第11話 回顧録 『大海』ニコ



 いつだってダンジョンは理不尽だ。

 『深淵』にいたってはそれも過酷を極める。

 くすんだ空色の長髪が、足元から無限とも思えるほど吐き出した冷水も、魔力の底をつくとともに勢いを消した。

 レイド『ファルティナ』の実力は確かに運命に干渉しうるものだった。団長の八代やしろが運命の歯車に待ったをかける、時間停止のスキルを用いてもは嘲るように彼らの予想を超えた。


「アルグリット……回遊のボスモンスター‼︎」


 『深淵』の第百四十三階層『果てなき大海』には飛ぶ鯨がいるという記録がギルドに残されている。レイドは事前調査にてその存在を知っていた。

 水気を帯びた真っ暗な体表面に、月と見紛う複雑な魔法陣を頭上に展開している巨大な鯨。

 『ファルティナ』はこの遠征でへ届くはずだった。

 しかし時期が悪かった。

 足場のない海上の百四十三階層を最速で走破する。高位探索者だからこそできる、強引な攻略を阻んだのがアルグリットであった。

 階層の入り口から次の階層までの一直線上に差し掛かったモンスターとの接触エンカウントを止められなかったのだ。

 奮戦虚しく、察知からの第一射でレイドは崩壊した。なんてことない、口からの魔力砲が守衛の少女ニコの防御魔法を貫通して海を割っただけ。団長はスキルを行使する間もなく、光線に飲み込まれた。

 海上のモンスターは『果てなき大海』ではアルグリットのみ。逆説的に解釈すれば、生命の母である海には溢れている。

 背中に広がっていた空の髪はボブまで短くなり、フィット感のある戦闘衣バトルクロスも胸とわずか下半身を残して焼き切れていた。

 彼女は咽び泣きながらも足を止めない、止められない。


「っみんなあああ‼︎」


 深層に潜るにあたって、彼らレイドは原則を定めていた。

 『レイドが壊滅した場合、個々人の能力をもって生還すること』

 アルグリットは咳をして喉の調子を戻したように目を細め、ニコら生存者を残して暗雲へとのぼっていった。

 気まぐれの大災が去っても、大津波が彼らに余裕を与えず追い立てる。結局、次の階層への扉へ到達できたのは水の魔法に特化したニコだけだった。


「ああ、あああああああああ‼︎」


 荒れた高地に出てすぐ年若い少女は崩れ落ちたのだった。





 『零落峰ユードル』少女のたどり着いた無毛のみね。空気が薄く、見晴らしがいいそこでは一人の少年が天を仰いでいた。

 目を凝らし、異変を感じ取る。


「コッタルスが約二度東に移動してる、どっかの自由オープンボスが大気の魔素濃度を急激に上げたか。はためいわくな」


 特定の星は、ダンジョン内の環境に対応して移動している。

 少年が危惧しているのは大気にただよう魔力の濃度の急変。魔力とは名ばかりで、事実は魔力を構成する『魔素』がモンスターに思わぬ成長をもたらすことが実態である。永い『深淵』生活で発見した法則だ。

 自然な成り行きで環境にも影響を及ぼす。

 少年は苦渋に顔を歪めた。


「はあ……再調査と影響、まとめるかあ」


 右手にペン、左手に紙、それが少年の武器だ。

 だれの目に触れることもない記録をとり、いつか求められる『素材』を記す。行商人としての意識がそうさせる。

 とりあえず直近の『空鯨アルグリット』から見回ることにして、上の階層へ歩いて行く。


「あああああああ!」

「……当たりかあ、やだなあ。おのれ、人を慰めたりするの苦手なんだよー」


 弱気なことだが、真実少年の努力は思わぬ形でかなう。

 深淵で出会う者たちはみな、なにかを失ってきている。

 少年だって自覚している。己が生存において他の追随を許さないほど優れていることを。

 しかし、少年の想像を超えるのが探索者だ。ある者は少年を連れ帰ろうとし、またある者は少年を崇め奉る始末、正しく爆弾。

 見捨てる選択肢をとれないのが嘆息を深くする。

 少年は粛々と少女の前に立った。

 

「なーんぞ泣きよんのや、あんた」

「ああ、うう‼︎」

「……あーもう、こんなんあとでセクハラ言われたって知らんがな!」


 泣いてるなら抱きしめよ。

 超訳なる本の一節に偉ぶって書かれていたそれは、癪だが的を射ていると思った。

 そっと、粛然と羽衣をかけるようでいて、肩に触れるまでを引き伸ばそうとしているが起こることは変わらない。

 少女の頭を抱いた少年の顔には陰がさしていた。


「ああ、その声、聞いとくや。だから今だけは許しな」


 だれ、許せない許せない許せない……。

 魂に触れるなら相手の感情に浸かることになる、少年を蝕むそれは一つの意思として完成していくだろう。

 少女のあらゆる妥協を許さず、持てる能力モノを鋭く高めていくはずだ。止まるところを無くし、進み続けるだけの人間にして……。

 少年は余地なき断罪の意思を、一欠片の投石にて少し逸らす。彼が求めるのはそれだけ。イッてしまえばもう手がつけられない怪物と化す、といった未来はすでに幾度も見守ってきた。

 知っている。少女がこれ以上進めばもう振り返ることすら叶わないことを。

 少年はいっそ哀れんだ。

 若い子供を置いていく先達の努力を。


永遠とわの円環、ひじりの海、溢れる後光、廻れ人々、終わらぬ旅へと行かん英雄よ。この目にうつせ、其の光」


 送るための魔法だ。後悔を切り捨てる最後の手段だ。

 送り届けた想いはもう振り返らない。

 それはひとつの『奇跡』だれかの心に届ける魂の魔法。

 星の海、そう呼ぶにふさわしい世界が覆っていく。

 少女を鎮める少年、彼女がなにを見ているかは知らない。必要もない。

 独りで紡ぐ、少女を支えた彼らのもとへの船旅を。





 いつかの日、彼女が願ったのは英雄になりたいという子供らしいもの。

 其処にはもういない、仲間たちが大笑いした荒唐無稽な夢の回顧録。思わずくすりと笑みをこぼしてしまう、くだらなくて必死に生きた日々。

 気づけば川辺に立っていた。

 あれ、私なにしてたんだっけ。たしか、また団長が私のシュークリーム食べて追い立てて……。

 遠く遠くの空、白色光がまぶしい歯車が回っていた。

 一個のそれは少女も思考を奪うには過ぎる代物で、同時に彼女がほおを濡らす感触に気付かぬ幸運を与えた。


「なに……これ」

「無神論者を語る上で、これほど屈辱的なことはないってね」


 隣にはおどける団長が立っていた。

 笑みは寂しく、どこか気の抜けた言葉には覇気が感じられない。

 少女は口を開こうとしたが、彼女の人差し指がそれを止める。


「だーめ、私たちはわしてはいけない。それは私たちの未練になる。だから、この一方的に与えられた天の垂涎をありがたく消化させてもらうよ」


 こほんと彼女は改まり、固まる少女に肩をくすめた。


「ぼけっとして……まあいいや。ニコ」


 肩が跳ねる。

 どうして驚いた?少女に語ることはできない。

 大人な彼女はいつになくおごそかに喋りだす。


「私らは死んだ。おまえを除いてな」

 

 急転直下の空白も知らんぷり、八代はひとり語る。


「でもな、安心してる。みんな、一番若くて未来あるおまえが生きててくれて、嬉しいんだよ。それだけ伝えたかった、じゃあな」


 噛み締めるように告げた八代はきびすを返す。

 死者は知っている、語れる者がいたならば其の歩みが止まってしまうことを。ゆえにもう見ない、聞かない、後戻りできる川は踏み越えてしまったあとなのだから。

 少女は足を踏み出そうとするも、足首につたが巻き付いてくる。強靭で千切れない、行かせないという意思を思わせた。

 世界が閉じる、其の瞬間を少女は知覚できずに終えるのだった。





「もぐもぐ、起きたなあんた。さっさと飯を食え、細う枯れ木みたいになっても知らんからな」


 寒い庵の床で少女は目を覚ました。

 焚ける囲炉裏の横で簡素な敷布団の上に寝かせられているようだった。

 全て思い出して、弾ける薪を横目にする。

 みどりが思うより反応はなかった。

 もっとこう、激しく暴れるさまを想像していたのだが……。

 おくびにも出さない彼は、つまらなそうにわきからすり鉢と乳棒を手繰り寄せる。


「……長い、夢を見てた」

「ふうん、そ」


 毒々しすらある濃い緑のカジュをかじるみどりには、いささかの興味も湧かない内容だ。

 すり鉢でシャクトウー砂糖の原料となる植物の種をごりごりすりつぶす。

 それらの音だけが、もの足りない広さの庵に響いていた。


「あんた、探索者だろう?なぜ実力に見合わない無理をしたんだ」


 みどりは明確に非難していた。目もよこさず、厳しい諫言がニコの耳朶をうつ。

 青髪をくすませたニコは自問して……諦める。答えなど決まりきっている。

 どんな探索者でも答えるだろう

 

「未知に惹かれた」


 至極自然に口から出る言葉だった。

 いっそう深いため息が木張りの板に落ちる。せわしない乳棒は止まっていた。


「……おのれ、ほんとあんたら探索者の気持ちがわからん。食うものに、愛する者に、正しく在れる環境にあって、なぜわざわざここへ夢を見る。退屈に殺されそうにでもなったか、この駄人どもめ」

 

 富める者の富める悩みへの羨望と唾棄だきが、鈍く、それでいて少女の深部へ突き刺さる。

 反論も怒りも湧いてこない、なすがままのサンドバックになっていた。

 みどりは応えを求めず、ふたたび大きなため息をついて手を動かしはじめた。


「悪しからず、貧窮者のねたみよ。あんたらはきっと死力を尽くし、未知という黄金の果実に手を伸ばした、おしまいおしまい。美しくて輝かしい物語なんだろうよ、ダンジョンの底に挑み、悪鬼羅刹を倒すことは」


 でもな、と低く繋げる。


「あんたらは安易だ、平易だ、愚かだ。それがつようなるたびに比例していく。ダンジョンの環境調査をおろそかにし、出現するモンスターの性質も見抜こうとしない…………まったくもって度し難い。やすやす予測不能イレギュラーに蹂躙されるだけのデク人形に成り果てるなんて」


 毒に次ぐ毒、傷口に塩なんてもんじゃない。熱した鉄棒を突っ込んでいるようなもので、このとき初めてニコははっきりと口を歪めて叫び返した。


「そんなことない!私たちは、私たちはいつだって用心してきた」


 みどりは沈黙し囲炉裏の火に浮かび上がる少女の涙に絶句した。

 それは発露、剥き出しの魂の叫びであり燃え上がる活情かつじょうだった。私怨を込めた言葉は発破となり少女に二度目の慟哭の機会を与えた。

 包帯で覆われた少女の顔は見えずとも、激しい動きをすれば下の焼け爛れた皮膚が悲鳴を上げる。

 ニコは構わなかった、みどりは正面から見据えて意思を問うた。


「アルグリットだって、一番残されてる資料が少なくて、百四十三階層の回遊ボスってことぐらいしか知らなかった。だからあの階層は突っ切るつもりだったのに……あんなの階層にそぐわない強さよ!」

「当たり前だ」

「っ!」

空鯨くうげいーアルグリットは予測不能イレギュラーの代表例にしてもいいくらいの異端だ。あれは三百層以上のモンスターにしか見られない魔法陣の輪を使うし『!』、循環する魔力総量も然り。たかだか百層のうちに出てきていいモンスターじゃないことは己の方がよく知ってる」


 しかりしかり、とつぶやきつつみどりはニコを寝かせる。抵抗なく大人しい少女をいぶかしむが、顔は見えないのですぐに諦めた。

 

「でもだ、あえて言わせてもらう。


 今度こそ少女は折られた。

 どうしようもない正論で、反論の余地なく探索者の大原則を言われてしまった。

 赤信号の前では立ち止まらなければならないと誰もが知ってるように、ダンジョンの理不尽というものを探索者ならだれでも知ってる。

 

「……じゃあ、準備不足だったって」

「言わせんじゃないよ、それ以外で簡単にレイドが壊滅するなんてありえない」


 最大限の警戒は払っていたのだろう、しかし認識がまだ甘かった。

 警戒でなく、全滅覚悟で走らなければ階層を突破できなかった。

 それだけだ、内心で決着をつけたみどりは虚空から万能薬『エリクサ』の小瓶を取り出して少女の傍らに置く。

 失敗を認めさせる、この上ない理不尽を直視させる、どれも若い少女には暴力的に鞭打つ所業だ。

 しかし、みどりはやらねばならない。

 一人の人間としての意地が犬死にを許さない。


「あんたらは探索者だ。そして己は葬式人じゃねえ。こちとらもう馬鹿どもの死に面倒なんかみたかないんだよ!」

「っ!」


 なぜ、死んだはずの団長に会えた。なぜ、こんなにも探索者を毛嫌いする。

 置いてけぼりの疑問が少女の中で溶けていく。

 魂を震わせる力強い声だった。際限なく探索者の愚かを刺してこき下ろす声なのに、知らない他人のはずなのに、心に響く。

 目尻からあふれ、純白の包帯を濡らす。

 たとい、目を合わせられなくともみどりはニコを捉えて離さない。


「墓をたて、行き場のない魂だけの探索者に足元を照らす行灯を渡してきた。その度に思うんだよ、生きて語らいたかった……!」


 



「ニコ、ニコ!」

「ん、ふああ……宵子、どったのよ」


 学校の屋上で横になっていたニコはどうやら寝入ってしまっていたらしい。

 目をこすりながら体を起こすと、同級生の元気っ子ー伏見宵子が忌々しい胸を押し付ける形でくっついてくるが、まあいい。まだニコも成長期、望みはある。あるはず、きっと……。


「深淵に潜ってる配信者のエレナの動画で、公式に記録されてない未成年の探索者が映ってるんだって、ほら」

「へーってえええええ⁉︎」

 

 なんとなしに見やって驚天動地、宵子の手からスマホを奪い取りじっと凝視する。

 どこか淋しい背格好と上気しているが忘れもしない横顔、その人はニコが眠ってる間に地上へ運びあげて以来会うことのできなかった人。

 一年半ぶりに目にした彼の相貌は、おぼろげな記憶となにも変わっていない。


「なんで、この人が‼︎」

「にゃー、ニコの知り合いかえ」

「困惑してへんな言葉使わないで」


 構ってられるか。

 嫌な汗がひたいをつたう。


「……支持者ファンが黙ってないわよ、これ」

「一体だれの話をしてるんだにゃ」

「宵子は知らないかもしれないけど、深淵には行商人と名乗る人がいる。その人は深層を主にし、出会った探索者に物々交換を持ちかける変人。一方で危機に瀕した探索者を助けたり、死人を導くこともある」


 諸事情で秘匿されるニコの過去を理解している宵子は柔らかい笑みを浮かべているものの、細められた目が眼光を放っている。

 ことニコの帰還劇には大きな要素が欠落しているからか、全身を強張らせてかの少年にくびったけであるためか。学校ではせいぜい中の上くらいしか実力のない宵子には、どうしても彼が凄まじい人間には見えない。


「じゃあその彼が行商人にゃ?」

「間違いない……でもなんで、あの人は支持者ファンが探しても一向に見つからないって言ってたのに」


 ぶつぶつ思索にふけるニコをよそに、宵子はファンという単語に背筋を撫でられるような嫌な予感が働いていた。

 深層、探索者、助けられる、行商人、少女の頭をめぐる単語から一つの予測を立てられる。


「信奉者、か」

「彼に助けられた人は数知れず、深淵の深層探索者なら拝んで当たり前みたいな雰囲気あるよ」

「なんにゃ、信仰でもあんにゃ⁉︎かかか、こにゃあ面白い話だにゃ」


 変人がここにも一人、ニコは妙に達観した様子の宵子にジト目を送る。


「会いに行こう、だなんて考えんじゃないわよ。行商人ー谷々ややさんがいるのは深淵なんだから」

「分かってるにゃあよ」


 おどけた道化の少女は、そうは言いつつも静止画から目を離せない。

 深淵、すべてを飲み込む大穴のダンジョンと言われる、予測不能イレギュラーの頻発する危険の塊。

 ダンジョンには誇張した話がままあるが、深淵が頭文字につくとどれも真実味を帯びてくる。なにが起こってもおかしくない、幾度となくダンジョンをおおう円蓋の街『イリス』と世界を脅かしてきた存在が深淵である。


「……行商人、ねえ?」

「首突っ込んで死んでも知らないからね。私、ギルドと谷々さんのどっちかを選ぶなら後者一択だから」


 じゃあわたしとなら、なんて宵子には聞くまでもなかった。

 監視と救世主、これも愚問ねと切り捨てる。

 ニコは今すぐ走り出したい気持ちをこらえ、屋上に背を預けた。

 空は高く、どこまでも青い。退屈でいつまでも続きそうなものだが、先ほどとは違ってたぎる胸の内が訴えてくる。

 『会いたい!』

 いづれにせよ支持者ファンの召集がかかるのは近いだろう。

 二度目の昼寝に入るニコを眺めて、宵子はほとほと肩を落とすのだった。

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ダンジョンの行商人〜幻のモンスターとして拝まれてます〜 ホノスズメ @rurunome

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