった斎郎だが、部屋を出て行こうとしたが不意に父に呼び止められて振り返る。
「……斎郎」
「なんでしょうか」
「あれに情をかけすぎるなよ。あとで後悔する」
父は、ずんと沈んだ声音で言った。それが、斎郎は悪意の塊にしか思えなくて、冷然と「そうですか」とだけ返して、父の私室を後にした。
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