田舎と夏と田んぼ

緑暖簾

田舎と夏といとこ

「馬鹿ね」


「バカじゃねーよ。いや、バカだわ」


 田中裕二14歳、現在地、田んぼ。


「いい年してとんぼを追いかけるのに夢中になって田んぼに落ちるなんて......愉快極まりないわ」


「状況説明ありがと」


 いとこの雪音の辛辣な言葉も、その通りとしか言いようがない。

 事実だからね。


「この靴、気に入ってたのにな……」


「洗えばまた履けるかもしれないわよ」


 そうだろうか。田んぼの粘着質のあるコーヒーミルクみたいな色の泥でまんべんなく覆われたそれは、もう二度ときれいにならない気がする。


 おれのスニーカーの純潔は奪われたのだ、じいちゃんの田んぼに。


「これがほんとの『汚れつちまつた悲しみに……』か」


「何言ってんの。あたし、忠告したわよ。田んぼに近づくと落ちるわよって」


「しょうがないじゃん、オニヤンマだぜ、オニヤンマ!これは絶対に捕りたいとおれは思いましたね」


「で、捕まったの?」


「いや」


「駄目じゃないの」


「……田んぼに近づくと落ちることが分かった。もうアイツの半径3メートル以内には近づかない」


「この道の幅、3メートルもないわよ」


「そういうこというなよ……おれ悲しい」


「噓泣きやめて。それに、オニヤンマなんて裏の山に行けばいくらでもいるわよ」


「まじで」


「マジよ」


「そんなことある?オニヤンマってあれだぜ、千葉にはいない超レア昆虫なんだぜ」


「千葉でだっているところにはいるでしょ」


「だいたい初耳なんだけど、その情報。この9年間、夏になれば必ず帰省してたのに!」


「あんたが言うと寄生みたいね」


「おれはきっと冬虫夏草とかの高級寄生菌だね。で、裏山ってどの裏山?」


「車で十分ぐらいのとこの、道に石がしかれてる山」


「多すぎてわかんねーよ!だいたい裏山がいくつもあるのもおかしいだろ!」


「ここをどこだと思ってるの、東北の僻地よ!」


「そうでもないだろ」


「とにかく、一家に一台以上は車があるし、そこらへんみんな田んぼだし、最寄りのスーパーまで車で十分以上、コンビニはローソンが一軒近くにあるだけまだましだし、夏窓を開け放しておくととんぼが家に入ってくるし、家はどこも一戸建て、おとなりさんはとなりじゃないし、アスファルトで舗装されてない道も多くて車が揺れるし、鹿はしょっちゅう出るし、七夕の笹は裏山で取ってくるし、やたらとトンネルと立橋があるし、となりの木村さんなんかはもう歳で後継者もいないから田んぼ潰すらしいし!」


「これが田舎の過疎高齢化か......」


「そう、田舎。だから山がいっぱいあるの。都会の人はお好きでしょう、田舎」


「なんかごめん」


「まあいいわ、山まで車出してあげる」


「お前十四だろ」


「田舎の人は移動にいちいち車が必要なんで、十四でも免許が取れるんですー」


「うそこけ」


「冗談よ、うちの兄に送ってもらえば?受験も終わったし」


「東大受かったんだって?」


「東北大学にね。今は仙台から帰ってきてるわ」


「東北大学ってどこだ」


「東京大学の親戚」


 場所を聞いたんだが。


「うそつけ」


「うそかも」


 東北大学も東京大学も国公立大ではあるので親戚といってもいいかもしれない。

 うん。


「なんかめんどそうだからもう大学の話はやめよう」


「いいけど、いつまで田んぼに片足突っ込んでるわけ?」


「いや、意外とひんやりしてていいんだよ、これ」


 暑い夏に田んぼで涼をとる。風流(意味不明)だ。


「寄生虫とかいるかもよ」


「早く家帰って足洗お」


 ― ― ― ― ―


「あーせんぷうきのかぜぬるいー」


「文句あるならそこをどきなさいよ」


「文句ありましぇん」


畳の上で寝ころび、顔に扇風機のぬるい風を受ける。いくら雪音でもこの贅沢空間を譲ることはできない。そんなに贅沢か?


「しぇんって......キモいわよ」


「そのとおりだ」


 中学生にもなって男子が「しぇん」は確かにキモい。

 でもおれ童顔らしいしワンチャン許されるのでは。


「そのキリっとした顔やめて......ふっ」


なにがおもしろいの。


「笑うなよお」


「ごめん」


「......ゆきねぇ」


「なによ」


「アイス買ってきてぇ」


「嫌よ」


 さっきごめんって言ったじゃん。お詫びに買ってきてくれてもいいのに、にべもないってやつだぜ。


「お金出すからさぁ」


「コンビニ遠いから、嫌」


 そんなわがままが許されるかよ(特大ブーメラン)。

 しかしおれは知っているのだ!!


 雪音は――圧に弱い。


「..................」


「......もうわかったから無言で見つめないで。冷蔵庫にあるパピコなら1個分けたげる」


「やったあ」


 パピコはコーヒー味だった。


 雪音はホワイトサワーだった。



 なんで味がちげぇんだよ。分け合おうぜパピコ。


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